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――深い闇の中に沈んでいた意識が、途切れるように急浮上する。

すぐ横で寝袋に包まれながら何かをエア咀嚼しているムスタングの寝顔も、
眠りに落ちる直前に見たテント内の荷物の様子も、何も変わっていない。
だが、私はそれでも寝袋から這い出すと、ムスタングを揺さぶって起こした。
「……んー……?なんだアイリーン……まだ全然暗いんだぞ……ふぁ……」
「……ごめんなさい。でも起きて」
半開きの赤い瞳をこすりながら、寝袋からのたのたと這い出し終えたムスタングに、
私は限りなく潜めた声で、静かに耳打ちした。

「……何か来てるわ。大きな足音がした」
「……クマか何かじゃないのか」
「それはそれで十分危ないわ。すぐさま光平君とエレナちゃんのテントに向かって危険を知らせないと」
――私がそう言った瞬間。
ムスタングの赤い瞳が見開かれ、その眼差しに真剣な色が差した。
「……仕方ないんだぞ」

――素早く取り出される、揺らめく茶色の生地。
――小さな肢体に纏われる、全身を包む外套。

「――光平とエレナに手は出させないんだぞ」
……いつもの水着の上から茶色のコートをヒーローのように羽織り、
キレのあるポーズを決めるその幼い姿に、私は一言だけ言った。
「……それ要る?」

……テントの出入口のファスナーをゆっくりと開け、ムスタングと共に外の状況を確かめる。
草木を踏みしめる足音は、徐々に、しかし確実に肥大化してくる。
まだ姿は見えないが、間違いなくこちらに迫ってきている。
「なんか普通にまずいな。まだ視認されてないうちに俺が行ってくるんだぞ」
ムスタングがそっとテントから這い出ていき、なるべく足音を殺しながら、
それでいて迅速に光平君とエレナちゃんのいるテントに向かっていく。
小さい体躯はコートを揺らめかせながら、思いの外早く二人のテントへと辿り着き、
そして扉をノックするように、その幌を軽く叩いた。

中の二人も気付いたのか、そのテントが開けられ、ムスタングが中に首だけ突っ込む。
おそらく状況を説明しているのだろう。
私はその間にも、足音が迫ってくる方向に注意を向け続ける。
少しずつ解ってきたが、どうも足音の主はかなり大きいようだ。
それこそ、本当にクマか何かのような。

――その瞬間。

足音が急に途切れ、辺りに静寂が戻った。
……この状況で、その静寂は嫌な予感しか感じ得ない。
私は手荷物から大口径リボルバー拳銃を取り出し、弾薬を手早く装填、
更にサイドホルスターにナイフを一本差し込むと、再び先ほどの方向を見つめた。

――!

刹那、私はすぐさまテントから駈け出した。
一旦停止した足音が、その姿を見せないままに向きを変え、
あろうことか光平君とエレナちゃん、ついでにムスタングがいるテントの方へと恐るべき早さで向かって行ったのだ!
おまけに草木を薙ぎ倒す豪速の足音に並走しながら、私は気付いてしまった。

――草木が薙ぎ倒される音が、異様に大きく、広い。

相手は、クマなどではない。
大型のクマよりも遥かに大きい“何か”だ。
その“何か”が、キャンプ地として開拓されたこの一帯の向こう、
まだ背の高い木々が多く生い茂る闇の中を潜るようにして、あの三人のいるテントに向かっているのだ。

「――ムスタングっ!そっちに行ってる!二人を連れて逃げてっ!」

人型ファントムとしての脚力が追い付かず、必死に私は絶叫する。
その瞬間、完全にテントの背後の林に回り込んだ“何か”の足音が止み、
……そして一拍置いた後、その闇から姿を現した。

――大きく身体を持ち上げたその姿勢から、
“それ”が今まで四つん這いの姿勢で移動していたことが、初めて解った。

――闇を突き破る、なおも闇に溶け込みそうな群青の体躯。
――長く伸びた触手が、螺旋を描くように蠢いて。
――背部から生える翼は、まるで昆虫のように痙攣していた。

「――狂い人形……!!」

――かつて私の名前を騙って世界を支配しようとした者達の操り人形。
機体そのものが自律行動できる性質を持ちながら、
自らコクピットの中に攫った人間を取り込むことで更にその性能を向上させる、狂った人喰い機械。
人とアームヘッドの関係の、歪んだ形の具現。

「――逃げてっ!はや――」

私の絶叫と疾走は、あまりに届かなかった。
その触手が、容赦なく三人のいるテントを鷲掴み、そのままコクピットに無理矢理詰め込んだ。
コクピットハッチが、まるでテントを咀嚼するように蠢き、
完全に要領オーバーであろう中身を、すっぽりと飲み込んだ。

「――」

……思わず、絶句する。
三人をテントごと取り込んだ狂い人形が、そのカメラアイをこちらに向ける。
まだ喰い足りないのか、と思った瞬間――その背後の闇から、無数の光点。
暗がりから這い出してきたのは……同じ外見の異形の機体。
それも複数。優に20体はいる。

「……貴方達のリーダーの、オリジナルまで喰らうつもりかしら?」

狂い人形の調和は強制融合だ。
まだ早い内ならば、撃破して引きずり出せば十分助けられる。
私は迷うことなく左手を掲げ、その掌を大きく広げ、
世界に対する命令として、大きな声で叫んだ。
「来なさい、アスモデウス!」

――即座に、空間を割って出現する巨体!

