◎The -3 Day Wonder◎
◎Closer to the Truth◎

「――。」

……何も、言葉が出なかった。
その光景を前に何らかの思考が出来る程、僕の頭はよく出来てはいなかった。
セリアさんに導かれるままに辿り着いた、異世界の更に奥。
拳2個分ほどの厚さの巨大な扉がスライドして、向こうに見えたモノ。
僕は絶句したまま、その前まで歩み寄った。

――円形の、あまりに広大な空間の中央。
――緑色の液体で満たされた、下半分が機械と一体化したような円筒状の水槽。
――その中に浮かぶ、白く、細い肢体。

まるで死んでいるかのように、彼女はぴくりとも身動きせずに停滞していた。
僕は頭が真っ白になったまま、無意識に水槽に手をかけた。

「あ……あ――」

脳が、その名前を呼ぶことを本能で拒否する。
目の前で停滞している彼女を、その少女だと認めることを否定する。
それでも、僕の喉は。
僕の視界が捉えて離さない、この先忘れもしない、
黒くて短い髪を揺らめかせる少女の名前を、確かに絞り出した。

「――アリ、ス……?」

「……」

僕の呼びかけに、アリスは微塵の反応も示さなかった。
そもそも聞こえていないのか、静寂の空間に返ってきたのは、気泡が揺らめく小さな音だけだった。

「私達の目指したモノは、最早眼と鼻の先まで届きつつあります」
――背後から聞こえる、セリアさんの声。

「――」
僕は無言で、振り向かないまま、セリアさんの言葉の続きを待った。
それを察したのか、セリアさんはそれ異常歩み寄ることもなく、言葉を繋いだ。
「この世界に確かに存在する、人との繋がりを得られない者達。
私は彼ら全てを救済する為に、ここまで来ました。いや、来てしまった」

「人はどうしたって、誰かと共にいなければ生きてはいけない生物です。
孤独であればある程に、彼らは人の存在に飢え、苦しみ、嘆き、嗚咽をこぼしながら生き続ける。
何処までも届かない夢を見ながら、そうして灰色の世界を歩き続ける。
――だからこそ、私は気付いてしまったのです」

「――世界が、私達を拒むのなら。
世界を、私達も存在できるように、拡張してしまえばいい」

僕はそこで、セリアさんに振り返った。
セリアさんは変わらず僕との距離を保ち、変わらずそこに立っていた。
――ただ、その黄金色の瞳の奥に、これまで見たこともないような虚無を宿らせて。

す、と黄金の瞳が僕の瞳と合う。
無限の虚無が、僕の瞳の奥、心を鷲掴みにする。
「人というものは、一度手に入れたものを捨てられない性分です。
私達が提供したワールド・ナーブシステムを、世界は見る見るうちに享受しました。
まるで我が物顔のように。そして……何の疑いもなく」

「この世界はあっという間に、ナーブがなくては存在できないものへと変貌しました。
それこそが、私達の追い求めた夢へと繋がる未来だと気付かないままに」
……何を、言っている。
僕は思わず後ずさりしようとして、すぐ後ろの水槽にぶつかった。
まるで、セリアさんからアリスを守るように。

「――世界は、ここから変わるのです」

僕の見ている前で、セリアさんが右腕を胸の高さに持ち上げる。
その手首には、僕とセリアさんの左手首にあるものとはまた違った端末が取り付けられていた。
小さなキーボードが取り付けられた、まさに縮小した一般端末のような形状だった。

僅か数秒。
セリアさんが左手でそのキーボードを高速でタイピングし、何かを入力した。
――途端、鳴り響く電子音声。それはアラームめいたものではなく、
まるで意図的に僕の危機感を煽るかのような、耳を劈く不協和音。
何も言葉を返せないままの僕をよそに、この空間そのものから駆動音がした。

――ごぼごぼ、という音が、後ろから響いた。

咄嗟に振り向く。
アリスのいる水槽内の気泡が、唐突に増加していく。
音量の肥大化していく駆動音。見る見るうちに気泡まみれになっていく水槽。
――僕は本能的に抱いた危機感のまま、水槽を叩き、叫んだ。
「アリス!起きて!アリ――」

「――!」
溢れかえる気泡の中で、アリスの瞳が開く。
水槽の中で、音が届かないままに、唇だけが動いた。
「――」
そして苦しそうな表情を浮かべると、僕に向けて手を伸ばし――

「あ――」

……それから僅か2秒も満たない間に、全身が消失して、
「いなくなった」。

「――」
誰もいなくなった水槽。
再び元の音量に戻る駆動音。
変わったのは、この空間からひとり、消えたことだけだった。
……くる、と後ろを振り向く。
そこには、瞳を細め、まるで聖母のように穏やかに微笑むセリアさんがいた。
「――何をしたの」
僕は震える声で、彼女に聞いた。

