――世界の終わりを見るのは、三度目だった。

赤紫に染まっていく空。黒く焦げていく雲。
白銀色に濁っていく海。巨大な肉塊へと変貌していく小島。
土で構成された大地は何処にもなく、ただ広がるのは全て白い幾何学模様の走る結晶の「床」だった。

「――」
呆然と立ち尽くす私の前に、海鳥達の声が届く。
……おぼろげな期待を込めて顔を上げると、それは海鳥の声で鳴く、空飛ぶパスタだった。
茶色のソースめいた体液を絶え間なくこぼしながら、それらはまるでかつての記憶を辿るかのように、南を目指して赤紫の空の彼方に消えていった。
白銀色の海は、変わらずにさざ波の音を立て続けていたが、すぐにそれは、無数の笑い声が重なるおぞましい響きへと変貌した。

――これまで、か。
――人間の姿が完全に消えてなくなった狂気の世界の真ん中で、私はがっくりと膝をついた。

とっくの昔。それこそ遥か遠く、数万年以上から、こうなることは確かに覚悟していた。
この結末だけは、決して覆すことはできないと。
だからこそ、自分はせめてそれを先延ばしにできるように戦い続けていたのだと。

――決して、この戦いに勝利はないと。
そう、覚悟していたはずなのに。
目の前に広がる世界は、あまりに無残で、残酷だった。

地についた膝を侵食し始める結晶体の冷たい感触に身を震わせながら、私は呆然と銀の海を見続けていた。
これでいいんだ、どうしようもなかったのだと、そう自分に言い聞かせながら。
どこか心地よい倦怠感と絶望感の中で、私は間もなく膝を通り越して太腿を取り込まれる感触を貪った。

――いいわ。どうかこのまま、私を食べて。
どうせ、最初からこうなる運命だったのだから。だからせめて、一切の容赦無く、この私を狂気に染めて。
もう苦しまなくてもいいように、もう戦わなくてもいいように。

――私が、このエクジコウという名前に、何もかも押し潰されてしまう前に。


――?
ふと、胸元から軽いものが落ちる。
正直、今更何もかもがどうでも良い気がして、拾うことすら億劫だった。
しかし、それが薄く眼をあけた視界の隅に入った瞬間――私は、「それ」を結晶の侵食から拾い上げた。

「……ヘブン……」

それはボロボロの、たった一冊の小さなノートだった。
ぱらぱらと捲ってみると、そこには確かに、私が自分で書き綴った文字が、まだ確かに存在していた。
今まで私が覚えている限りのことを書き留めていた、かつての世界の景色を宿すもの。
私が無責任に創りだして、無責任に殺そうとして、そして無責任に守ろうとした世界の記憶。

「ああ――あ――あ――」

そうだ。私はまだ、覚えている。
あの小生意気だった世界を。
あの憎らしかった世界を。
あの輝きに満ちていた世界を。

この終わりかけの世界で、確かに私の名前を叫んだ、全ての生命の祈りの声を。

――もう、いい。 もう、いいはず、なのに。
――こんな最後が当然だって、そう納得したはず、なのに。

――私は。


「――そうだ。私は――俺は――」

――胸の奥で、ほんの僅かに、何かが弾ける音がする。
――膝から太腿まで、侵食していた結晶を砕き落とす。
――さっきまで、私を食い潰そうとした全ての呪詛を、遠く彼方に投げ捨てる。

「――なあ。まだ生きてるか、ヘブン」

呼びかけながら伸ばした手の先に、何も掴むものはない。
虚空すら狂気に侵食された世界の中で、俺はそれでもこの惑星の名前を呼んだ。
かつて、この星全ての生命が、俺に命を託したように。

「生きているなら、もう一度……もう一度だけチャンスをくれ。
俺は確かに、勝手にお前という世界を生み出しといて、勝手に潰そうとした、クソッタレな神様だった。
でも――まだ、まだ可能性があるのなら、俺はもう少しだけ足掻きたい」

手の平を握って、虚空を掴む。
それでも、最後まで抗いをやめる訳にはいかない。
水平線の果てまで狂気に塗れた世界を見つめながら、俺はそれでも叫んだ。

「頼む、ヘブン。――応えてくれ!!」

――虚空を握っていたはずの手の平に、明確な感触が走る。
思わず見上げると、真っ白な肌に黄金の装飾が施された巨大な『扉』が、俺の掴んでいた『ドアノブ』から徐々に姿を表した。
中央に、大きな瞳を模した宝石が埋め込まれたレリーフのある『扉』が、俺の瞳を見つめ返していた。

……『追憶の扉』。
世界が危機に瀕した時、それを使う運命にある者の前に現れ、世界を救うあらゆる可能性を取り出させるという「世界の武器庫」。
全ての時間軸を越えて、世界を延命させることのできる存在を呼び出す「可能性の書庫」。
――ヘブンが、確かに俺の叫びに応えた。

――そうだ。こんな結末など、決して認めはしない。
全てが始まったあの日から、ただそれだけを願ってここまで来たはずだ。
まだ、届かないというのなら。
「神」になってまで、まだ届かないというのなら。


「――そうだ、そう来なくちゃ。
 お前のしぶとさは、そんなもんじゃなかった」


奇妙な安堵を感じながら、それでも躊躇いはなく。
俺は扉を開け、その向こうに飛び込み、


――そして、広がった真っ白な閃光に眼を細めた。

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最終更新:2015年08月02日 22:44