私はもともと名すら持たない身。
ですので、あの方から賜った名、ヨワ・アフォガードを名乗ります。

私の生まれはガリアの郊外。親が生活のために子を捨てるのも珍しくない場所でした。そういう土地でしたから、自分の境遇を特別不幸に思ったことはありません。
それよりもむしろ、私はとても幸せなのです。あの人と出会えたのですから。

地面に広げた布に浅ましく座す少女こそ私でした。子供であった私にはできることも多くはなく、自分の恵まれているらしい容姿を売って生活費を稼ぐほかありませんでした。
近くではその時の私の年齢を倍にしても足りないほどの女性たちが私よりも上手に男に自分を売っていました。
胸や尻を見せびらかすような服で誘惑していました。それをいやらしい目で品定めする男たち。
こんな通りまで足を運んでいるはずの男たちも、私のことは憐れんでいました。幼い子の身売りはいたたまれないと言いたげでした。
まあ、その目は良かったのです。大体の人間はその目を向ける。ただそれで御飯にありつけないのはいけません。
くすんだ衣服がボロボロだったのが余計によくなかったのでしょうか、とにかくその日は性に倒錯した獣が居なかった。
あるいは本物の獣は私の、口で、という言葉に不満の色を見せ、より頭の悪い女を探すのです。

身なりの汚い少女が身売りをしているのを哀れみながら、しかし今夜喰らうための女を探す男たち。
こんなところで倫理観を掲げるバカげた人間様は哀れな少女を生かしてはくれないのです。ことごとく私は人の仕組みの外に生きているのだと感じました。

そんな時に声をかけられました。
「素敵なお嬢さん、僕の屋敷で使用人として働いてくれませんか」と。
立派な身なりの男性の後ろに付き添いが一人。
笑顔で話しかけてきた手前の若い男性と、後ろで納得していない様子の壮年の男性の二人組。
私は断りました。
なら、その生活が気にいっているのか、と聞かれました。笑顔がボロボロの服とそこから覗く荒れた肌を見ているのを感じました。
その目は素肌をいやらしく見ているのではなく、私のずっと深いところを見ているようでした。
私は生きているだけで嘘を重ねてしまう人間です。だからそんな目で見ないでほしかった。

だからもう一度断ると、だったらと手前の男性がなにかの指示をして、それを受けた後ろの壮年の男性は呆れたような顔をしながら私の前に服を数着おきました。
「その服はさすがに過ごし辛そうだ。せめてこれをお召しになってください」
なぜこんなものを持っているのだろう、と思う一方で華やかではなくとも綺麗な服は近くにいたあばずれ共の目を奪います。
その目の方が私には心地よかった。その薄汚さは知ってた。
薄汚いそれは私の服をいかにして手に入れようかとこちらに愚ともつかない笑顔を見せました。心地よい。
だから私はあの方の目をまた見た時に、なお怖く思ったのです。

あの方は私の手首をやや強引に掴みました。
すぐに犯されるのかもしれないと思ったものです。それはよくないけれど、しかしその恐怖には安心します。
そういう欲望のおぞましさは知っている。なんとかして逃げなくてはいけないけれど、まず安心したのです。
しかし私は別に犯されたりなどしませんでした。

「乱暴はしません。ただ、あなたの嘘までも愛してあげたいだけなのです」と、仰ったのです。
その穏やかな笑顔を善意と呼ぶのだと知りました。

やっとその時にわかったのです。私は善意の目が怖かったのだと。
哀れみの目も嘲りの目も私にはなじみが深かったからなんでもなかったけれど、善意の目は怖いものでした。
それはそうです。そもそも、私はそれまで善意を知らなかったのですから。

私の嘘、私の生は全て嘘。
けれどきっと、それを見抜いたうえでこの人は私を愛してくれる人なのだと、受け入れられたのです。
「あの、」
「なんでしょうか」やはりその方は笑顔でした。
「あの、そうです。私、嘘つきです」
「えぇ、知っています。そういうところが愛おしく思ったのです」
「それに、口でしてあげるくらいしか、できることもなくって」
それを遮って、
「そんなことはいい。ただ僕が選ぶ最初の使用人になってほしいのです」と仰いました。

受け入れてみればその目は温かなものでした。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2015年05月14日 18:23