「還るべき場所に、還って頂いたのみです」
セリアさんはそう言うと、両手を目いっぱいに広げた。
それが、この施設全体を指差していることを、僕はすぐに察した。
「アリスさんなら、何処にでもいますよ。
貴方のすぐ側に。私のすぐ側に、世界中の、誰の側にも。
――これまで通り」

「アリスさんは元々、この施設の人間だった……私は以前、貴方にそう言いました。
あれは紛れもない事実であり、そしてあれこそが唯一の事実です。
――端的に説明しましょう。
貴方の知っているアリス・アートレストは、数えて57人目にあたるのです」

――57人目?意味が解らない。
僕がその言葉を脳内で処理できない内に、セリアさんの言葉は容赦なく紡がれた。
「ワールド・ナーブを運営するこのアザーフォビアには、中枢たるAIが存在します。
そのAIは、私達がこれまで作り上げたモノの中でも間違いなく最高の産物といえるでしょう」

「もうひとつ世界を運営できる程に優秀な、
自律しつつも一定のルーチンを実行できるAIを作るにはどうすればいいのか。
そんなことは、それこそ遠い過去の時代から結論された答えの通りです。
――即ち、人の思考をAIとして調整すればいい」

「アリスさんのオリジンは元々、何らかの理由で両親によって売られた少女でした。
私達は彼女を引取り、遺伝子サンプルを採取した後、
『病気の治療と医療費捻出の為にここにいる』という偽りの記憶を与え、様々な思考実験をさせた後、
そこの装置を使ってナーブシステムの中枢に組み込んだのです」

「実験は成功でした。
中枢AIは、彼女ひとりを取り込んだだけで、爆発的な進化と自律を遂げました。
それから我々はサンプルを元に彼女を複製し、その度に偽りの記憶を与え、
そして新しい思考や行動を確認・観察した後に、ナーブシステムに組み込んでいったのです」

「――そして。
アリスさんを57人目として取り込んだナーブシステムは、
たった今、完全なるシステムとして確かに完成したのです。
最初に貴方に二週間とお願いしたのは、彼女をデータに変換するまでの間、
『外の誰かと会いたい』という新たな行動を起こした彼女の思考を安定させるためでした」

「貴方には感謝しています、セントさん。
始めて外の世界を味わった彼女に、貴方は何処までも一緒にいてくれた。
始めて出会ったあの日から、今の今まで――」
……僕はその時点で、もう抑えが効かなかった。
絶叫しながら、涙を流しながら、セリアさん……いやセリアに飛びかかり、掴みかかった。

そのままの勢いで引き倒し、馬乗りになる。
僕は感情のまま、セリアの首根っこを引っ掴み、顔面を腕力のない腕で殴り飛ばした。
「……よくも……よくもそんなことを!!よくもアリスを!お前は……!」
頬の痛みをこらえつつも、セリアは静かな口調で言った。
「おそらくは、こうなるだろうと思ってはいました」

「――ですが、私とて今更引き下がれません」
そう言うが早いか。
セリアはまるで女性とは思えないほどの力で僕を跳ね除けると、
そのまま僕の鳩尾に高速で蹴りを入れ、静かに立ち上がった。
息が出来ずにのたうち回る僕の耳に、セリアの歩み寄る足音が届いた。

何とか四つん這いになって顔をあげた僕の眉間に、冷たいものが突きつけられる。
……漫画でしか見たことのない、黒い拳銃。
それが玩具などではないことは、この状況と、セリアの無感情な黄金の瞳が無言で語っていた。
「――システムは完成しました。正直なところ貴方は用済みです」

「――ですが、貴方はシステムの完成に大いに貢献してくれました。
せめてものお礼に、私からのささやかな贈り物があります」
そう言うと、セリアは拳銃を僕の眉間から離さないまま、
ポケットから何か小さな端末のようなものを取り出すと、それを無造作に僕の首に突き刺した。
――違和感。

親指ほどの大きさのものを刺されたのに、微塵も痛くない。
むしろ、何か足りなかったものを返されたような、奇妙な一体感。
僕は拳銃の存在すら忘れて、思わず端末の刺さった自分の首を触ってみた。
――え?

「思い出しなさい。貴方が“誰”だったのか」

セリアの無感情な言葉と共に。
僕の意識はいつかのように、暗い闇へと沈んでいった。


◎Hello, Wo rl nd...◎

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最終更新:2015年05月13日 16:43