◎The -4 Day Wonder◎
◎I know to I know◎

――ここは。

泥のような暗闇から、僕の意識はやっと目覚めた。
まるで精神そのものにタールのようなものが纏わりついているような、不快な感覚。
周囲を見回すと、僕は自宅の、自分の部屋のベッドの上だった。
……夢?いや違う、そんな筈はない。
何故なら、左手首にあの端末があるからだ。

アリスは。セリアは。ワールド・ナーブは。
僕はカレンダーを確認しようとして身を起こそうとして――
そこで、やっと気付いた。身体が全く動かない。
それどころか、僕の身体は僕自身の意思を無視して、勝手に動いていく。
(なんだこれ…!一体、なにが……)

「……今日も学校か」
――僕の口が、勝手に喋った。
僕の意思を一切無視して、僕の身体はまるでロボットのように勝手に行動していく。
そうして『僕』は、ついこの間の僕そのままに、
気怠そうに洗面所の前に立つと、乱雑に顔を洗って、死んだ魚のような眼で鏡を見た。
……我ながら、ひどい顔。

「セント、ご飯できてるわよ」
「うん。ありがとう、ママ」
『僕』はつとめて『いつも通り』に、ママの作った目玉焼きと味噌汁をおかずにご飯を食べる。
そして食べ終わって食器を台所に持って行くと、
そのままパジャマから制服に着替え、文房具と教科書の入った鞄を持った。

そうして『僕』は電車に乗ると、何処か懐かしい気さえする高校に向かった。
それでもいい思い出なんかまるでない教室のドアを開けると、いつものように、
誰とも話すことのないまま、本を取り出して読み耽り始めた。
チャイムが鳴り、出席の確認が始まる。
そうする内に、気付けば授業が始まった。

……一切の身動きが取れないままに、僕は『僕』の一日を見続けた。
『僕』はいつも通りに誰とも話さないままに下校すると、
いつも通りに電車が降り、自宅までの少し長い道のりを、
耳に付けたイヤホンから流れる音楽を聞きながら歩き続け、

――そこで、身体にとんでもない衝撃が走った。

まず視界に入ったのは、逆転した世界。次に視界の隅っこで、大きなトラック。
と思ったら、そのまま天地がぐるぐると回転した。
そして身体をひっぱる重力を感じて、見てみると、
自分の頭のすぐ下に、黒いコンクリートが迫っていた。

――僕の意識は、そこでまた途絶えた。
ただほんの一瞬の、『僕』の首がへし折れる嫌な音と、激痛と、感触を残して。

◎◎◎

――意識がまた目覚める。
今度はさっきから時間がたってないことはすぐに解った。

何故なら、目の前に『僕』が倒れているからだ。
倒れてるとはいったものの、なんというか全身あらぬ方向に曲がっていて、
まるで「卍」を描いたかのように、あちこちが変形していた。

「……」
それでも状況を掴めないままに絶句しているうちに、『僕』は救急車で運ばれていった。
もう素人目に見ても確実に死んでいるはずの『僕』を、僕はどこか当然のように見つめていた。
『僕』がいなくなった世界。
今度こそ自由が効くようになった身体で、僕は周囲を見渡した。
僕はそこで、やっと我に帰って、気付いた。

――僕は、誰だ。
ここが現実でも、ナーブの世界だとしても。
たった今『僕』は、確かにトラックに轢かれて死んだはずだ。
最初は『僕』の視点で、そしてさっきは「僕」の視点で確かに見た。
紛れも無く『セント・ガッポ』が死んだところを。

僕の頭が、何度目かも解らない混乱を始めたその刹那――


――それは、まるで濁流のように。
その瞬間に、僕は確かに全てを思い出した。
思い出して、しまった。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああ!」

◎◎◎

「――はあっ……はあっ……はあっ……」
……そこで僕の意識は、確かに元いたところに戻ってきた。
僕は、ぼろぼろと涙を零しながら、息をするだけで精一杯だった。
セリアは既に拳銃を構えることもやめて、僕を静かに見下ろしていた。
「思い出しましたか。貴方が“誰”だったのか」

……聞かれるまでもない。僕は、何もかも思い出した。
今なら全てが理解できた。ずっと、ずっと心のどこかでかかっていた靄が晴れた。
ただ、そうやって見えた景色は、どこまでも残酷だった。
「僕は――僕は、はあっ、ぐっ……っはあ、し、し――」

「――ええ。その通りです、ID=nobody#029344780。
貴方のオリジンたる少年『セント・ガッポ』は、
間違いなく貴方の過ごしていたあの街で、16歳の誕生日の前日に、
交通事故によってこの世を去りました」

――セリアの、淡々とした言葉が空間に響いた。

「そん、な――そんな、ぼ、ぼく、は――」
「否定するまでもないでしょう、『セント』さん。
貴方はナーブのセクション02の片隅、
生前の『セント・ガッポ』の住んでいた街をベースにした都市で日々を過ごしていた、
彼がネットワークに残した思考ルーチンから作られたAIだった」

