「……グリディイーター……」
――間違いない。
私はその異形の姿を覚えている。
全身から灼熱の炎を生み出し、進む先にある全ての存在を叩き潰すその悪夢を覚えている。
遠い過去の記憶が連鎖するように、私はその詳細を頭から引き出した。
グリディイーター。
凶悪犯罪を犯すような精神を持つ者やそれに類する者を自らパイロットに選ぶ悪魔の機体。
パイロットに選ばれた者は当初こそその力を自在に振るって己の衝動を満たすが、
そのうちにコクピットごと取り込まれ、機体が機能停止するまでその暴走の為の動力源にされてしまう。
何度も軍や警察のアームヘッドに鎮圧ないし破壊されたにも拘らず、
それから一定の間を開けて再び現れ、新たな凶悪犯罪者を飲み込み破壊を開始する。
そしてその果てに破壊され、そしてまた災禍の進撃を響かせる。
そんな、かつて多くの命を容赦なく灰燼に帰した破壊の化身が、そこにはいた。
「あの妙な動きからすると、とっくにパイロットは取り込まれた後なんだぞ」
ムスタングが、そこまで動揺した風もない様子で言い放つ。
……振り返ると、ムスタンは私が落としたはずのハンバーガーを食べていた。
「汚いよ」と指摘したら、「汚いところはちぎって燃やした」と返ってきた。
――空気が大きく流れる感覚。不吉な駆動音。
咄嗟に振り向き直した先。
吹き抜けになったフラントガラスの奥。
――低く構えるように動かなくなり。
あちこちから異様な量の蒸気を噴き出す、あまりに不吉な「静」。
――全身に走る、強烈な悪寒。
すぐ側で燃え盛る炎の揺らめきがスローモーションになり、不気味な踊りへと変化する。
私はほぼ本能的に踵を返し、ムスタングの腕を掴んで、そのまま後ろの車両へと逃げ込んだ。
……その瞬間。
背後で、さっきまで居た先頭車両が粉砕される音がした。
走りながら、途中で扉を蹴破って脱出することも考える。
しかし、そんな思案をしている間に先頭車両が完全に消え去り、もう2号車が潰れようとしている。
止まることも出来ず、私達はそのまま走り続けた。
「なんで……なんでアレがここに居るの!?」
「そんなん知らないんだぞ。アレに取り込まれてるパイロットが電車嫌いだった、とかじゃないのか」
走りながら、ムスタングがそんな間の抜けたような返しをしてきた。
「……ああもう、アスモデウスさえあれば……!」
「あるんだぞ」
「……え」
「――だから、あるんだぞ。
他の奴の機体ならそうもいかないかもだが、お前の機体なら話は別だ」
「……どういう意味よ」
「この世界“も”、お前の抱いた希望から創られている。
お前はエクジコウだろう、神様はそこそこ経験してきたじゃないか」
――私は走りながら、ムスタングを視た。
2号車が潰れる直前に、3号車に辿り着いた瞬間だった。
「――お前はずっとそうだったじゃないか。
横暴で、無責任で、自ら作った世界を好きなように振り回した荒神だった。
創造神のくせに、民草に信仰されるどころか悪魔扱いされた魔神だった。
――今更何を躊躇う。
いつものように、世界に命じろ。
この世界だって、ある程度は聞いてくれる」
――この世界もまた、私の創った世界。
私は、その言葉を反芻した。
あらゆる可能性が再現された、幻のような世界。
夢か現かもわからないほどに曖昧な、ごった煮のような世界。
――全てが、私の夢ならば。
この夢はきっと、違えることなく明晰夢だろう。
……そう。明晰夢なら、それは。
「――来て。アスモデウス」
――私のその喚び声が終わると同時に、私達の足が止まる。
衝撃。目の前を貫く巨大な銀。
私達のいる3号車に横穴を開けているその槍を、私は確かに覚えている。
あれを設計して、あの機体に搭載したのは、他でもない私なのだから。
「俺もついでに一緒に載せるんだぞ。危ないし」
――3号車が完全にスクラップにされる直前に、
私達は空いた横穴から伸びてきた巨大な掌に掴まれ、そのまま外へと連れだされる。
振り向いた先に見えたのは。
容赦なく潰されていく、私達のいた3号車。
そしてまだ残る4号車と――袋小路になった乗客達がひしめいている、最後部の5号車。
「――!」
位置の高くなった視界の中で。
5号車の窓から、こちらを見上げている顔が見えた。
それは小さな少年と、その横から離れない少女だった。
どちらも恐怖に震え上がりながら、今にも泣き出しそうな表情で、
私とムスタングをただひたすらに見つめていた。
――見覚えが、あるような気がした。
――視線が、あった。
全身をふるわせて、それでもこちらを見つめ続ける、二人の瞳と。
次に、唇を読んだ。
「たすけて」だった。
――視界が暗転。
とっくに開いていたコクピットへと放り込まれ、ハッチが閉まる。
数世紀ぶりに味わう、全神経シンクロの感覚に少し酔った。
そしてコクピット内に光が灯り、視界が世界を取り戻した。
『――エクジコウ。この世を創った神様だ』
……いつだったか。
そんな言葉を投げつけた、名前も知らない二人を、思い出した。
一切の躊躇いなく、操縦桿を操作。
バーニアに火が灯り、アスモデウスの巨体が、不釣りあいな程に高速で空気を滑った。
もともと僅かだった距離が一瞬で縮まり、グリディイーターと肉薄し――
――槍でグリディイーターの装甲を深々と貫き、そのまま押し引かせる形で電車から引き剥がした。
ちら、と全方位モニターの後方を見る。
そこには、5号車の窓から身を乗り出して、こちらを見つめるさっきの二人がいた。
小さな手がどちらも重ねられ、祈りを示す形へと変わる。
二人は、かたかたと震えながら、それでも確かに私達を見ていた。
「また、神のご加護を期待されてるな。アイリーン」
「……はあ……」
ムスタングの指摘に、私は頭が痛くなった。
これで私は、あの二人を死なせる訳にもいかなくなってしまった。
……まるで、それこそ品行方正で、真っ当な神様のように。
「――さっき、扉蹴破って我先に脱出、とか考えた神様なんだけどね」
その、小さな祈りに返答をして。
私は操縦桿の機体出力調整トリガーを、全力で引き絞った。
「そんな神様でもいいなら――まあ、任せときなさい」
最終更新:2015年08月02日 23:57