隣りのゾンビ

本国でわずか三千人しか動員しなかったという韓国映画が、ここ日本でDVD化されている。ゾンビウイルスが猛威を揮うなか、政府は感染者を根こそぎ射殺する方針を定める。それは、感染者はもはや人間とはいえず、人間を喰らう害悪に過ぎないという認識に基いている。なお本稿は映画「隣りのゾンビ」の内容に触れています。

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本作は、次の六話からなるオムニバスである。
・すきま
・逃げよう
・骨を削る愛
・ワクチンの時代
・その後...ごめんなさい
・ペインキラー

「その後...ごめんなさい」では、ワクチンが奏効し、生き残ったゾンビたちが人間に戻った社会が描かれている。彼らには定期的な健康診断が義務づけられている。主人公ペは就職を目指すが現実は甘くない。面接では「ゾンビだった頃、人間の肉を食べたか」という質問に言葉を詰まらせてしまう。彼は隣人の肉を貪り食った記憶と、その罪の意識に毎夜苛まれていた。

ペは二重の理不尽と闘い、何とか生き延びた。一つはもちろん不慮のウイルス感染自体の理不尽である。ワクチンの出現によりペは曲がりなりにも健康を取り戻した。もう一つは、不慮の厄災の被害者であり、ほんらいならば憐れまれ護られてもよいはずのペが射殺の対象となってしまった理不尽である。ペが人間を喰らう害悪に過ぎないというのは感染を免れた人間にとっての理屈であるだろう。

彼の前に一人の女性が現れる。彼女はぺの腕や脚に突然ナイフを突き立てては去るという行為を繰り返し、訳のわからないペの戸惑いは増す。三度目に姿を現した彼女は、ぺの首にナイフをあてがい、「今日は両親の命日だ」と告げる。女性はぺが貪り食った隣人の娘であったことが判明する。

復調したのちにも、ペが隣人の肉を貪り食った事実は厳然として残ってしまう。ゾンビらを容赦なく射殺した人間社会がその罪とどう向き合うかは課題だが、ペはその当事者たりえない。ペはその課題は措いて、自分自身の罪に対する赦しをただ模索するのだった。

「逃げよう」において、男は女に出て行けと言い放つ。感染者である自分と一緒にいることで、感染を免れた女にまで危険が及ぶことを嫌ったのだ。しかし男を愛する女は拒む。女は男の腕に噛みつき、自らも感染者となることで一緒に過ごすことを選んだ。

感染者と、感染を免れた者がどう互いに向き合い、社会を構成するかは本作の諸話に通底する課題であった。相手との差異に向き合わず、それを利口とはいえないしかたで霧消させてしまった男女は安直であると思われてならない。盲目的に相手に合わせるのは時々に留めたいものである。が、好意的な評価をすれば、六話のなかの一つで敢えて提示する意図があったと取れなくはない。(2013-11-9)

最終更新:2013年11月09日 00:22
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