◎The 6th Day Wonder◎

「ど、どういうことですか!?何処ですかここ!」
「落ち着いて下さい、といっても無理がありますね。繰り返すようですが、これが“ワールド・ナーブ”の本当の機能です」
セリアさんはそう言うと、僕の手を引いたまま、それでも僕を置いてけぼりにはしないような歩みでポップコーン屋さんに近づいていく。
そしてポップコーンを二つ頼むと、しっかりとお金も払い、そのうちのひとつを未だに状況が掴めない僕に差し出した。
「どうぞ」
「あ……そ、その……い、いただきます」
僕は今度もセリアさんが自分の分を食べだすのを見てからポップコーンをつまんだ。
……普通に美味しかった。
「どうですか?食感も味も、どこも違和感もないでしょう?」
「い、違和感……?」
僕はそこで、自分のポップコーンを疑惑の目で見つめた。まさか、今度こそ毒でも入っているのか。
セリアさんはそこで気付いたような表情を浮かべると、すこし苦笑いするように微笑んだ。
「ああ、大丈夫です。そういう意味ではありません。
 結論から言ってしまえば、ワールド・ナーブとは本来、私達が今いる仮想現実世界を構成・運営することの出来るネクスト・ネットワークシステムなんです。
 先程私が操作し、今も私達の左手首に取り付けられているこの装置は、貴方の部屋にもあった筈の端末と基本的には変わりません。
 ……ただし、人の意識をこのように“この世界”に招き入れる機能があるか否かの違いはありますが」
セリアさんの言葉を、僕は黙って聞いていた。そしてその意味を理解はできた。
しかし、単純に信じられなかった。確かめる意味も込めて、僕はポップコーンをもうひとつつまみ、食べてみた。
……やっぱり、どう考えても本物のポップコーンとしか思えない。美味しいし。
「折角の仮想現実世界ですから、私達だってお茶目はします。
 本物そっくりに仕立てあげた世界、景色、食べ物、物理法則……逆にそうでなければ、仮想現実である意味がありませんしね。
 ちなみに食物に関しては、脳が『味』『食感』として感じる要素を全て再現した電気信号によるものなので、
 感覚的には満腹中枢の一時的な外部信号によってお腹が膨れますが、現実に戻ると同時になくなりますし、そのような実体的栄養素もありません」
……セリアさんの言葉を難なく理解できたのは、僕が普段から本ばかり読んでいて、そのテの長い話に免疫があったからだった。
しかし、だとすれば、食べないのはそれはそれで惜しい。どうせ太らないんだし。
そう思ってから、僕は自分でも気付かない内ににポップコーンをつまむスピードを上げていた。
「ふふ、気に入ってもらえたようで何よりです。ダイエットにも有効ですよ」
セリアさんはそう言うと、自分もポップコーンをつまみながら、夜の街を歩き出した。
僕も置いていかれないようについていくと、セリアさんは「置いて行ったりしませんよ」と言ってくれた。
「ところで……ここがそういう仮想現実世界だってのは、まだ実感はできてないけど……まあ解りました。
 それで、セリアさん達はどうして、僕にこんなものを見せてくれるんですか?」
僕の質問に、セリアさんはこちらを向いて微笑む。
「そうですね、そろそろ本題に入りましょう。
 私達がどうして貴方をここにお招きしたのか。それは他でもなく、アリスさんが貴方を選んだからです」
セリアさんは、努めて凛とした口調で、まず結論を口にした。そして同時に僕が混乱した。
アリスさんがこの研究所の人だとはさっき聞いた。そして別室で眠っていることも聞いた。
でも、僕がアリスさんについて知っている認識といえば、やっぱりナーブで出会った女の子でしかないのだ。
僕は素直に「どういう意味ですか」と聞いた。
セリアさんは「聞いてて気持ちの良い話ではないのですが」と前置きして続けた。
「アリスさん……フルネームはアリス・アートレストさんと言います。
 彼女は元々体が弱く、長らく休養と治療を余儀なくされた生活を送っていました。
 あの日貴方と、いわゆるリアルミーティングを行ったのは、体調が安定に向かっているのを確認できたことによる一時外出の許可が出たからです」
……セリアさんの言葉に、僕は今度こそ言葉が詰まった。文字通り、どんな返事すらしたらいいのか解らない。
「彼女は元々地方の総合病院で治療を受けていましたが、彼女の容態は早急に回復するものではなく、
 ご両親による治療費の捻出にも限界が来たと聞きました。
 しかしニューエイジテクノロジー本社側の者が、アリスさんに研究開発に協力して頂くことを条件に、治療を費用込みで全て受け持つ提案をご両親に提案したらしいのです。
 そうして彼女はある日、本社の者に連れられて私達のいるこの研究所にやって来たのです」
僕はセリアさんの話を無言で聞いていた。正直なところ、そういうこと自体はよくある話だ、とも思った。
それが例えば、よくあるドラマや映画にあるような、露骨に悲惨な人体実験とかだったなら話は別だっただろうけど。
「私達は彼女の治療を進めつつ、具合が良い時を鑑みて、この仮想現実世界を含むワールド・ナーブの試遊をお願いしました。
 貴方も知っているように、ナーブシステムは日々アップデートを続けています。それは当然、デバッグや仕様、運用状況の改善を含みます。
 私達は彼女に専用の端末を用意し、試遊がてらに外部とのコミュニケーションが可能な環境も用意しました」
セリアさんの話を聞いているうちに、僕のポップコーンをつまむ手は完全に止まっていた。
あんぐりと口を開けている僕を見据えて、セリアさんは何処か哀しそうな微笑みをして言った。
「そして、あの日。彼女の容態が大分安定し、随分久しぶりに外出許可が出ることになった予定日。
 彼女はその日に、ネットワーク上のとあるチャットで出会った貴方と実際に会う決心をしたのです。
 一週間後をどれほど楽しみにしているかを話すアリスさんの顔は、それは嬉しそうな表情でした」
……ここに来て、僕は頭を抱えてうずくまりたくなった。
あの子にとって、あの日はそんなにも大事な一日だったのか。
何故よりにもよって、あの子が選んだのが僕みたいな暗い子だったのか。
実際あの日だって、クラスの奴に絡まれて色々台無しになったのだ。僕はあの時誇らしく思った自分を呪いたい気持ちで一杯だった。
「――落ち込まないで下さい。貴方がどのような行動をしたのか、私達は知っています」
不意に、頭の上に優しく掌が乗せられる。セリアさんの華奢な手は、僕の髪を梳かすように撫でた。
「私達とて、彼女ひとりを放っておく訳にもいきません。何かあった時の為に、常にガードを一定距離内に付き添いさせていました。
 ……貴方は、異常に気付いたガードが走りだすよりも先に、彼女を守るべく戦ってくれた。
 三対一だというのに、貴方は会って間もない彼女の為に、その体を張ってくれた。
 報告を受けた時、私は本当に嬉しくなりました。彼女の見る目は、微塵も間違っていなかったのだと」
セリアさんは僕の癖っ毛をくしゃくしゃと、それでいて優しく撫でながら、微笑んだ。
そして僕の顔を見据えて、その黄金の瞳で僕の瞳を覗いた。
「結論から言えばアリスさんは、もうすぐ完治できる容態にあります。
 しかし精神状態によっては、アリスさんの容態がまた悪化する可能性もあり得るのが現実です。
 あと二週間。よろしければ、どうか貴方に彼女を支えてあげて頂きたいのです。
 厚顔なお願いなことは重々知っています。それでも――」
セリアさんはそう言うと、僕に向かって深々と頭を下げた。
僕は、しばらく考えていた。
こうなる前の、何の変わり映えもしない、灰色の日々を。
何の可能性もないような、ただ端末の向こうに「誰か」がいればそれでよかった日々を。
――僕は、決めた。

