◎The -1 Day Wonder◎
◎My Heart

――忘れもしない。それは丁度小気味よく、最後の一週間の月曜日。
そうしてボクらの運命は、微塵ほどの容赦もなく、ただ歯車のように動き出した。

◎◎◎

……僕は左腕手首のコンパクト端末に搭載された時計を見ながら、首をかしげた。
時刻の概念は、現実世界が忠実に再現されたワールド・ナーブでも当然変わらない。
約束だと、午前10:00にアリスがこのセクション08の都市部、
今僕がいる自然公園のベンチにログインする筈だった。

端末に表示された数字は、午前10:45を差している。
昨日、現実の部屋でアリスのお見舞いに行った時には、彼女は大分回復したような様子で、ゆったりと僕に歩み寄ってきたのだ。
というか正直、患者用のパジャマさえ着てなければ、健常者に見えないこともない程だった。

……まさか。そんなはず。
僕は、考えたくもなかった可能性に思考が至ると、ごくりと唾を飲み込んだ。
何の根拠もない不安を振り払おうと、僕はついさっき買ったシェイクを啜って、景色に目を向けた。

……そんな僕の抵抗も虚しく、不安は見る見るうちに膨れ上がった。
いてもたってもいられず、僕は左手首の端末の、ログアウトキーを叩いた。
すぐに現実に戻って、アリスが無事かを確認しないと。

……。
………。
…………ログアウトが、実行されない。

「……なんで……なんで、どうして!?」
一瞬で思考が混乱し、冷静さが何処かへと飛んでいった。
何度も何度もログアウトキーを押すも、それはかちかちという虚しい音を立てるだけで、
決して僕を現実世界へと引き戻してはくれなかった。
――何が。何が起こっている。

僕はどうすることもできずに、ただ周囲の景色を見渡した。
そこには当然、約束の場所の自然公園が広がるだけ。
僕は混乱したまま、ナーブ世界を突破するべく走りだした。
しかし、どこかで解りきっていた結論の通り、ここは仮想現実世界。
ある境界を抜けたら現実へ、なんてことはあり得なかった。

どこまで走っても、そこにはその世界の一部分が当然のように広がるだけ。
仮想現実である以上、この世界に逃げ場はない。
思わずがっくりと膝をつきかけたその時、僕はあることを思い出した。
以前セリアさんから教えられた、端末に搭載されている緊急時のSOS機能のことだ。

「ログインした後にログアウトが出来ない、もしくは他の問題が発生した時に使って下さい」
――確かにそう教えられた通りに、僕は端末の右横、赤く小さなスイッチを押した。
すると、二重構造になっていた端末の後ろ半分が右にスライドし、そこには厚みの薄い四角のスイッチがあった。

すぐにそのスイッチを押すと、端末の画面表示が変わった。
そこにはメッセージボックスが展開され「Emergency Call」の文字が表示されている。
そして2秒たたない内にその文字がオートで書き換えられ、
「Emergency Logout-System Start!」になった。

――その瞬間、いい加減慣れ始めていたログアウト特有の意識の混濁が僕を襲った。
僕は少しだけ安堵して、直後にアリスを思い出し、更にその直後に意識を失った。


――意識が、再び戻る。
端末を見て「Logout」の文字が表示されていることを確認すると、
僕はすぐさま自室のベッドから飛び上がり、そのままドアを開けた。
そして誰もいない廊下を走って、アリスのいる部屋の前までつくと、
そのまま思い切り開けようとして思い留まり、静かに開けた。

「――え?」

僕は思わず、そんな間の抜けた声を漏らした。
でも正直、この時ばかりは当然だった。
だってそこには、誰もいなかったのだから。

確かにアリスの寝ていたベッドはある。
アリス専用の、左手首のとはまた別に用意された、市販の通常端末も確かにある。
けれど、それでもアリスは何処にもいなかった。
まるでそっくり彼女だけがこの現実世界から消え去ったように、
彼女の部屋は痕跡をそのままに、もぬけの殻となっていた。

――何が、起こっている。
先程抱いた疑問が一瞬で戻り、同時に混乱も帰ってきた。
僕は誰も居ない部屋から出ると、セリアさんを探して廊下を走った。
特に何もなければ、あの人は施設長室にいるはず。
僕はまっすぐに施設長室を目指して走り続けた。
……その間、不穏なことに気付いた。

普段、廊下やそれぞれの研究室にいるはずの研究員の人達を、一人として見なかった。
まるでこの施設から、僕を残して人が全員いなくなったかのように感じた。
自分の中で膨れ上がる、意味の解らない恐怖と不安を抑えつけながら、
僕は廊下の突き当りに見えた、施設長室のドア目掛けて走った。

「――すみません!」
そう叫びながら僕は恐怖のあまり、今度こそ勢いのままにドアを開け放った。
はあ、はあ、と息を切らす僕の姿を、真正面の椅子に座っていたセリアさんが少し目を丸くして見ていた。
……そして気を取り直したような表情を見せると、椅子から立ち上がり僕の前まで歩いてきた。

「あ、あの、はあ、はあっ……」
「落ち着いて、無理に喋らないでください。どうぞ」
セリアさんが差し出した水を受け取ると、僕はまるでヤケ酒のように一気に煽った。
「はあ……」
少し息と落ち着きが戻ってきたあたりで僕が口を開こうとした時、
セリアさんが先に言葉を発した。

「貴方を待っていました、セントさん。
いきなりドアを思い切り開けられたのは、流石に少し驚きましたけど――」

セリアさんはそう言うと、さっきまで座っていたイスの後ろまで歩いて行く。
そしてデスクの上に置いてあった専用端末のキーボードを慣れた手付きで叩いた。
途端、すぐ後ろの壁に直線的な亀裂が入り、壁は真横にスライドして、
全く雰囲気が違う、金属色の目立つ廊下へと繋がる『扉』になった。

「――貴方に、お見せしたいものがあります。ついて来て頂けますか?」

……その表情は。
いつも通りの穏やかな、それでいてどこか虚無じみた微笑みだった。


◎Hello, Wo derl nd...◎

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2015年05月13日 16:36