◎The -6 Day Wonder◎
◎まだ遠く未来の声 キミと唄うこの聲◎

――どこまでも、青い空。果てしなく続く草原。
はるか向こうにうっすらと、僕らの住んでいる街が見える。
胸いっぱいに吸った空気は、どこか青臭い草の香りがして。
肌を優しく撫でるそよ風は、バスケットを提げるアリスのワンピースを、僅かに揺らした。

広い草原に、ただひとつ、ぽつんと大きな木が立っていた。
何十年も前から立っていたらしいその木の下で、僕らはため息と一緒に腰を下ろした。
お腹のすいていた僕は、アリスがバスケットを下ろして中身を取り出すのを、今か今かと待っていた。
くす、と吐息だけでアリスに笑われて、顔が熱くなった。

卵やハム、レタスにトマト入り。
アリス特製のサンドイッチの美味しさに、僕は思わず我を忘れてもくもくと食べた。
おいしい、と素直な感想をいうと、アリスは嬉しそうに微笑んでくれた。
……不意に喉をつまらせて、側に置いてあったお茶を飲んだ。

「――あ」
思わず手にとって飲んでしまったのは、アリスの分のカップ。
どぎまぎして、横に座っているアリスのほうを見る。
すると、僕はよほどヘンテコな顔をしていたらしく、
アリスはちょっと我慢した様子を見せた後、ついに小さく吹き出してしまった。


どこか温かい日差しと、そよ風に頭を撫でられながら。
僕らは満腹になった満足感の中で、
手を繋いだまま、

――微睡みに落ちた。

◎◎◎

――そんな微睡みから、瞼をあける。
正直なところ、まあそんなところだろうなと思った。
いくら僕だって、いい加減に慣れてきた。
あれは夢だ。
僕がきっと最後に見た、一番幸せな夢だ。

いつかの朝のように、僕は気怠そうに身体を起こした。

「……」
すぐ横で、セリアが倒れていた。
きっと、もう二度と目覚めることもない。
あの虚無を宿した黄金の瞳を湛える、機械のように丹精だった顔は、
今は微塵ほどの面影も残さずに、無数の肉片と骨片に成り果てていた。
銀色の髪はあちこちに皮膚ごと散らばって、血で赤く染まっていた。

僕の背丈が小さかったせいだろう。
あの時に地面と先に衝突したのがセリアの頭だったらしいことを、僕はやっと理解した。

最期まで他人を繋がろうとした女は、
自分で作り上げた楽園にすら置き去りにされて、独りで死んでいた。
出来過ぎた結末だ。笑えない事実に、僕は溜息をついた。

アラームは、まだ鳴り響いている。
僕は、止め方を知らない。
だからきっと、誰も永遠に止められない。
誰もいなくなったこの施設の片隅で、この場所は完全に停滞した。

もう、留まる理由もない。
アリスの巨躯が忽然と消えているのを確認すると、僕はよろよろと歩き出した。

――ふと、通りすぎようとしたすぐ横の物体が目に入る。
それは沢山の金属のカプセルのようなものが配置された、訳のわからない装置だった。
手を伸ばして、そのうちひとつのカプセルを抜き取ってみる。
そこにはカードが貼られていて、「DNA sample:Alice Atrest」の文字が入っていた。

……僕は、それをボロボロになったジーンズのポケットにしまった。
どんな意図があったのかは解らない。
もしかしたら、かつてアリスだった確かなモノだけでも、せめて外に出してあげたかったのかもしれない。
硬い金属で出来たそれは、ちょっとの衝撃じゃ壊れない感じがした。

……不意に、激痛で歩みが止まる。
いくら衝撃を逃せたとはいえ、やっぱり身体の節々が痛い。
でも、まあ我慢できない程度でもない。さっきの地獄に比べればまだマシだ。

僕はたった一週間の間に歩き慣れた記憶を頼りに、
施設の東側、出口に向かって歩き出した。

「……はは。あは、は」
倒れそうになる身体をとっさに壁で支えながら、僕は力なく笑った。
人間は本当にどうしようもなくなると笑いが出るというのを、初めて知った。
勝ったのはいい。
助かったのも拾い物だ。
でも、これからどうすればいい。
とりあえず外に出ようとしているだけで、その先は。

