デッド・フライト

設定の甘さはある種の映画にとってはけしてアラではなく、むしろ効果的な手法であるとさえいえる。その甘さとは本作ではたとえば、国家機密級の貨物がふつうの旅客機で輸送されることであり、その貨物にはトランクにベルトを巻く程度の梱包しかなされていないことである。なお本稿は映画「デッド・フライト」の内容に触れています。

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と書けばもうお分かりのように、非常な悪天候による揺れで梱包が解かれるやゾンビが這い出、つぎつぎに乗客を襲うという筋書きである。ほんらい人がゾンビに喰われ、手足がもがれるという図は正視に耐えられるものではないだろう。が、本作を鑑賞するわたしは、そうした図の重畳に目を覆うどころか、むしろ愉しんでいる自分を発見する。

果たしてわたしはそれほど残酷な人間だったろうか。いや、わたしが目にしているものを愉しめるのは、それが明らかな虚構であると知っているからだ。そして前述の設定の甘さこそが、その虚構性を担保していると考えられる。逆に、途中から虚構であることを忘れてしまうほど緻密につくられたドラマなどでは、感情移入した人物の死に直面し、泣いてしまい、しばらく仕事も勉強も手につかないといったことが起こる。

本作ではむしろ、設定の甘さが効果的にはたらいていると述べたが、それは愉しめる図が伴っているからであることはいうまでもない。愉しめる図のない作品では、設定の甘さはおそらく単なるアラでしかないだろう。

搭乗客にはフランクという詐欺師と、彼を護送する一人の刑事が交じっているのですが、そのフランク役のケヴィン・J・オコナーという俳優は印象に残りますね。フランクはいい仕事しましたよ。(2013-10-25)

最終更新:2013年10月26日 18:02
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