「――さあ、ゲームの始まりだ!せいぜい足掻いて死ね!」
リトゥナからの、神経を逆撫でするような通信が届くと同時に。
アザトース・フィギュアライズが緩慢にこちらへと向きを変え、進撃して来る。
そして空を埋め尽くすフィギュアヘッド達が、アポクリファへと集中した。
「まったく、ゲームマスターはプレイヤーを楽しませる側だろうに」
明確に怪物の正体を把握できたせいなのか、先程一瞬だけ見せた動揺も見せず、
ムスタングはギアをすかさず6へチェンジ、無数のフィギュアヘッド達の波を掻い潜る。
「今のうちにアスモデウス出すんだぞ」
「――了解」
アイリーンの返答とほぼ同時に、アポクリファのハッチが開く。
そこから人型ファントムとしての脚力で自ら上に飛び上がり、その金色の髪が中空で踊る。
囮役を引き受けたリラティビティを追う大量の影を遙か下に見ながら、その細い指先は弧を描き、ある一点を指さした。
「――アスモデウス!」
凛としたその声が世界に響くと同時に、指差した地点に光が溢れだす。
それはムスタングがアポクリファを召喚した時と同じ、時計の意匠を内包した円形の紋章を形作る。
そして自由落下が始まり、空中で姿勢を調整するアイリーンの眼下で、
紋章から、巨体が顕れた。
――緑色の瞳が、ふと感じた違和感に歪む。
具体的にどうという説明はアイリーンにはできなかったものの、
それはコンディションの不調を事前に察知するような違和感ではなかった。
……むしろそれは、今まで感じていた奇妙な「空虚」や「停滞」が少しだけ晴れるような、心地良い違和感。
少し息を整える。調子が良いのなら、それに越したことはない。
アスモデウスの出現座標を厳密に指定したことで、
自動展開していたハッチをくぐり抜け、その体がコクピットシートに綺麗に着地する。
全神経シンクロ完了。だがその感覚も、いつもより鮮明だった。
「やっとこの世界にも慣れてきたのかしらね。他でもない、私の世界なのに」
息を吐き、苦笑いを一度だけ浮かべる。
そして顔を上げ、遠くで無数のフィギュアヘッドを引き付けているアポクリファの姿に意思を固めると、
アイリーンはバーニアのテトラダイ出力を最大に設定し、イグニッショントリガーを引いた。
――その瞬間、アスモデウスが「消えた」。
◎◎◎
――無数のフィギュアヘッド達は、尚もアポクリファを追い続けていた。
既に数体ほどはアポクリファの斬撃を喰らって撃墜されてはいるが、その総数に大した変化などない。
その内に拒絶と矛盾を抱えた殺人機械は、もはや昆虫的なまでに赤い機体を集り殺すことだけを求め――
――その瞬間。
囮を続けるアポクリファのすぐ側に、
何の前触れもなく、黄金と漆黒で彩られた異形の機体が突然現れた。
そして殺人機械達が反応する間もなく、
その群れが、黄金色の光を宿した槍のひと薙ぎで大きく削られ――30体程が、一瞬で残骸と化した。
「――え」
驚愕するような、素っ頓狂な声が漏れる。
それは他でもない、たった今一瞬のうちに距離を詰めてフィギュアヘッドの群れを削りとったアイリーン自身のもの。
……モニターの光に照らされるコクピットの中で、その唇が、確かに「まさか」と呟いた。
「――ほう、流石はエクジクトが名指しで警戒するだけはあるって訳か」
無数のフィギュアヘッド達の「親機」たるフィギュアライズの上で、リトゥナが面白そうにほくそ笑む。
確かに一瞬で距離を詰め、アームキルもできないフィギュアヘッドを一機に30体も殲滅したのは興味深く、腹立たしかった。
「ならこっちも本気だ。――そろそろ目障りになりそうだから死ね」
リトゥナの釣り上がった口元が更に歪み上がり、獰猛な感情を宿す犬歯をむき出しにした。
そして乱暴な操作で無線を開放すると、押し殺すような声音で指令を出した。
「――命令だ。目標を危険と判断。直ちに制圧し破壊、抹殺せよ」