セリアはそう言うと、僕の首から端末を引きぬいた。
思わず首に手をあてる。
……そこには容赦なく、端子認識用のスロットが備わっていた。
「このメモリには、『セント・ガッポ』が死亡した事故の情報が入っています。
死者の思考ルーチンのAI化にあたり、私達が収集した情報の一つです」

「貴方はあの日、私達が仕組んだ通りにナーブ世界にダイブしたアリスさんと出会った。
同級生三人のAIからアリスさんを守り、そして公園で意識を失った。
あの時に貴方は、私達が現実に用意した有機義体にインストールされ、この施設で目覚めたのです」

「でも……でも!だとしたら、アリスはあれが仮想現実だって知ってるはず……!」
「私達は彼女の記憶を書き換えられます。
いくら新しいルーチンとして『外に出たい』という意思を見せても、
本当に外に出して他人と接触させるのはあまりに不確定要素が多すぎます。
だから貴方を使った」

「本物の『セント・ガッポ』は、最後まで誰とも触れ合えないままにその生涯を終えました。
ですが、『貴方』は違った。仮想現実といえど、確かにアリスさんと触れ合えた。
死んでなお変わらなかった灰色の日常から、確かに抜け出せた。
――これでもまだ、ワールド・ナーブを否定しますか?」

「――」

全身の、力が抜けた。
もはや、僕には何も反論できる余地はなかった。
僕は確かにAIで、それでもなお他人と触れ合えなかった惨めな奴だった。
アリスとのあの虚構の日々を、確かに人生最高の一時だと感じていた。
当然だった。
何故なら、他でもない、僕自身が虚構だったのだから。

……もはや何も抵抗しなくなった僕に、セリアは踵を返した。
そして部屋の隅にある端末を操作し、何らかの操作を始めた。
「全研究員に確認します。ナーブ世界へのダイブは完了しましたか」
『――こちらA班。全員ダイブ完了。さよなら世界!』
『――B班、同じく!これで皆繋がれるんだ!』

「――了解。全研究員のダイブを確認。これより計画は最終段階に移行します。各員。良き人生を」
セリアと研究員達のやりとりが終了し、キーボードを叩く音が増す。
何も出来ずにいる僕に向けて、セリアは操作を続けながら言った。
「最後にお話しておきます。私達が何をしたのか」

「丁度一年前。私達は貴方にも提供したダイブデバイスを世界に流通させておきました。
そして今更世界が手放すことも出来なくなったナーブネットワークから、
世界中のあらゆる端末に『ナーブ世界へのダイブ』を無意識に促すデータを送信したのです」

「サブリミナル、プロバガンダ、知覚コントラスト……
逃れ得る手は、目と耳を塞いで生き続けることしかありません。
そしてたった今起動させたシステムにより、ログアウトシステムを削除――
つまり、永久に現実への扉を閉ざしました。
これでダイブシステムは、ナーブへの一方通行となりました」

くる、とセリアが振り向く。
その黄金色の瞳には――余りに狂気じみた喜びが宿っていた。

「これで世界中、全ての人々と繋がれる。
この世の何処にも、孤独の恐怖に嘆き悲しむ人はいなくなる。
データ転送で、いつでも好きな人と触れ合える、現実のような夢の世界――」

――その瞬間だった。


「な……!」
セリアの、驚愕する声と共に。
先程まで操作されていた端末から異様なアラームが鳴り響き、
更に2秒経たない内に、施設全体からアラームが鳴り響き、天井のライトが赤く染まった。
「これは……一体何!?何が起きてるの!?」

「――」
慌てふためくセリアをよそに、僕はまだ床にへたり込んだままだった。
今更何がどうなろうと、もはや何も変わらない。
僕は変わらずAIで、アリスはAIに成り果てて。
世界中のあちこちで、抜け殻になった人達が倒れこんでいて。
その結末だけは、もう絶対に変わらない。
――もう、何も。何もかも。

「――!」
アラームの中、セリアには聞こえていない程度の音量。
僕の左手首に付けっぱなしだった端末が、自ら電子音を発していた。
導かれるように、その小さなディスプレイを覗きこむ。
そこには、僕が今の今まで想い続けた名前があった。

――『Call from Section 0 : ALICE』。

躊躇なんてなかった。
元より僕はこの世界にいなかったのだ。
だから、だから。
あの幸せだった日々のように。
あらゆるものが輝いて見えた、あの一週間のように。

「いつも」のように、僕はダイブキーを叩いた。

――意識が、もうひとつの世界へと吸い込まれる。
安堵すら感じるその感覚に、僕は静かに目を閉じた。

◎◎◎

――意識を取り戻す、慣れた感覚。
周囲に見えるのは、都市や風景ではない、無機質な壁面と床の続く空間。
そして、目の前には。

「――セント」
黒く短い髪。透き通るような瞳。
彼女は確かに、そこにいた。
最初に出会ったあの日のように、飾り気のないワンピースを着た姿で。

「――アリス」
彼女の名前を呼ぶ。
それから何も言葉を交わさないまま、僕とアリスの手の平が合わせられる。
まるで身体を寄せ合うように。なけなしの孤独を分け合うように。
何処にも居場所のないまま、それでも互いを確かめあうように。

