――超巨大なドーナツの、隕石。
それは決して広くないステージの中央に着弾すると、大量の砂糖を蒔き散らせた。
そしてそれは同時に、第一回戦が遊びに見えるほどの冒涜的な戦いの始まりとなった。
着弾と同時に席から飛び上がったのは、マキータだった。
ドーナツへの狂気めいた愛ゆえか、その体躯は常人ではありえないほどの高さの中空にいる。
「――ドオオオォォォォナァァァァッッツ!!」
ドーナツ王の証たる白いドーナツエンブレム・コートをマントめいてはためかせながら、
マキータは巨大ドーナツに食らいつくと、そのままイモムシのように食べ進み始めた!
見れば彼のみではない。
ブライアン、秋那、ローレライ、胡桃――全員が巨大ドーナツを食い尽くしていく!
私は自分の感覚が麻痺していくのを感じ、正気にしがみつく為に状況を確認した。
どんなに信じがたくても、目の前の光景は事実なのだ。受け入れねばこの先も持たない。
――直径3メートルの巨大ドーナツにゾンビのように喰らいつく男女達。
……ああダメだと折れそうになる精神を、必死で立て直した。
「“ドーナツ・メテオ・ストライク”。
超巨大ドーナツの中に全部で30個埋め込まれている、ミニサイズの『ゴールドドーナツ』をより多く食べた奴の勝ちなんだぞ」
恐るべき光景に呑まれそうになっていた私を見かねてか、ムスタングが現状を説明した。
しかし、私はそこで疑問を抱いた。
では、ゴールドドーナツが露出した時点で、それを他の奴から奪えばいいのではないのか。
私のそんな邪悪な疑問は、すぐに目の前の光景が答えを出した。
――露出したゴールドドーナッツ。
掘り起こしたのはローレライだったが、他の選手はその瞬間を目撃すると、すぐに巨大ドーナツの発掘を進めたのだ。
何故か奪わないのだ。栄光への標が、すぐ目の前にあるのに。
「補足ルール。
“ゴールドドーナッツを発見した場合は必ず食べなければならない。食べきれなかった時点で失格となる”
“違う選手が同時にゴールドドーナッツを発掘した場合は何が何でも先に食べたほうのポイントとなる”」
ムスタングの補足ルールを聞いて、私は納得した。
他の選手が『これは私が見つけたゴールドドーナッツだ』と主張するのは許されているし、相手も抵抗してよい。
だがその間に、他の選手達によって他にもあるゴールドドーナッツを発掘されてしまう危険性があるのだ。
――無理に奪おうとして蛮行に出ても、結果的なロスは自分に来る。
それを理解しているからこそ、彼らはまったく他人のゴールドドーナッツに興味を示さないのだ。
それはあまりに現実的で……そして、高潔な姿勢。
見る見るうちに小さくなっていくドーナツ隕石。
今のところ一番多くゴールドドーナッツを食べているように見えるのはローレライだが、それも確実ではない。
全てを把握しているのは、戦いの周囲で落ち着きなく動くカウント担当のスタッフ達だ。
そうしている間にも、新たな巨大ドーナツの着弾。
そちらに向かったのはブライアン、ローレライ、胡桃だ。
彼らは半分ほど発掘された第一巨大ドーナツを捨て、新たなゴールドドーナツの発掘を開始!
