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この世の悲劇の一つ。
お前の母はそんな少女であった。
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――リズ連邦。
男は逃げていた。
空には4機のヴァンデミエールがあり、1つが逃げ、残りの3つがそれを追っていた。3対1の空中戦に、逃亡者はまるで液体のようにするすると逃げていく。
3対の内2体が追い、もう1体が時折挟撃を仕掛ける。それらを繰り返すうちに徐々に、徐々に逃亡機は追い詰められていった。
そんな狩りのような展開が繰り返され、数時間たってとうとう追手のアームホーンが逃げるヴァンデミエールを貫く。
アームキルされた逃亡者は紙切れのように地面へと墜ちる。長い戦闘の末、敗者の死を地面にひろがる樹海が迎えた。
樹海の中へ、ヴァンデミエールは墜ちていく。機体が見えなくなり、反応が消失したのを確認して追手たちはぞろぞろとどこかへ消えていく。
――それを――樹海の中――木の上で男は見ていた。
その身体にはパイロットスーツがあり、左手にはフルフェイスのヘルメットが抱えられている。
彼こそ、その撃墜されたアームヘッドに乗っていた男だった。
「確認を怠りすぎだぜ」
消えていく追手を見ながら、男は嗤う。浅黒い肌にぼさぼさの金髪。黄金色の瞳が輝く。
――男は偽装した。
墜落自体を偽装したわけではない。落ちる寸前にアームヘッドから抜け出し、あたかも墜落と同時にパイロットも死んだと見せかけたのである。
脱出する場所は空中で、パラシュートを使えば敵のパイロットから視認される。だから、男は機体が地面にぶつかる寸前で機体から脱出し、樹海の木々の枝に器用に着地したのだ。
そうすれば木々が邪魔をしてパイロットの死までは敵に確認されづらく、当然アームヘッドは自壊しているので敵の感知からも逃れられる。
そういう曲芸のようなことを平然とやって成功させられる男だった。
別に、何か悪事をして追われたわけではない。領空侵犯と不法入国によって軍から追われ、撃ち落とされたふりをする。
撃墜し返してやってもいいのだが前に一度やった時はそのあと一年ほど、躍起になった軍と戦い続けるはめになったのでそれから男は手の込んだことをするようになっていた。
がりがりと頭を掻きながら彼は木から下りて周囲を見渡すと、目的地でもあるかのように歩き始める。
何がしたいかなんて自分でもわからない。気分の赴くままに行動するのが男の――ロバート・ラスターの一番やりやすいやり方だった。
とはいっても歩くのはロバートにとって苦にならないが、時間がかかりすぎるのは退屈である。
ロバートは樹海を抜けると、近くにあった農村で古びた茶色の小型車といくつかの洋服をくすねてそのままリズの国道に出た。
車の通りがほとんどない国道を移動する中、ロバートの金色の瞳が何度か明滅する。それから彼は車を道路の端に留めると、くすねた洋服をパイロットスーツの上から着る。
着替え終わり、ロバートが再び車を走らせる。2時間も走れば町並みは徐々に栄えていきリズ連邦の首都の検問所にロバートの乗った車は入った。
バーに遮られ小銃をぶら下げた軍人の隣に車をとめると、ロバートは顔に笑みを作って対応した。
「身分証を」
「……ちょっと待ってくれ」
リズはここ最近、テロ対策で都市部にはこういった検問を常設している。
ロバートが自分の免許証をとり出し軍人に渡すと、軍人は免許証と車のナンバーを交互に見ながら片手に持った巨大な端末に入力した。
「ヒルドールヴ社のリコッタ……。所有者はロバート・ラスターか」
データベース上の車の所有者と、免許証の人物が一致したのだろう。軍人は納得したように頷き、端末が紙のカードを一枚吐き出し軍人がそれをロバートに手渡す。
「検問所の出口でこれを渡してください」
「わかったぜ。お疲れ様」