狂い人形達が異常を察知し、こちらに向かって突っ込んでくるも、
私は既に高く跳躍し、アスモデウス後頭部のコクピットハッチに飛び込んでいた。
一瞬で全神経シンクロを完了させ、その操縦桿を握りしめ、
そして、三人を飲んだ機体をロックオンした。

モニター内の例の狂い人形に、センサー反応でマークしたことを示すアイコンが重ねられる。
これで全く同じ外見の機体でも、どれが三人を腹の中に詰め込んでいるのか見分けが付く。
私はすかさずフットペダルを踏抜き、アスモデウスを一直線に突撃させた。
「――悪いけど、速攻でゲロして貰うわ!」

――だが、突然機体が重くなる!

槍が例の狂い人形の頭部のみを貫こうとした刹那、
アスモデウスに巨大な衝撃が立て続けに走り、機体がまるで動かなくなった。
見れば、モニター内の視界が、完全に何かで埋もれている。
「……寄って集って……!」
レーダーを見なくても解る。
アスモデウスの全身に狂い人形が飛びつき、その駆動を大幅に邪魔しているのだ。
いくら一機一機がアスモデウスの前では遠く及ばないとはいえ、
単なる戦闘妨害ならば、20機以上もの機体に纏わり付かれれば十分だ。
残り10機ほどは例の個体を中心に陣を組んでいる。
「こんのッ……!」
視界を塞ぐ狂い人形を、頭を降って振るい落としつつ直接アームキルする。
出来るなら右腕で殴り飛ばした隙に槍でトドメを刺したかったが、右腕も左腕もしがみつくように狂い人形共に取り付かれているせいで動作が重すぎる。
なんとか戻った視界の向こうには、触手をくねらせる例の機体。

――早くしなければ、あの三人が完全に取り込まれる。

フットペダルを思い切り踏み抜き、出力レバーを引き切る。
最大出力で機体を高速回転させてなんとか数機を振り落とし、
隙を見て一瞬だけ軽くなった左腕を掲げ、槍であちこちに取り付く機体を貫いた。
しかし、潰した分を補って余りある数の狂い人形が更に現れる。
……何故。

テトラダイ・スナッチによる粒子侵食を考えるが、相手は複数。
その他大勢の狂い人形共の違う粒子パターンが充満するこの状況では、
どの機体のパターンをコピーしたところで、多数のパターンが入り乱れる粒子の渦に侵食が跳ね除けられてしまう。
あれは複数の相手に有効な手段ではないのだ。

そこで気付いた。
彼らの親玉の目的はともかく、今ここにいる狂い人形達は、あの個体が三人を取り込むまでの時間を稼いでいるのだと。
苛立ちと焦燥。私はコクピットの中で、思わず悪態をついた。

「……だーもうッ!何やってんのよムスタング!こんな時くらいアンタがなんとかしなさいよ!」

「――悪い、遅くなったんだぞ。
 俺はともかく、あいつらの機体が遠くてな」

――そんな素っ頓狂な返事と共に、近付いてくる猛烈な駆動音。

背後からの強烈な閃光を感じ、首だけをなんとか振り向かせる。
そこには、上品だか下品だか解らない真っ赤なカスタムカーが、
ヘッドライトから強烈な光を発しながら、草木を無理矢理圧し折って突っ込んで来る姿があった。

――ジェネラル・リラティビティ。
「過去」の特異点である、ムスタングのアームヘッド。
外見はよく解らないセンスの改造が施された自動車だが、その性能は並の車を遥かに超える。
全てを過去へと振り切るかのような、馬鹿げた出力と走行速度を誇るそれは、
急に「跳ね」、高く飛び上がった。
真紅の車体が、遥か高い位置で放物線の頂点を描く。
まるで魔法の車か何かのように空中へと躍り出たボディは――

「……Code-Apocrypha.」

――通信越しに聞こえるムスタングのそのコールと共に、
一瞬で人型の形態へとその姿を変え、始まった自然落下に身を任せた。
そして落下の勢いに乗せた高高度からの飛び蹴りが、
狂い人形達数体の体躯を踏み抜き、私の載るアスモデウスの胴部で完全に押し砕いた。
……当然、コクピットに伝わる巨大な衝撃。
思わず「アンタ、私ごと蹴り倒すつもり?」と通信を入れるが、
返ってきたのは「それぐらいじゃ壊れないだろ」だった。

「あいつらなら、座標転移で一緒に一度、笹葉バイオ研究所まで送ったんだぞ。
それから機体ごともう一度転移したから、すぐに――」
ムスタングの言葉が途切れ、轟音が代わりに届く。
右側から、新たなアームヘッド反応が二機検出され、高速で接近してくるのを確認した。
「ほら、追い付いて来た」

――闇を貫く、新たな閃光。
熱を帯びたそれらは、今度は光の矢として狂い人形の一機を焼き貫いた。

……現れたのは、人型に近い体躯。
背部からは炎を模した刃を生やし、
片腕には光学レーザーライフルを携える――真紅と、黄金の影。

――闇を突き破る、新たな機影。
先ほどの狂い人形達への意趣返しのように、それは突如、二振りの刃で狂い人形の一機を斬り捨てた。

……人型ながら、特異な形状。
両腕と一体化した小型の鎌のようなブレード。
比較的小型ながら、それゆえに重量を可能な限り抑えた高機動型の構造。
そして、結晶のように揺らめく装甲を纏った――明暗の激しい、緑色の姿。


「――お待たせしました、アイリーンさん!
 スカベンジャーズ所属・ファイアフライ、島窓光平!これより援護します!」
「――同じくゴーストマンティス、エレン・オーキッド!美味しいカレーのお返しです!」

――対照的な二機は、そんな通信をこちらに寄越し終えると、
狙ったかのような全く同じタイミングで、それぞれ地面を蹴り付け、加速した。

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最終更新:2015年09月09日 08:29