カハタレは、世界なんて欲しがらなかった。欲しがっていなかった。
あれはただ、俺に覚悟と行動を促してくれただけ。あいつは優しい。
サンパトリシアの二人の家で目を覚ました。
旨いメシの匂いで目を覚ます、ことはあまりない。隣で寝ている女は朝に弱い。
トーストと紅茶を用意して彼女を起こす。あの日から十三年たっていた。
メシを食って、それから少し散歩に連れて行った。木々は青く茂っている。
昼食は昔彼女が腕を奮って作ってくれたパスタを真似て俺が作った。
チーズとバジルの香りがよかったが、やはり敵わないと思った。
その夜は、ちょっと忙しかった。
彼女を寝かしつけた。朝に弱いから、起きられないと思う。
ごめん縷々姫、これだけは、楽しめなかった。それはそれは泣いた。
でも、それ以外は本当に楽しかったんだ。
不幸から解き放たれたあの子は本当に明るくてかわいかった。いたずら好きの女の子。勝気な女の子。歯を見せて笑うのが本当に可愛いかった。
最後は少し、弱っていく様子が辛かったけど、でも、それは彼女が自分自身の人生を謳歌した結果だと思えた。
だからいいと思いたかった。
でも本当は、しわくちゃになったエクレーンが見たかった。きっともっとずっと、可愛かったに違いないんだ。一秒前より今の方が可愛いって子だったから。
その点で言えば最期、浮気はしないで、なんて言っちゃうエクレーンは、やっぱり俺の知る限り一番可愛いエクレーンだった。
その日、カハタレは俺に昔話をしてくれた。
俺と出会ったころのことだという。あいつは自分のことを反抗期だったといった。
縷々姫から作られた自分は、自分じゃ干渉できない彼女の代わりの目っていう役割が気に食わなくって自由になりたかったんだといった。
だから世界を欲しがったりしてみたんだって、恥ずかしがってるようにも聞こえた。
それから、と付け加えるように、自分の名前の話をした。本当は縷々姫がつけてくれた別の名前があったといった。でも、彼女のつけた名前で過ごすのが気に入らなくって忘れたと。
カハタレは後悔しているらしかった。
励ましもせず、その話をしてくれた。
思い出なら、もうひとつある。
金食夜叉を叩き潰したあの牢の跡地。
「総帥殿、どうしようもない男のどうしようもないことに付き合ってくれてありがとう」ごめんとは言わない。
「なに、私も未だ折り合いのつけ方すらわからないどうしようもない男だ。私のほかにこの役だけは譲れない」
たったひとりの友と向かい合う。
プロトデルミスの壁越し。
白と黒の線がぶつかり合う。
始まり。鋭い脚と大鎌が体をなぞる。損傷は軽微。いつもそう。
橙を灯す。空間がねじれる。そんなものに、あれが巻き込まれるわけもない。
嬉しくなる。また強くなっている。どうしようもなく強い。
楽しい。
「総帥殿、これはいかがか」腕をかざす。空間がねじれる。今度は違う。百の出口。百のカハタレが顔を出す。
百のカハタレがスニグラーチカを襲う。ただのアームヘッドを襲う。
相手はそれをすべて躱していく。いなしていく。首を撫で、角を折る。器用に、優雅に。
光の矢を撒く。やはり当たらない。
「いかがもなにもないだろう、じゃれているのか?」
ならば、と空間の歪みを撒く。
歪みを介してスニグラーチカの視界から消えては現れ、消えては現れ、翻弄する。これにはさすがに完全に対応しきれない様子。少しずつ装甲を削り取っていく。
相手の腕を捉える。引きちぎる。すると雪娘はまるで待っていたとばかりに残った腕でカハタレの尾を掴み、アームホーンで切断した。
技が封じられてその後はもう、近距離で叩きのめしあう野蛮な、低俗な戦いだった。
足は砕け、翅も引きちぎられ、悲惨なものだった。
それで、やっぱり負けた。悔しい。
しばらくカハタレは動けないだろう。俺も目が見えない日々を送らなければならない。
まあ、そんなことより、伝えておこう。
「カハタレが起きて、目が見えるようになったらさ、旅をしようと思うんだ」
「そうか」
「この間、エクレーンが死んじゃって。だから、気分転換っていうか」
旅のことだけ話せればよかったから、目が見えるようになるまでの期間の宿を頼もうとしたところで。
「もう会えないんだろうな、寂しくなる」なんて言われてしまったのだった。
そのあと旅に出たから、やっぱりもう会わなかった。そのうち、新聞で総帥殿の死を知った。カヌレが死んだという実感にはあまり結びつかなかった。
別に長く旅する中で摩耗したわけでもなく、何も感じなかった。もうあの人とのことはすべて終わっていた。
長い旅の中で、カハタレという名前が寂しく思えてきたので、ワールズマインをわけてやることにした。
大事な相棒を彼は誰?なんて薄情すぎる気がしたから、俺の一番大事なものをわけてやることにした。
世界をくれてやれなかったから、世界を冠する名前をわけてやることにした。
そして、名付け親のことを思い出す。
結局まだ、お前より旨いメシを作る人と出会えていない。
それに、ちょっとお前のやきもち焼いてる顔も見てみたいって思うんだが、そんないい女もいない。
だから後者は諦める。
そのかわりに、お前より旨いメシを作る人を探すのに残りのとこしえを費やしてみようと思う。
「私より美味しいごはんー?」
「見つけてみなよ、絶対いないから!」
「あ、でも、見つけたら教えてよ!技を盗んでまた私がドロップの世界一になるから!」
なんて聞こえる気がして、腹が減った。メシにすることにして、気になっていた店を訪ねる。
定休日の報せ。なんか慣れてしまったが、こういう時思い出す。そういえば俺は縷々姫の不幸を請け負っているんだ。
なんかなあ、お前のことを思い出すだけで、不幸なんて、ひとつもない気がしてしまうんだ。
だからエクレーン。とこしえに、幸せな恋をしよう。
最終更新:2015年04月28日 14:55