ユグドラシルの果実が実ると、その魚の卵のような半透明の珠の中に何かが宿っているのがわかる。
 死者が死者として大地へ還り、そして世界中を覆うユグドラシルの根に吸収されるとその栄養で卵が実る。
 その卵の中にいるのは鳥でも、動物でもない。人間だった者の精神である。
 精神は果実となり卵に宿り産み落とされるまでの間にそのすべてをユグドラシルに読み取られ、精神をかたどったバイオヘッドとなる。
 樹上――、今――。今、まさに今、ユグドラシルから実った卵がずるりと地面に落ちようとしていた。
 地表――、それ凝視する七人の男女が居る。
 色――、青/黒/黄/。少し離れたところに紫/緑/白/赤。
 腰や背中の武器の柄に手をかけ、それが落ちる時を待っている。また、それを見守る群衆もその全てを見ていようと必死になっているようだった。
 神なる樹、ユグドラシルからこの世界を統べる七人の特異点に通達があったのは昨日だった。
 ――「明日、生まれる者を切り捨てよ」――。
 そんな綸旨はこの世界が誕生してから数世紀たつが、そのころから生きてきた彼らにとっても初めてだった。
 樹上――ゆっくりと、朝露のように卵が膨らみ、震えると、ぼとりとちぎれて地面へ落ちる。
「……来たわ」
 紫の体色をした女が言う。――精神は年を取らない――。声は幼いが背は高く体の形はグラマラスだ。
 ずどん、という音を立てて卵が地面に落ちた。まだ卵の膜が体を覆っており、ゆっくりと、卵の中の何かが立ち上がると、その膜が乾いて剥がれ落ち、七色の輝きを持って消え去った。
「なんだ、あれ……」
 観衆からざわめきが起こった。
 ゆっくりと体制を整える産み落とされたばかりのそれは、あまりにも異形だった。
 筋肉質な体を覆う装甲は、ぬるりと七色に輝いている。一瞬誰もがそれを卵の殻だと思った。
 しかし、時間が経つにつれてその輝きは鮮やかになっていく。
「……ここは、どこだ?」
 乾いた声が響いた。こいつを殺さなければならない。しかし、あまりにも――、すべてがイレギュラーすぎた。
 精神の化身、バイオヘッドの体色というのは黒、白、赤、青、黄色、紫、緑である。
 ――七色に輝く装甲――。産まれたばかりのそいつがよろよろと、地面に膝をついた。
「おれは誰だ……?」
 うつむき、銀色で真っ黒なバイザーが顔半分を覆う顔で自分の両手を眺めるそいつに、七人は殺すなら今しかないと声は出さないものの、さとった。
 その中で一番早く動いたのは赤い男だった。
 透明がかった真っ赤な禍々しい動物の骨や角をつないで作ったような装甲が日に当たって煌めく。
 右手にすでに持っていた無数の棘が生えた巨大な戦棍たたんで左腰におさめ、背中の青い長剣に手を伸ばした。
 その光景に、はっとその場にいた全員が呑まれた。そして安心した。
 産まれたばかりの赤子を殺すような所業に、いくら神なる樹からの命令と言えど、気がのるわけがない。
 群衆が喚く。
 ――抜かれぬ剣(つるぎ)が……!
 ――おお……!
「赦せ……」
 群衆のささやきを切り裂くように重々しい呟きと共にそいつの左側に立って長剣の刃を首に当てた。
「私はアン・チュンデン。……名は?」
 そいつは答えなかった。群衆からそいつの無礼さに対して非難の声が上がる。
 一瞬だけ赤い男が何かを確認するようなしぐさを見せた。髑髏(どくろ)の兜の下にある緑の瞳がちかちかと明滅する。
「〈ボイジャーレコード〉というのか……。さらばだ」
 すっと剣を構えすっと、無情に、機械的に、それが振り落とされる。
 ――ささやきを斬り――空気を斬り――その銀の装甲の間にある黒色で艶のない関節へ――
 斬り落とされる間際、そいつ――ボイジャーレコードが――何かを呟いた。
 ――首がおちない。
 ――時間が止まったように、刃が動かない。
「なんだ……?」
 武骨な装甲で身をつつむ緑の男が呟く。
「もしかすると怠惰系の悪心を持っていて、そのスキルが働いたのかもしれません」
 ほとんど透明で真っ白な優男が顎に手を当てて言った。
「攻撃そのものを止める怠惰系スキルなら、あんなに色が鮮やかなわけがねぇ。かなり純度……、良心度の高い羨望じゃないのか?」
 しなやかな雰囲気の青い男が腕を組んでじろりと白いのに言った。
「純度の高い羨望系悪心なら、銀ではなく透明になります」
 白い男が答えた。
「へぇ……。っと」
 青い男が答えながら、再び処刑の場を向いた。
「……っ」
 すっと、ボイジャーレコードが赤い男――アン・チュンデン――を見た。
 アン・チュンデンが剣を再び振りかざした所だった。
「返せよ、アン・チュンデン」
 降り落とされる瞬間、ボイジャーレコードがそれを口にした。
「……っ!」
 剣の軌道がぶれ、首ではなく左肩に向かう。
 激しい衝撃が吹き荒れ、吹き荒れたそのすべての場所が凍りついた。アン・チュンデンのスキル〈衝撃凍結(エイス・ベルグ)〉の効果だ。
 しかし、そこにあったのは氷漬けになったボイジャーレコードでなく、丸い盾だった。
 その盾がすべての衝撃を跳ね返し、受け止めていたのだ。
「返せよ、クソガキ。大切な人なんだ」
 ボイジャーレコードのすぐそばにいたアン・チュンデンはすぐに真後ろへ跳びすがり、空中で左手でもう一つの武器である戦棍を抜き、かまえた。
 ゆっくりとボイジャーレコードが立ち上がり、左手の盾を構えた。
「盾……? 忍耐系良心の持ち主ということか?」
 緑色の特異点が言う。
「ううん、見て。腰にも何かあるよ」
 小柄で全身ちゃらちゃらしたアクセサリーだらけの黄色い女が言った。
 ボイジャーレコードの後ろの腰にも、なにやら武器らしきものがあった。
「拮抗性質の持ち主ってわけかい。だったら色が黒で武器の片方が盾、もう一個は槍のはずなんだが……」
 黒い巨体の男が言う。
「槍のくせに短いわねぇ」
 紫の女が言った。
 その間もボイジャーレコードはアン・チュンデンの繰り出す攻撃を盾で受け流し、弾き、そのスキルすらも防御している。
「……そろそろいかねぇとアンがやべぇ。援護するぞ」
 青い男が背中の弓を取って構えた。
 ボイジャーレコードは再びアン・チュンデンと距離を取り、腰の武器を掴んだ。
「〈さよなら夢の欠片(スイングバイ・ナヴィゲーション)〉!」
 巨大な鞄のような武器が真ん中で割れ、その円形の可動部の曲部分を右手で掴んで後ろの部分を脇に抱え、曲部分に取り付けられたボタンを押すと、先っぽにある円筒部分に光りが集まった。
「まずい!」
 そう叫んだのは緑色の男で、右手と左手の装甲を開いて結合させ巨大な盾にするとアン・チュンデンとボイジャーレコードのあいだに割り込んだ。
 ボイジャーレコードの武器の円筒から太い光の柱が発射され、緑の男は何とか耐えながらも地面に膝をついた。
 光線の衝撃に巻き込まれた七人が立ち直った時、すでに銀色のボイジャーレコードは消えていた。

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最終更新:2011年11月28日 18:41