私の旦那様はアッサム・グラードです。
他の方とは違って私だけはご当主様ではなくアッサム様の使用人であることが誇りなのです。
十二貴族グラードの次期当主様が使用人一号となって、この時既に五年の月日が流れていました。子供でも大人でもない年齢。いっそう容姿を褒められることも増えました。
他の使用人はご当主様、ひいてはその家のしもべです。民意に食われたグリークを再び自らの力で治めようという愚かな夢を持つグラードの家に仕える不細工な人たち。
共和国として平和に過ごしているグリークを奪うために力の探求を理念と掲げ、行動原理とした。理不尽をかなえるための力を望んだ家を、旦那様は否定されておりました。
ですから、旦那様の純粋な味方は私だけだったのです。

旦那様は欲張らずに、戦いなどおこさず、つつましやかに生きられればそれ以上に幸せなことはないと言われました。
私もそう思う。旦那様から今与えられている幸せ以上に望むべきものなどありましょうか。
それでも、旦那様は自分の家を大層愛していらっしゃいました。

ですから、分家のエスカベッシュ・グラードがガリアとの信頼関係を無に帰した十数年前の一件は良かったと言います。
あれのおかげでグリーク奪還はより遠のいたと。
ご当主様たちは再起の術と時期を考えている様子でしたが、しかし私たちはどうかこの優しい日々が続けばいいと、幸せが続けばいいと思いました。
緑に囲まれた屋敷の中で私たちはそんなこと思ったのです。

しかしその穏やかな緑の外では戦いが起こっているように、旦那様を取り囲む環境は決して善人に優しくはありませんでした。
ご当主様はグリークは我々の地だ、取り戻すのだ、といつもいつも旦那様を怒鳴りつけました。
外でこそ壮年の執事をつけ、いかにも跡継ぎとして振舞わせますが、屋敷では使用人と大差ない扱いで、その執事よりも軽んじられるほどでした。
私だけが味方、ではない。私以外は敵、なのです。
当然、分家の人間もご当主様に賛同します。グリーク奪還を望みまではせずともそれに異を唱える人など旦那様のほかにはおられない。
旦那様はその理不尽を悲しんでもグラードを愛しましたが、グラードの家は優しい旦那様を愛せないのです。

先に述べたとおり、旦那様はいつも私たち使用人と一緒に食事をとられます。
グラードの人間が集う催しの際も家の人間に数えられません。
そうして食事を終えるといつもありがとうと何度も仰るのです。
どうしてこんなにも優しい旦那様が、と思わずにはいられません。

どうして、と考え込んでいるところで物音がして、目的を思い出しました。
そうだ、私は旦那様のために泣くのが仕事ではないのでした。
いち使用人として私は綺麗な仕事着を着て掃除を再開します。

朝日を待つ白を基調としたダイニングルーム。まだ暗いこの部屋の窓を開け放ち換気をします。風も気持ちよく、幸先のいい一日の始まり。
せめて私はこの清々しい日に旦那様が幸せな時を送れるようお手伝いしたい。掃除に力が入ります。
まだ他の使用人も目覚めていない時間、私はいつものようにひとりこの部屋を磨くのです。
ぴかぴかになったテーブルは心もぴかぴかにします。
心がぴかぴかなのは他にも理由がありました。
まだ日も昇らない時刻でしたが扉が開きます。
「おはよう、ヨワ」
「おはようございます。旦那様」
その声に思わず声が上ずります。恥ずかしかったけれど笑顔でごまかしました。
毎朝の密会なのです。

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最終更新:2015年05月14日 18:11