ナイト・オブ・ザ・コメット

6500年ぶりに彗星が地球に大接近する夜、人々はお祭り気分で浮かれ騒いでいた。が、一夜明けると世界は一変していた。外で観測していて、彗星の光線を直接浴びた者は赤い灰と化してしまい、地面には灰を除けば衣服の抜け殻だけが残されている。直接でなくとも、漏れ来る光に触れた者はゾンビと化し、ダメージに程度の差はあれ徐々に進む進行は止められず、終には灰になるのをただ待ちうける運命にある。なお本稿は「ナイト・オブ・ザ・コメット」の内容に触れています。


昨年出版社ゾンビ・ロジック・プレスが、本当はゾンビ映画ではない「ゾンビ映画」の名作TOP10を発表しているが、本作はそこで8位にランクインしていた。本作の「ゾンビ」は死に向かう過程にあり、死んでから蘇ったわけではない。厳密にいえばそれはゾンビではなく、本作はゾンビ映画ではないということになる。ちなみにそのTOP10の第1位は、ウェス・クレイヴン監督の「ゾンビ伝説」であった。

女子高生レジーナは映画館でのアルバイトの後、映写室で映写技師の彼と朝まで過ごしていて難を免れた。妹のサマンサは、継母とのビンタの応酬の末、グーで殴られ家出しようとするが、行く当てもないので庭の倉庫に閉じ篭もっていて無事だった。その後彼女たちが出会うことになる長距離トラックの運転手ヘクターは、ヒッチハイカーの少女と朝まで横になれるスペースを求めて荷室に移動しており事なきを得た。いずれも鉄の遮蔽が光線から守ってくれたようだ。

一方、陸軍の地下研究所で働いていた科学者たちは、そこを拠点に生存者を保護する活動を続けている。立派じゃないか、早くレジーナたちも保護してあげてよと念じていると、ようやくその願いが通じたあたりから、どうも彼らは怪しいぞと疑われてくる。

彼ら科学者たちは地下にいて安全なはずだった。が、換気口のわずかな隙間を見落としていたために、目に見えるほどの変化は当初表れないものの、やはりしだいに蝕まれ、最終的に灰と化す過程に載ってしまう。彼らは自分たちが生き延びるために、生存者をかき集め、血を搾り取れるだけ搾り取って血清を得ようとする輩であったことが明らかになる。

かくしてレジーナたちと科学者たちの対決やいかに、となりますが、そう、「ゾンビ」は完全に脇役です。いや、症状の軽い科学者たちをそこに含めれば脇役というのは当たらないか。

いずれにせよ、わたしたちがはじめ科学者たちの姿に見るであろう善を、あたかもオセロゲームのように悪に裏返してみせる手管は本作の美点であろう。たびたび伏線も張られていて、その転回に強引さがないのもよい。また、科学者たちもじつは一枚岩ではない。白かったものが黒に変われば黒かったものは白に変わるという幅も妙味である。(2013-10-27)
最終更新:2013年10月27日 00:42
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