ぞんざいを承知で本作を簡潔に表すならば、ロードムービーとコメディの要素を併せ持つゾンビ映画ということになるだろう。コメディでは同じ地域、同じ時代に住まい、文化を共有するからこそ意味が取れ、くすりと笑いを誘われることも多い。逆にいえば、笑いを誘うための材料とされる事物の文脈に通じていない観客は、周りがなぜ笑っているのかちんぷんかんぷんで、どこか取り残されてしまったような疎外感に包まれてしまうことが間々ある。なお本稿は映画「ゾンビランド」の内容に触れています。
ロードムービーたる本作がどこへの道程を描いているかといえば、主要人物の一人タラハシーにとってはそれは、トゥインキーを見つけるための道のりにほかならない。トゥインキーとは、スポンジケーキのなかにバニラクリームが入った、アメリカでは実にポピュラーなお菓子であるそうだ。いかついおっさんであるタラハシーが、血眼になって甘いトゥインキーを追い求めるさまはそれだけで喜劇だが、トゥインキーの何たるかを知らなかったわたしはその可笑しさに追いつくのにしばらくのずれを要した。
何も可笑しさにかぎったことではない。タラハシーが車のドアに必ず3と記すのはなぜだろうという疑問は最後までわたしに解けなかった。やはりアメリカではポピュラーな、デイル・アーンハートというカーレーサーがいたらしい。彼はあるレースで、最終周回でのクラッシュからコンクリート壁に激突し、亡くなってしまった。デイル・アーンハートにとって最後のレースとなってしまったわけだが、彼がつけていた3番はその後永久欠番とされた。また奇しくも、そのレースにおいて彼の前を走り、二位に入ったのは息子であるデイル・アーンハート・ジュニアだった。
してみると、タラハシーの描く3には息子とのふれあい、ひいては親子をはじめとする人と人との関わりへの渇望が篭められていたのだろうかと遅ればせながら詩情を味わった。他との関係に無関心なゾンビと、関係を構築することを許されている人間との対比は本作の眼目といえるが、映画の造りからみると、ドアに描かれた3という数字もそこへ収斂してゆく事象の一つであったのか。逐次的にそうした思考をめぐらせえないことも、知識の乏しい者が映画を見る際の不利なのだが、負け惜しみではないかと失笑されるのを恐れず付け加えるなら、後から知る喜びはなお大きいともいえる。
トゥインキーというお菓子のパッケージには、ビリー・ザ・キッドならぬトゥインキー・ザ・キッドというカウボーイハットを被ったキャラクターが描かれている。同じ色のカウボーイハットを被ったタラハシーとの符合をどう見るか。タラハシーのいでたちからの想起(洒落)でトゥインキーは呼ばれたのか、逆にトゥインキー・ザ・キッドをベースにタラハシーというキャラクターが考案されたのか。まあ、どちらが先というわけでもなくふと結びついたというのが当たっているのかもしれない。(2013-11-03)