余は姫。

欲しいものはすべて手に入る。けれど、余は欲深く――。

「千代姫さま、千代姫さま」侍従の声がする。
「如何したか」
「中将様より、文が届いております」
「うむ」
大きな屋敷だった。畳と襖に囲まれた屋敷。余はそれしか知らなかった。
真っ暗の屋敷の中で愛の文を交わす。形式と洒落を理解する中将であった。余の知る限りでもこれほどに優れた文を記せる者が他にいようか。
しかし余には不思議であった。それが当然のことであっても、余にはやはり不思議であった。
愛とは人ではないか、人を知らずして愛をしたためることなど、やはり余には難しかった。
せめて形式に反することのないようにと文を返す。

余は、この屋敷のほかを知らなかった。

余は、人の顔を知らなかった。

余は、愛の実体を知らなかった。

しかし、中将は美しい文を描くので好きだった。

「好きなの?」好きなのだと思う。

「顔も知らないのに?」顔を知る、とはなんであろうか。

「好きでいいの?」余はそれを成すためにある。

「嘘つき」――そうかもしれない。

目の前に影ではなく、余でもない人があった。足元の畳がねじれていた。
「君は、この屋敷の中で自分の役割を演じてたけどね。でも、君はそんな良い子じゃないでしょう。
ぼくとずっと遊んでよ。退屈してるの。君が欲しがってたものは自由だって知ってるから、それをあげる。だからお願い。ひとりはつらいの。
逃げずに遊んで。まだ、人を愛せるお姫様」
それは悲痛な声だった。穏やかで軽やかで、誘い出されるような声であったが、その声の色は泪の色をしていた。
だが、そんなことはよかった。余はただ求めた。

「じゆうとは、どのようなものであろうか」
「じゆうっていうのはね、退屈の拘束。だけど、きみは空間の拘束の方が辛そうだから、おいで。君はこっち側だよ」

余は、その得体も知れないものに惹かれていた。
余は、それを受け入れていた。

それから、とこしえの時を過ごした。彼女はいよいよ自由という檻を頑丈にしていった。もはや自由の束縛によって自由はなかった。
彼女はそのかわり自分以外に自分をまかせた。
余に、そうしたように。自分が苦しくないように、自分以外に自分をまかせた。
ひとりの兄と十一の涙を撒いた。
そのうち六の涙は目覚めた。ひとつは寝たふりをしていて、みっつはそれが起きるのを待ってなにもしようとしない。それから、最後の一つは自分を忘れている。
それは彼女ではあったけれど、もう彼女ではないし、彼女の敵ではないけれど、味方ではない。ならば、余だけは彼女の味方で永遠に語らう、友であろう。
右目に彼女を宿して友とあろう。

彼女のためなら何でもできる。強くなれる。

あれからまたしばらくして、余に与えられた白銀の手足を動かす。うむ、今日もいい調子だ。これならば、彼女を守れる。彼女の心を。

だから、今日も世界に干渉する。世界のルールで遊ぶ。彼女のために世界の体験をする。彼女の欲した命を体感する。
今日は傭兵をする。屋敷を襲ってくるらしい外敵をすべて蹴散らす。彼女の欲した充実を謳歌する。
彼女を守るために永遠に磨き続けてきた技をただのおろかな人たちのために使う。そのお金で約束した可愛い洋服を買って帰る。彼女の欲した安寧を甘受する。
彼女の欲したすべてを欲する。
ただ、彼女のなくしたものだけは――。

「いくよ、ホーリィフォーニィ。余がたっくさん、るるにお土産話、してあげなきゃだし!」
空高く飛ぶ。天をつくほど速く。下を見る。屋敷を襲わんとする宵闇を、紛れるアームヘッドを、嘘つきのティアーズを見る。

「ごめーん、ここは通せないんだよね」
極彩色のはらわたを蹴り破った。

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最終更新:2015年05月25日 16:39