ロバートからのねぎらいの言葉に相手は少し気をよくしたのかほほ笑んだ。
「お気をつけて」
窓を閉め、ロバートはバーが開いたのを確認してから車を再び発進させる。
車は、もちろんロバートのものではない。ついさっきまでスミスという農夫の持ち物だったが、国の検問所を超える手前にロバートは車とその所有者を管理しているサーバーに侵入し、所有者情報を自分に書き換えたのだ。
しかも、その身分はすでに不法入国者ではなく、昨日の朝フェリーでリズ連邦に到着した観光客ということになっている。
それが“ヒューマノイドコンピュータ”と呼ばれる、ロバートの能力のひとつだった。
車に乗ったままロバートは都市に入り込み、大衆向けのレストランの駐車場に車を留め、レストランの中に入る。
中は家族連れでいっぱいだったが、一人のロバートはすぐに空いた二人掛けのテーブルに案内された。
それから少ししてから注文を済ませ、あわただしいウェイトレスたちを眺めていると声がかかる。
彼の隣に、可愛らしくも落ち着いた制服に身を包んだウェイトレスの一人が立っていた。
「すみませんお客様。相席、よろしいでしょうか?」
ロバートは鷹揚に頷く。こんな場所で自分自身のの異様さがばれると言う事はないし、もしばれたとして、自分に相対できる者は感じられない。
「いいぜ」
「ありがとうございます」
ウェイトレスに案内されてやってきたのは10代後半くらいの少女だった。
艶やかな黒髪は女性にしては短めに切られ、瞳の色は灰色で長い睫毛が目を縁取っている。顔つきは凛としているが表情と言うものが抜け落ちていてどこか機械めいているものの、それが妙に間抜けに映る。
「はじめまして。ロバート・ラスター様」
少女が色のない顔でそう言った瞬間、ロバートは後悔した。初対面のはずなのに、彼女はロバートの名前を知っていた。
「私は、アン・アレスタリアと申します」
淡々と大昔の出来事のように少女は続ける。
「ぜひ、気兼ねなくアニーとお呼びください」
「あー……」
ロバートは腕を組み、目の前にいる少女――アニーを眺めた。
――思い当たる原因は、いくつかある。
「何が目的だ?」
犬歯を見せながら笑うロバートが訊いた。
「あなたと行動を共にしたく……」
「誰からの命令で?」
ロバートの質問にアニーは胸をはって答える。
「それは、みらいお――」
アニーは咳ばらいをしてうつむく。その顔は耳まで真っ赤になっていた。おそらく、言ってはいけないことを言いかけたのだろう。
「――い、言えません」
顔を上げ、すまし顔で言うものの顔は真っ赤なままだった。
「なるほどォ」
ロバートの笑みが深く、凄惨なものになる。まさしく獲物を見つけた獅子のようである。
「《未来王》のやつからの依頼か」
「っち、ちがが、違います」
もともと無表情だったアニーの顔がさらに固くなった。
《未来王》と言うのは、ロバート自身もよくわからないが、自分に対して攻撃を仕掛けてくる組織のようなものだと勝手に認識している。
「だだだ、断じて違うんだからねっ」
焦ったアニーが何かを口走っている。それを聞き流しながらロバートは嗤った。
《未来王》がなんなのかも、自分がなぜそんなやつらに追われるのかも――心当たりがないわけじゃないが――ロバートにとっては小さな問題である。
「みみみ、《未来王》なんてしらないんだからねっ」
そこにウエイトレスがドラゴンの鉄板ステーキとパンとスープを乗せたカートを押し、ロバートたちの座るテーブルの横に止めた。
ステーキの肉汁が高温の鉄板の上に滴って弾け蒸発すると、香ばしいスパイスのにおいと融合してテーブルに漂う。それを見てアニーが喉を鳴らす。
料理がウェイトレスによってカートからテーブルに移されるとロバートはウェイトレスにチップを渡し、ナイフとフォークをそれぞれの手に持った。
――邪魔をするなら、平げてやる。
ロバートにとっては、ただそれだけだった。
最終更新:2015年06月17日 00:18