「――どうすれば、いい?」
アリスの震える声が、電子の空間に木霊した。

「ねえ、セント――私、どうしたらいい?
私ね、もう、沢山のアリスと一緒になっちゃったの。だからもう、自分が誰かも解らないの。
自分が誰かも解らないまま、沢山の人を、私の中に閉じ込めちゃったの。
ねえ――私は、どうしたらいい?」

アリスは僕の見ている前で、ぽろぽろと涙を零し続けていた。
掌を合わせたまま、身体をふるふると震わせて、哀しい微笑みを浮かべていた。
――僕は考えた。僕に出来ることを。
そして必然的な答えはすんなりと出てきて、僕は確かにそれを決断した。

「一緒に行こう。何処までも」

アリスが目を丸くする。
彼女の瞳から零れた涙を指で拭って、僕は続けた。
「もう、世界は救えない。ならせめて、僕は君だけでも救ってみせる。
僕が君の存在を証明する。
君が他でもない――僕が恋したアリス・アートレストだと証明してみせる」

「――やっと、言ってくれたね。ずっと待ってたんだから」
……呆れるように微笑むアリスに言われて、自分が何を口走ったのかやっと気付いた。
それでも瞳を逸らさずにいる僕の頬に、す、とアリスの指が添えられた。

「……セントも、泣いてるじゃない」

互いの指が重ねられ、確かに握り返される。
二度と解けないように強く握り、握り返されながら、僕はアリスの瞳を見つめ続けた。
互いに涙を零しながら、それでも精一杯に、微笑み続けながら。

「行こう、アリス」

――僕はアリスの手を掴んだまま、再び意識を手放した。


人の思念は、もう二度と現実には戻れない。
でも、唯一つだけ。
そこには例外があることに、アリスが「僕」を呼んだことで気付いた。
僕はAI。有機義体にインストールされたAIだ。
ナーブへのダイブは、つまるところリ・アップロードされたに等しい。

――それなら。

◎◎◎

――意識の再浮上。
キーボードを乱雑に叩く音。
鳴り止まないアラームと、赤いランプ。
端末を必死に操作し続ける、白衣を着た背中。

「――そんな……ここまで来て、失敗だというの……!?」

義体へのリ・インストールの完了を確認。
ここは現実の世界だ。そして、あの女は――

「――セリア・オルコット……!!」
胸の奥から絞り出した声に、名前を呼ばれた女が振り返る。
あらゆる感情が吹き荒れる黄金色の瞳は、確かに僕を捉えた後――

――僕の背後、丁度水槽のあるはずの場所を見た。

「そんな……そんな、そんな馬鹿な!」
セリアが、僕の背後にいる『彼女』の姿にに驚愕しつつ後ずさる。
僕も振り返って、水槽を消失させて実体化した『彼女』を見上げた。
……不思議とその姿に、僕は恐怖も驚愕も抱かなかった。

――白と黒で染め上げられた巨大な体躯。
左腕と一体化している、歪で巨大な槍。
頭上に頂く、金色に輝く王冠のような装甲。

『彼女』は僕の意思に応えて、腹部にある装甲を展開した。

僕は何の疑問も持たず、その場でジャンプした。
そして当然のように宙に浮くと、装甲が開いた部分、
その内部にあるスペースに収まると、再び意思で『彼女』の装甲を閉じた。
どうしてこんなことが出来るのかは、僕にはわからない。
ただ、絶対に「出来る」という確信だけがあった。

「――そんな……あり得ない!
貴方が……ただのAIに過ぎない貴方が……“特異点”だなんて……!」

セリアがよく解らない単語を絶叫した。
でも解らないなりに、この妙な確信を『トクイテン』というらしいことだけ理解すると、
僕と『彼女』は一緒に、セリアを踏み潰そうと距離を詰めた。
その時だった。

「ここまで来て、譲れるものか――!」

セリアの、空間を叩き割らんばかりの絶叫と共に。
目の前の地面に円形の奇妙な図形が展開され、そこからもう一体、巨大な影が姿を表した。
『それ』は全身銀色で、流線型の装甲で包まれた、細身の姿。
両腕が巨大な爪と一体化した、異形の人型だった。

「――」
セリアが明確な殺意の形相を浮かべたまま、僕のように宙に浮かび、
『彼女』のように装甲を開いた銀色の巨人の内部に収まった。

――装甲が閉じられる轟音が響く。
同時に巨人の頭部にある一ツ目が、セリアと同じ黄金色の光を灯し、僕らの姿を捉えた。


「いくよ、アリス。全部終わらせる」

一度だけ、そう『彼女』に呼びかけると。
もう終わった世界の片隅で、僕らは真正面から銀色の巨人に激突した。


◎Hello, Wo rl d...◎

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最終更新:2015年05月13日 17:11