きっと扉を開けたその先は、文字通りこの世の果てが待っている。
じゃあ、どうすればいい。
僕は、なんのために戦ったのか。何を得ることができたのか。

――僕は笑った。確かに笑った。
いじけてるとかじゃなくて、本当におかしくて仕方なかった。

「――はは」
笑いながら、まだ動くエレベーターに乗り込んだ。
笑いながら、地上に帰される、いや送り出されるのを待った。
笑いながら、扉があくのを見つめて、そして歩き出した。

ニューエイジテクノロジー社、地上一階。
……そこは人間の抜け殻で溢れかえる、停滞の景色だった。

玄関を目指しながら、ふとフロントの端末が目に入る。
モニターの画面に『Welcome to World Nurve!』の文字が表示されていた。
そしてしきりに、アナログなタイミングで警告音が鳴った。
……きっと現実に戻ろうとしているのだろう。でも僕には、もう彼らを救うことはできない。

「……ごめん、なさい」

あちこちで警告音を鳴らす端末達に、一度だけそう呟くと。
僕は重い玄関をなんとかこじ開けて、外に出た。
……初めて浴びる、太陽の光。
……初めての気なんかしない、外の空気。
……初めてであってはならない、懐かしい感覚。

僕は、確かに世界に邂逅した。


……端末を付けたまま、パントマイムのように微動だにしない無数の人達。
ひしゃげて燃え上がり、真っ黒い煙を上げ続ける無数の車。
無数の人間の抜け殻に囲まれて、安全装置ゆえに何処にも逃げられなくなった自動清掃車。

どこかもわからない大都市は、
僕の目の前で、その存在意義を喪失していた。

「――」
急激な脱力感。
全身が鉛になったかのような、圧倒的な無力感。
しばらく都市を徘徊してみた後、
僕は誰も永遠に見なくなった映画館の前で、コンクリートの地面にぺたんと座り込んだ。

完全に理解したのだ。
この世界は終わったのだと。
僕は、また置き去りにされたのだと。


「……はは……あは、あはは……!

あはははははははははははははははははははははははは!
ははは、ははははは!うわっはっはっはっは!
いひひひひ、ひゃあっははははははは!はははははははははは!」


――僕は、大笑いした。
それはそうだろう。こんな喜劇があるものか。
僕はついこの間まで、冴えない独りの男の子だったのだ。
それがどうしたことか、夢から覚めて現実に来てみれば、
今度は現実そのものが入れ替わりに僕を置いて行ったのだ。
これで笑うなというほうが、きっとどうかしている。


「――はは……ああ――ああ――
――っぐ、ぐすっ――ぐ、……うっ……

う――うわあああああああああああああ!
あああああああああああああああ!わあああああああああああ!
ああああああああああああああああああああああああああああ!」


――そして、今度は泣いた。泣き叫んだ。
誰も「いなくなった」世界の片隅で、誰にも届かない泣き声を上げた。
もうダメだった。完全に、いろんなものがとめどなく溢れだしてしまった。
僕は死んでいて、AIで、ずっと独りで、そして今度も独りになってしまったのだ。


『――違う。今度は違うよ、セント』

――不意に、耳に馴染んだ声が響いた。
僕は思わず泣くことも忘れて、周囲を振り返った。
……けど、何もいない。動く人は、誰もいない。
幻聴に全身の力が抜けて、地面に倒れ込もうとした、その瞬間だった。

『――私はここにいるよ。ずっと、セントのすぐ側にいる』

――確かに、聞こえた。
いやそもそも、あの声を聞き間違えることなんかあり得ない。
あの声が、あの子こそが、僕の唯一つの真実だから。
僕は必死に周囲を見回しながら、枯れた声で叫んだ。
「……どこ?アリス、どこにいるの!?」

『……セントからは見えないだろうけど、本当にすぐ側。ちょうど左隣』
僕はすぐに、左を見た。
そこには、やっぱりというか、端末を見つめたまま倒れこんだ無数の人々がいる。
それでも僕は、ふるふると震える肩に力をこめて、
何もないような空間に、確かめるように両手を伸ばした。

