その村は俺たちを快く迎え入れてくれた。
趣味のいい服があった。しばらく旅をするのだからと買った。
そうだ、宿の飯は旨かったし、いい酒もあった。主人はもっといい人だった。
エクレーンも楽しそうにしていた。彼女はきっと、本当は最初見たような、快活で可愛い女の子なのだ。
絶望し俯く彼女はきっとあるべき彼女ではない。そう思った。
だからあるべき姿の彼女と居るのは心地よかった。
しばらく主人を加えて三人で酒を飲んでいたが、彼女は早々に寝てしまったので俺は酒場へ向かい、そこで出会った人々とも賑やかに飲み明かした。
この村はいい村だ。今度はカヌレ隊長もつれてきたいな、と思った。
それくらいに本当に楽しい村だった。
村だった。

今は違う。
赤々と色づく村を眺めていた。主人も死んだ。
目が覚めてすぐその景色を目にしたというのに、あまりに落ち着いている彼女を見てやっと意味が分かった。自分を不幸にするということ。
「慣れたけど、慣れないなあ」淡々としていた。
その悲しすぎる画を見て、唯一の当てがダメだったら、と考えてしまった。
考えれば考えるほど怖くなる。声を出す。
「逃げないと、いけないよな。」
「あ、うん、そうだ」不幸の顔。
きっと今の彼女の居場所はこっちなんだ。本来彼女を包むべき平和は身にそぐわないと感じているのだ。

頭上では骨董品、つまりヨツアシががイナゴと呼ばれるウェスティニアのアームヘッドに狩られていた。
ヨツアシが生き延びようと抵抗するほどに村は崩れていく。村を覆う火も強くなる。
本来、こんな辺境の地で起こることはないはずの戦いだ。本当に不自然で、それは青い不幸の存在をありありと示していた。

まずは逃げる。どこへかはわからない。ただ走っていれば多少安心できた。
きっとみんなそうなんだ。人の少ない村とは思えないほどに人うごめいている。落ち着きなく存在しない安全に向かって走っている。
後ろをついてくる彼女は違うのだろうが。

そこにあったひとつの不動のオブジェが一瞬自分の意識を奪った。
見上げると黒い蝶。大きな蝶。同じだ。そこで戦っている者たちと同じ災厄。
同じだろうか。いや、あそこで戦うのはただのガラクタか。人では遠く及ばないというだけのガラクタだ。不幸を成すために揃えられたガラクタ。
そこの黒い蝶は違う。人に使役される機械ではない。だがこれと同じものならやはり知っている。そうだ、青い不幸。あの青白く光るアームヘッドだ。あれと同じものだ。
同じだが、同じだが決定的に違うとすれば、あれは、処女だ。なぜだかわかる。饒舌に語りかけてくるのでわかる。
人を知らぬアームヘッド。だとすればあれと同じものは青白いアームヘッドなどではないな。あれはそこで燃える瓦礫と同じだ。

そう、処女の今は。
だとすれば、そうだ、だとすれば、あれは――。

だから逃げた。黒い蝶が自分を呼んでいる気がして怖くなった。
ぶつかり合うアームヘッドではなく黒い蝶から逃げていた。
なんてみっともないことだろうか。
エクレーンは黙っている。黙ってついてくる。

しばらく身を隠せそうな建物を見つけ、落ち着けた。
「ねえドロップ、ここでいいの」
答えられない。
「いいんだよ、逃げて。もっと逃げなきゃ。怖いものから」
「お前は、人を見捨てること、怖くないのか。逃げられる、のか」俺は怖いんだ。その罪悪感も。
彼女は少し考えた様子だった。
「私は、ほら、逃げなきゃ、死んじゃうから。それと比べれば、ね」笑顔と涙が入り混じっていた。
俺はもうそれ以上何も言えなかったし、彼女も何も言わなかった。

ほどなく轟音がした。見ればイナゴがヨツアシの槍に貫かれ、共に行動を停止していた。
予想外の結果だ。だがどうあれ、彼らの不自然な戦争は終わった。

終わったのだから落ち着こう。そうだ。
状況を整理する。燃える村の中で考える。
まずこの火だ。この火を消す必要があるな。罪悪感は怖い。
水、水はどこだ。
火を消そう、世話になったんだ。見捨ててはいけない。そう思う、虚像を作り上げた。

現実の俺は水なんて探してはいなかった。探すのは出口。不幸からの出口。青白いのではない。罪悪感より怖いものがあった。
情けなくても、黒い蝶を模す不幸から逃げなければ。
でもこれだけは。
俺はエクレーンの手を握る。強く、砕けるほどに。
「エクレーン」
彼女は頷いた。俺を慰めるような顔をしていた。罪の所在はドロップ・ルインにはないと、そういう目だった。

だから俺は悪くない、彼女も悪くないと、ふたりで逃げるように村を去った。
文字通り逃げた。

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最終更新:2015年04月25日 13:00