――希望とは、知性体として躍動する為の、極めて現実的な通貨である。
人の世に、善きも悪しきも尽きはしない。
度合いに偏りこそあれ、どちらも紛うこと無く、人の性であるからだ。
しかしそのどちらにせよ、それらを行動として表出させる時、人は希望を消費する。
消費するからには供給がある。
供給が止まれば自壊が起きる。
それは別段希望のみならず、全ての生命が要する栄養素も同じだ。
――極めて不可解なことに。
希望の枯渇により自壊する生物は、今のところ、人間のみだ。
◎◎◎
――赤と青の警告灯がぐるぐると回転し、瞼をちらちらと指してくる。
あまりに遅く到着した警察の暴動鎮圧用弥生部隊が、
既に私がアームキルしてしまったグリディイーターの残骸をすごすごと片付けていく。
パイロットはやはり跡形もなく、既に取り込まれきった後らしかった。
当然というべきか、私は部隊の指揮官らしきパイロットに呼び止められ、事情徴収を色々された。
あっちもあっちで、かつての世界同様にグリディイーターによる事件を既に把握しているらしく、
私はおよそ20分くらい喋らされた後、やっとこさ開放された。
指揮官は最後に「市民の協力に感謝します」とか言って敬礼をして仕事に戻っていったが、
市民という呼ばれ方に対して、私は色々と少し皮肉な気分になっただけだった。
「案外苦戦したな。勇敢な市民」
ムスタングがポケットから取り出したシャケおにぎりを齧りながらそんなことを言ってきた。
「うっさいわね。それに貴方こそ、ジェネラル・リラティビティ出して囮になってくれるだけでこっちは助かったのに」
「解ってたんだぞ。でもお前があんなに神様っぽく見栄張ってたから空気読んだんだぞ」
「……」
「それこそあそこで俺が出たら、全部美味しいトコ――」
「もういい、解った」
「それにしても……なんでグリディイーターは電車を狙ったのかしら」
小癪なムスタングを制しながら、私は最初に抱いたそんな疑念を反芻した。
もはやパイロットがああなっている以上、その心中を測ることは不可能だ。
もしかしたら本当に無軌道に襲ったのか、もしくは何らかの理由があったのか。
「死人に口なしなんだぞ。
本人からはもう何も聞けないが……あれが本人の意思じゃなかったなら、ある程度推測はできるな」
ムスタングが横目でこちらを見ながら、そんなことを言った。
いつの間にか、その手にあったはずのシャケおにぎりは全て食べ尽くされていた。
「パイロットが既にああなってた以上、おそらく本人の意識はほぼ無かったはずなんだぞ。
機体自身がたまたま“沢山の生命反応”を感知して、それを“破壊”すべく襲っただけなら、一応筋は通る」
――今度はどこからか水筒を取り出しながら、ムスタングは言い切った。
……もはやいくら考えても真相など解るまい。
そう振り切った私は、気を取り直してその場から歩き出そうとして――その刹那に、背筋が凍ったあの響きを思い出した。
「――最後のアレは、なんだったのかしら」
私はふと、グリディイーターが最後に零した不吉な“声”を思い出す。
……いや、違う。
「なんだったのか」という疑問は、おそらくは間違っている。
アレが「何の声か」など、私は既に明確な答えを掴んでいる。
「……“彼ら”までもが、ここには再現されているというの」
私は、そんな絶望にも似た言葉を漏らした。
ここは私の夢の世界だ。可能性を探求するための、新たなカンバスだ。
“彼ら”までがここに居るというのなら、それは――可能性の否定に他ならない。
「――そんなはずはないんだぞ」
ムスタングの言葉に、私はとっさに振り向いた。
その紅色の瞳にはいつものような悪意のない悪意はまるでなく。
その奥には、私を諭すような奇妙な色が浮かんでいた。
「あいつらは可能性を否定する存在だ。
あの声が再現された物でも本物でも、ここに居ることは在り得ない。
普通の世界ならばともかく、幻で出来たこの世界は特殊な立ち位置にある。
どの世界とも地続きではない、曖昧な世界。
――あいつらが、そこすら超えて来られるとは思えない」
「ただ、あいつらそのものではなくとも、
かつてあいつらの干渉を受けた“誰か”程度なら、再現される可能性はある。
あれはきっと、そういう類の奴の意識が、最後の一瞬だけ表出したんだろうな」
……そう言い切ったムスタングは、フタ代わりにもなるマグカップを水筒に戻した。
「――さてどうする、アシが無くなったんだぞ」
……ムスタングの急にあっけらかんとした言葉に、私は現実を思い出し肩を落とした。
「世界を救う可能性」を求める旅として、
次なる目標をとりあえずリズに決めて進んでいたのに、まだ御蓮にいる間にこれだ。
「このあたりは田舎だからな。
すぐには復旧しないだろうし、復旧したとしても一時間後じゃないと次の電車出発しないんだぞ」
「……」
「不幸中の幸いというか、時間は嫌になるくらいあるんだぞ。
とりあえず次の駅まではめっちゃゆっくり歩いても全ッッッッッ然余裕で着くぞ」
「……それは不幸中の不幸よ」
――不意に、誰かに腰をつつかれた。
がっくりと落とした肩が思わず上がり、とっさに振り向いた。
「……あ」
思わず、間の抜けた声が漏れる。
そこには、先程私達に向けて必死に祈っていた、あの少年と少女が立っていた。
二人共、当然ながらまだ少し恐怖に震えていた。
「……おねえさん」
なんとか言葉を絞り出したのは、少女のほうだった。
少年も何かを言おうとしているようだったが、うまく言葉が出てこないようだった。
「――なあに?」
私は、しゃがんで視線を二人に合わせた。
我ながら必死の見栄だ。必死に隠して入るが、さっきから激痛の残留で左腕がピクピクしている。
「………っく……ひっく………」
緊張が解けたのか、少女は泣き出してしまった。
「泣かした!」と喚くムスタングと思わずたじろぐ私の前で、
少年もつられて色々と決壊し、一緒に泣きだした。
どうしたらいいのかも解らない私は、まるで本当に泣かした犯人のようにあたふたするしかなかった。
「……っ………っく……ありが…………ありが、と………りが、と……!」
自分のしゃっくりでぶつ切りにされながらも、
一生懸命に言葉を絞り出したその言葉を、私は確かに聞いた。
少年も少年で、少女の言葉に合わせて必死に口をぱくぱくさせていた。
……内心、そこはがんばれよと正直思った。
不意に、ムスタングの視線を感じて、居心地が悪くなる。
目くらい逸らせと思いつつ、私は二人に歩み寄った。
「――全部、私が好きでやったことよ。気にしないでいいわ」
……そんなありきたりな台詞を言って、
二人の頭を不器用に撫でることが、私なりに出来る精一杯の返事だった。
「……はあ」
地面を踏む足取りは、正直軽くはない。
見上げた空は憎たらしいほどに真っ青で、もう少しくらい日差しが弱くてもいいのに、と思った。
「溜息の割にはきりきり歩いてるんだぞ。あの子達に励まされたか」
水筒をぶら下げ、のたのたとした足取りで横に並ぶムスタングの言葉がまたしても耳障りだったので、
風に木々が揺られる心地良い音を聞きながら、私はとりあえず無視した。
――まあ、まだ進んでやらんこともない。
そう思って、顔を上げて。
私はやっぱり、気怠げな溜息をついてしまった。
……極めて不愉快なことに、
目の前の真っ直ぐな田舎道は、まだまだ遥かに遠かった。
最終更新:2015年08月03日 00:07