『そう。ちょうど、私の頬と髪を触ってる』
……アリスの声に、僕は、ぼろぼろと更に涙が零れた。
確かに、アリスはここにいる。そんな喜びの涙と、
それでもアリスの姿は見えない。そんな絶望の涙が、混ぜこぜになって溢れ出てきた。
「アリス……アリス……!」


『――セントと一緒にピクニックに行ってる夢を、私も見てたの。
……本当に、幸せな夢だった。
あの一週間の中のどんな夢よりも、幸せだった。
だから、一緒に行こう。私についてきてって、約束してくれたじゃない。
――私がずっと側にいる。だから、どうか泣かないで』


――アリスの言葉と裏腹に、僕は今度こそ泣き止まなかった。
それがどんな感情だったのかは、正直なところわからない。
ただ本当に、いろんなことがないまぜになって、泣くことしかできなかったのだ。

――そう。
僕は、確かに約束した。
ただそれだけが、僕に残った唯一つの答えだった。

◎◎◎

――人間がいなくなった世界に、もう法律なんて機能しない。

僕はあちこちのスーパーから持ちだした、必要だと思ったものを、
同じように無断で持ち出してきた、大きめのリュックの中に詰め込んだ。
そして、確かに覚えた道のりを戻って、とある廃墟の前まで来た。

それは、この都市のはずれで見かけた奇妙な廃墟だった。
ちょっと古いようにすら思える、洋館といった感じの作りの建物で、全体的に白い。
あちこちの白黒のタイルはひび割れと欠けだらけながら、
そこそこ裕福な家族とかが住んでいたらしい形跡が、確かに残っていた。

僕は三日前、そこで『それ』を発見した。
あの女の言った『トクイテン』とかいう感覚のせいかは解らないけど、
『それ』は確かに、ここじゃない『どこか』へと繋がっているらしいことが、僕には何故か明確に解った。
それでも普通は、『それ』に近づこうとは思わないだろう。
……そう、普通なら。

この世界は、もうどこも普通じゃない。
なんならこの僕だって、普通の人間じゃない。
何もかもがおかしくなったこの世界で、もう普通なんて何処にもない。

それに、しばらくこの世界にいて、やっと冷静に理解できてきたのだ。
もうこの世界に留まっていても、何も意味がないことを。

準備を整えた僕は、覚悟を決める意味もこめて、
改めて『それ』をまじまじと見つめた。

――『それ』は、端的にいえば『穴』だった。
もう少し表現がないのかと自分でも思うけど、でもやっぱり『穴』としか表現しようがない。
まるで裂け目のような『穴』が、この廃墟の中庭に空いていたのだ。

『――本当に、いくの?』
「うん。もうこの世界は、本当に死んじゃったみたいだからね。それとも、怖い?」
『ううん、大丈夫。一緒なら、どんなところだって怖くない』
「ありがと。――僕もだ」

――。
最後に、一度だけ、この世界を振り返る。
この洋館は立地の高い場所にあるせいで、遠くまで景色がよく見える。
それでも乱雑にビルの並ぶその向こうに、ほんの僅かに、水平線が見えた。
ここは、僕の知らない国だ。
あの向こうに、僕の故郷、僕が消えて久しい街と、家がある。



「――いってきます。ご飯とドーナツは、要らないから」


きっと、他のみんなと同じように。
もうとっくに動かなくなっただろうママとパパに向けて、僕は呟いた。


躊躇いなく『穴』に飛び込んだ僕の身体は、どこかへと流され、運ばれていった。
その流れの中で、僕はポケットからあの金属カプセルを取り出した。

……そして、もう誰でもなくなった自分の代わりに。
そのカプセルを首元のスロットに嵌め込むと、そのまま中身を全部取り込んだ。
身体の基本設定の書き換えが、僅かに進むのが自分でも解った。
その感覚に安堵すると、僕はあとは流れのまま、光の濁流の先を見つめ続けた。

――隣に確かに感じる、他の誰でもあり得ない、想い人の存在と一緒に。


◎Hello, World! and Close the Dream...◎

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最終更新:2015年05月13日 17:25