一方でテーリッツ父娘は第一ドーナツから離れない。
まだ多くのゴールドドーナッツが埋まっているであろう第二ドーナツを尻目に、二人は第一ドーナツの発掘をやめない。
私は今度は理解した。――きっとあの二人は、他の選手が何個発掘したのかをほぼ正確に把握している。
だからこそ、まだ残存するゴールドドーナツの数と、それを同時に掘り起こす人間の数を比べ、あえて動かなかったのだ。
――そして。
「――かはっ――」
――喉の、かすれる声。
バランスを崩し、倒れこむ筋骨隆々の体躯。
全てがスローモーションに見えた世界の中で――ブライアンが、倒れこんだ。
「おおっとブライアン選手倒れこんだァァ!!これは限界かああああああ!!」
「……!……!!」
煽るゴングの言葉、現実を否定するように、その逞しい腕が身体を起こそうと膨らむ。
だが、彼の全身を蝕む悪魔的な量の砂糖は、彼に『死』が迫っていることを無言で叩きつける。
「……はっ……」
腕の力すら抜け、ついに完全に伏したと同時に、ブライアンが呟く。
駆けつけたスタッフによって担架に乗せられ、会場裏へと神輿めいて運ばれていく刹那。
その朦朧とした意識を宿す瞳が、優勝賞品の『リング・オブ・リジアン・ドリーム』を捉えた。
「――辿り着いてみたかったな……ドーナツ真理に――」
どこか、自嘲するように。
ついに届かなかった答えに、想いを馳せるように。
……ブライアン・オールドリッジはその呟きを残して、戦場から姿を消した。
「――っ、ぐ――」
――ブライアンの脱落が、緊張の糸が切れる引き金となったのか。
それから間もなくして、金色の髪が揺れる。
片膝をつき、腹を押さえて沈黙したのは――ローレライ。
「――はあっ……はあっ……っぐ、げほっ――げほげほっ――げぼっ!」
……明らかに呼吸がおかしい。
異常な咳を続ける彼女の瞳には、涙が玉になって浮かんでいる。
ついにうずくまった姿勢のまま動かなくなったローレライは、やはりスタッフによって神輿めいて担がれていく。
「――ああ――空が、青い――」
力なく虚空に伸ばされた手が、その言葉と共に崩れる。
緩慢に瞳を閉じ、静かに眠りについたローレライの表情は、安らかに微笑んでいた。
……戦士が、またひとり、力尽きた。
――状況確認。
ローレライが倒れたのとほぼ同時のタイミングで、ゲーム自体は終了していた。
第一ドーナツは既に完全消滅。第二ドーナツは半分以上消失。
リタイアしたブライアンとローレライの分を含め、現在スタッフが各選手のゴールドドーナツ取得数を計測中。
ドーナツファイターは、残り三人。
……それぞれマキータ、秋那、胡桃。
既にその血中糖分濃度は限界を迎えているはずなのに。それなのに。
目の前の三人は、脱水症状の兆候すら見せないままに佇まいを変えない。
――結果発表。
マキータが15個。秋那が12個。胡桃が8個。
胡桃が少ないように見えるが、それは間違いだ。あの父娘がおかしいだけだ。
それに、リタイアしたブライアンとローレライはそれぞれ7個、10個を食べていたが、その代償がアレだ。
精神より先に、肉体が限界を迎えたことでも失格となる。
――まさにそれは、『心技体』の具現なのだ。
「――次が最終決戦なんだぞ、アイリーン」
不意に、横にいたムスタングから声をかけられる。
見ると、ムスタングは会場に入るときに手渡された、プログラムパンフレットをかざしていた。
その瞳が、無言で“次の試合内容を確認してみろ”と嘯く。
……奇妙な胸騒ぎ。根拠を確かめるべく、私は咄嗟にパンフレットを開いた。
「……!!」
そこに踊っていたのは、あまりに冒涜的で、それでいて絶望的な文字。
いくらマキータといえど、秋那といえど、胡桃といえど……乗り越えられるのか、私は不安に思った。
――でも、もし。
もし彼らのうちの誰か一人でも、それを打ち破れるのなら。
こんなにも決定的な絶望を目の前にして、全員食い倒れる結末を打破し、ただ一人立てる者がいるなら。
その可能性を、私は信じる。
人間のしぶとさなど、何度も煮え湯を飲まされてきたこの私が一番よく知っている。
もはや限界だろう、そう思っていた状況を、何度も蹴破られたのを知っている。
だからこそ、私は最後まで席を立たないことを選んだ。
片付けられたステージ。
ゴングの片腕が天高く伸ばされ――そして、静止。
「最後だな。ついて来れるか秋那」
――低い体勢によるバランスドーナツ構えを取るマキータ。
「舐めないで父さん、追い抜くわよ」
――両腕を前に構える攻撃型ドーナツ構えの秋那。
「父娘喧嘩はお好きに。その間に勝利は頂くわ」
――ほぼ両立姿勢のまま腕だけを下げた防御型ドーナツ構えの胡桃。
「ファァァァアアアアイナル・ラウンッッッ!!!!」
――ひと際、強い風が吹いて。
――数粒の砂糖を、青い空へと、舞い上がらせた。
「――“ドーナツ・ソウル・エヴォリューション”ッッッ!!!
レディィィィイイイ……ドオオオオオォォォォォナアアアアァァァ――――ッッッツ!!!!」
最終更新:2015年08月02日 23:40