「――!」
アイリーンの呆然とした意識が、フィギュアヘッド達の行動に我に帰る。。
先程まで数は多かれどまばらだったその攻撃は、まるで統率を強化されたかのように柔軟な猛攻へと姿を変え、
悪魔の軍勢としてアスモデウスを集中攻撃してきたのだ。
アスモデウスを囲むように展開される全方位の斬撃。
黄金の機体は槍を旋回させながら、これを辛くも捌き切る。
息をつく暇もなく襲い来るのは、それぞれ全く異なる軌道を描く複数機によるすれ違い様の斬撃。
アイリーンの操作が加速し、半数を撃墜するが、無数の連撃に左肩のプロトデルミス装甲が砕け散った。
装甲を砕いたことで効果ありと判断し、フィギュアヘッド達の猛攻は途端に激化。
アスモデウスも数体を逃さずに槍で斬り捨てるも、防御し損ねた一撃に、右のサブカメラが粉砕される。
更に突撃。左側ウィングバーニアが大きく損傷。更に、脚部スカートの左側の装甲が砕け散る。
「――」
しかし、今度はアイリーンの瞳に揺らぎはない。
操縦桿を握りしめながら、彼女はここでやっと、その感覚の意味を理解した。
常に感じていた、閉塞感のような不快さが僅かに晴れたような、その開放感の理由を。
ラストヘヴンに来てからというもの、自分やアスモデウスに感じていた「欠落」。
それが、いかなる理由ゆえか定かではないながらも、確かに埋め戻されていく確信。
――まだ、完全ではない。
だが、もし“そう”だと言うのなら。今ここで掴まなければ、また遠くなってしまう気がした。
ならば。
「――群れの気配が変わったわね。丁度いいわ」
アイリーンがレーダーを見ないまま、機体を急旋回させてドリフトを行う。
そして一旦両手を操縦桿から完全に放し、自らの胸の上に重ねて置く。
……コンマ数秒。その艷やかな掌から、黄金の燐光が溢れだした。
「――群れの気配が変わったな。本気か」
ムスタングがレーダーを見ないまま、機体を急旋回させてドリフトを行う。
そして一旦両手をハンドルから完全に放し、両脇のコンソール、無数のキーへと置く。
……コンマ数秒。その幼ささえ残る細指が、無数のキーを叩き終えた。
――人形のように端麗な貌に、虹色の光を宿す黄金の線が走る。
それはまるで鎖のような、重なりあう複数の直線。
だがその光は、密閉型コクピットの外には漏れず、誰にも察知されなかった。
「――行くわよ、イナゴ共」
――幼さすら残るその貌に、赤い光を宿す線が走る。
それはまるでネコのヒゲのような直線的な三本線。
だがその光は、運転席型コクピットの中では明るすぎる為に、誰にも察知されなかった。
「――覚悟なんだぞ、イワシの群れみたいな奴らめ」
――白銀の槍が、黄金色の光を帯びて、その形を変える。
槍の先端が、柄の長さを越えて遠く伸び、その幅が機体のそれを越えて広がっていく。
それは、かつての世界に君臨した、とある荒神の霊剣の象形。
創造神として。破壊神として。邪神として。
遥かな過去から、自身に向けられた呪詛や涜神すら崇拝として受け止めてきた、禍つ神の物打ち。
黄金の光の柱が、それを握る手によって構えられる。
少し離れた位置から、同じように吹き上がる紅蓮の光柱に照らされながら。
「――“擬似展開・天叢雲剣”――!!」
「――“Limitcut: Laevateinn-Ⅱ”」
――二つの光柱が同時に振り下ろされた、その刹那。
世界は、二色の光に包まれた。
黄金の閃光が、HILDOLVの左のカメラアイを焼き潰した。
紅蓮の閃光が、HILDOLVの右のカメラアイを染め狂わせた。
カメラ焼損によってコクピット内のモニターがブラックアウトする、その寸前。
リトゥナ・ヒルドールヴは、黄金と紅蓮が入り交じる――
――楽園とも煉獄ともつかない“光の平原”を、確かに視た。
最終更新:2015年09月09日 12:59