ドロップ・ルインが初めて彼女を知ったのはその夜だった。
我がガリア王国は大陸の北部を奪うべく攻撃を仕掛けるも、見るも無残に返り討ちにあっていた。俺は我が身かわいさで命からがら逃げだすも支給されたアームヘッド、ヨツアシをダメにしてしまったために荒野に放り出され、とりあえずは、と野宿の準備をしていた。
明日以降、隊長の待つサンパトリシアへ向かって歩き出さねばならない。とはいえ積んでおいた食料は少なくない。なんとかなるだろう。
その時に彼女と出会った。荷物を奪われてしまったのでともに野宿をさせてくれないか、と頼まれたのだ。快活でいて愛らしく、きっと皆に愛されるだろうと思った。名前をエクレーン・ラヴというらしい。
食材にもカネにもサンパトリシアへ向かうだけなら余裕がある以上、断る理由もなかったのでふたりで夜を明かすべく準備を進め、食事をとった。彼女の料理は非常に小慣れていて旨かった。
俺が男であるからには彼女と同じテントで眠るわけにもいかないので、テントは譲り、少しばかり距離を取って眠った。
翌日のことを考えると不安もあったが、しかし穏やかな眠りにつけた。旨いメシのおかげか。
だが、朝を迎える前に起こされる。
小さな騒音で目を覚ますと、荷物を取られていたはずの女がなぜか荷物を持ってその場を去ろうとしていた。
女は背中で驚きを表現すると一目散に逃げ出した。
つまり彼女はどうしようもない女だった。
――当然彼女を追った。
思いのほか速い。速いが、しかし一応軍に従事する者、体は普段から鍛えてあったし、逃げ切ることを許しはしなかった。
十分に距離を詰め、彼女が肩にかけた自分の荷物を掴む。勢いよく倒れこむ女。ここに勝負は決した。
「自分の荷物を取られたら見ず知らずの男の荷物で補っていいのか?」俺の前で正座した女はばつが悪そうにしている。
「……ダメです」目を合わせまいと、端を見る女。
「俺もそう思うんだが」睨みつける俺。逃げ出すことを考えているようには見えない。だが身を守るために過度な謝罪はなく、いや、それ以前に一度でも謝られただろうか。
さっきまでの愛想のいい女の子ではない彼女に、怒るより前に興味がわいた。
「なんで盗ったんだ、荷物。サンパトリシアを目指すならなにもここで盗ることはないだろう」ガリア王国の主要都市サンパトリシア、二人の目的地は共通してそこのはずだった。
だとすると、今ここで俺の荷物を盗ってもその後の道のりは長い。一人ではきつくなかろうか。聞いた後に思ったのだが、それ自体が嘘か?
「食べ物やお金がほしかったわけじゃないので」しかし彼女の答えは違っていた。切羽詰っている気分の声で、嘘ではないように思えた。
しかしだとするとなんだろう、彼女の言葉を鵜呑みにしてはこの状況が分からない。やっぱり嘘をつかれている、と、そう考えれば筋は通るが、しかし。
「じゃあ、なんだ」女は黙る。
思うところがあるが、上手くつなげられない。
長い沈黙。仕方がない。
「わかった。じゃあメシもカネも盗らないでくれるんだな」
「それは……はい」
「じゃあいい。許す。約束通り、今後もメシを作ってくれるならサンパトリシアまで送り届ける」
提案。
そして沈黙。
「え?」意味が分からないという顔をしている。
「なんだ、ごろつきにレイプでもされたいのか」今は人なんて見当たらないが、今後はわからない。
「……あ、え」動揺しつつ、俺の考えを理解した様子でエクレーンは頭を下げた。
実際のところ、軍服に非常用の食料とわずかばかりの金は隠してあった。だから別にまた荷物を盗まれそうになっても、あるいは今度は本当に盗まれてしまっても、まあ生きて街までたどり着くことはできようと思っていた。それなら、荷物の一つも持たない女を木のほかに何もないような場所に置いていく罪悪感よりはいい。
それに、おとなしくメシを作ってくれるなら素直にうれしい。
そう思っての提案だった。
また少し安堵を漏らし、穏やかな顔になるその娘を、どうしてただの盗人と断じられようか。俺は軍人より聖職者の方が向いているのかもしれない。
「それで、できれば今度こそ素直に答えてほしい。なんで、というか、何を盗ろうと」
「それは、その、アームヘッドです。」なるほど。そりゃ離れない方がいい。今となってはデカいだけの時代に取り残された哀れなアームヘッドだが。まあそれでも金にはなるか。
「売るためとかではなくって、ただ、壊したいものが」俺の考えていることは読まれていた。何を壊すのかはわからないが、何かを壊すことが目的ならヨツアシは悪くない。破壊力だけは時代に取り残されていない。
と、そんなことを考えていると――。
辺りの木々が揺れ始める。ざあざあと音を立てて、この場の異変を伝えようとしている。焚いておいた火は消え、辺りが暗くなる。なる、はずなのだが実際はそうはならず、二人の元に青白い光が降った。
病じみた光の元は上。それを見る。
生者すら連れてゆく天使の如き苛烈。
夜に溶ける蒼白。
死を孕む姫。
自らの不幸を嘆くようにゆらゆら、ゆらゆらと、しかし確実にこちらを見ていた。
最終更新:2015年04月26日 23:58