「ん……」
寝顔に見とれている内に、アリスさんが起きた。
あわてて何もしていない風に装うと、アリスさんは目をぱちくりさせていた。
「……セントさん……どうして……?」
僕はちょっと照れながら、アリスさんに目線を合わせて言ってみた。
「退院……だっけ。それまで残り二週間。ここに居させてもらうことにしたんだ。
 何かして欲しいことがあったらなんでも言って。僕に出来ることならなんでもする」
少しでも頼りがいのあるように見えるように、ガッツポーズをしてみる。
……我ながら頼りないことに、上腕はおろか前腕すら微塵も膨らまなかった。
「……いいの?セントさん、家に帰らなくても……それに、学校も……」
状況を察したのか、アリスさんはどこか怯えるようにそう呟いた。
「そっちの方はなんとかするってセリアさんが言ってた。それに、あんな学校なんかたまにはサボらないとやってられないよ」
僕がちょっとワルっぽく片目を瞑ると、アリスさんはぽかんとした顔を緩めて――
――顔を俯かせて微笑みながら、おずおずと、僕の右の掌を両手で握りしめた。

「そういえば……言ってなかったね。お誕生日おめでとう、セントさん」
――そうアリスさんに言われて、僕はやっと自分で気付いた。
我ながら間抜けだ、と思った。


◎Hello, Wonderland...◎

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2015年05月13日 16:32