「行くぞ、野郎ども!」
激しい音をたてて戦場にイナゴの大群、その第二陣が飛び込むのだった。派手に、すべての注意がそちらに向くように。
私は城の背中側からそれを確認する。親衛隊の四機は確かにイナゴの数を減らしながら、しかし手一杯の様子で、つまり城の護衛は本当に薄くなっていた。
ここで起動させたままのライオンハートの調和を発動させる。小さな廃材がゆったりと地を這いながら表の護衛のものに迫り、彼らが気付いた時には鉄くずが拘束具となり動きを封じていた。
それを確認して防塵マスクで顔を覆った男性が予定通り五人、城に入っていくのを見て、そちらに合流すべく裏から城の内部へ入るのだった。
城自体が非常に簡素な構造だったのもあって距離はあっても迷うような心配はなく、一階に降りて指示した柱に着くとすぐに合流できた。
中央に建つ大きな、まるでそれ自体が簡素な建物のような大きさの柱。ここを集合場所として指示したのだった。
「無事潜入できたようで。早速ここからのことについてお話ししたいのですが、ボルドーさんからは何か聞いていますか」
「いえ、それが、赤い服を着た黒髪の女性が誘導してくれるはずだからそれに従え、と」その点でボルドーに期待はしていなかったのでそのまま続ける。
「……やはりそうですか。では、掻い摘んで状況を説明しますが、王は今、深い眠りの中にいます。この状況になっても王が表れないのは眠りのため。眠りは調和能力のためです。
王のライオンハートが持つ調和能力は複製。眠りの中でインプット、起きているときにアウトプットを行います。今、王はアンキャストの能力をインプットしているから眠っています。
この能力を使って完全な複製をするには相応の時間、具体的にはひとつきほどを必要とするため、あと十日ほどはわずかな衝撃では起きることもないでしょう」
それを聞いてボルドーの遣わせた男たちがざわめく。その中の一人がそこを襲撃すれば、などと言っている。
「いいえ、それは違います。私たちは殺すことを目的とはしない。そもそも、王の調和が発動している間は何物も王に近づくことはできません。
王の調和能力が発動している間は、アウェイクニングバリアと物理の壁を層として展開します。イナゴしか持たない様子の貴方たちで突破することはかないません。
まあ、そこを私の能力で通すことになるんですが、ここで王を殺したとしても、国が滅び、文化が回らなくなるだけです。あくまで私たちがすべきなのは王に話し合う機会を設けさせることなんです。
ですから、貴方たちにお願いしたいのはアンキャストの少女を奪取すること。王の計画の絶対条件である彼女をこちらの手中に収めれば、対話のテーブルに着くこともできるでしょうから」
あくまで、王を説得すための手段として。私が今言ったことも嘘は何もない。ただ自分が少女を救いたいと思っただけのことに端を発した計画であることはお互いのために伏せることにした。
彼らもこの説明に納得した様子で、防塵マスクを縦に振っていた。ひとりの、他と比べるとぐっと背の低い人を除いて。
「それは、女の子を交渉の材料として人質にとるってことですか」その背の低い男性が言った。
「そう、捉えてもらって構いません」できるだけ毅然と、堂々と、淡々と返す。その男性は、マスク越しに私の発言する様子をじっと見つめていた。
「早速ですが、少女はこの中にいます」と、柱に手を当てながら言う。
そう、この柱こそが王の調和能力によって作られる物理の壁。その内側はアウェイクニングバリアが展開してあり、この二重構造がさらに何層にも重なっている。ひとつの建物のような、ではない。実際に一つの堅牢な建造物として、王の眠りを護っているのだ。
「この柱は、私の調和能力の対象に置かれた廃材から作られています」調和能力を発動させる。
私のライオンハートの喉を通った無機物は、その支配下に置かれ、自在に動かすことができる。少しずつ、少しずつ、堅牢な柱を解いて、通路を構築していく。
緩慢な動きであるため、アウェイクニングバリアによる障害も発生しない。じっくりとではあるが着実に道ができていく。
予定より時間がかかったように感じるものの、なんとかそれは王の元へつながった。それにしても、なんという厚みの層だろうか。巨大な柱に開けた通路は、王の元へ向かうトンネルのようになっていた。
「私は外部からの衝撃から皆さんを護るために外にいます。次の動きのための準備もありますので。だから、少女を、お願いします。助けてあげてください。その、交渉に使えますから、丁重に」
そこにいた五人は、私の言葉の歯切れの悪さを感じてか笑った。その後各々が統率の取れてない動きで承諾の意を示して列を作ってトンネルの中へ入っていく。
最後にトンネルへ入ったのは一番背の低い男性。その男性が一度こちらを振り向いた。顔を防塵マスクで隠しているせいでどこを見ているのかはっきりとはしないが、きっと私を見た。
「人助け、行ってくる」
そう言って再び前を向くとトンネルの中へ入っていった。
――人助け。
しばらくぼうっとしていた。ともかく、じきに少女を助け出してトンネルの中から五人が返ってくるはずだから、それを待っていると、城の正門があった方向からボルドーが歩いてきた。
「親衛隊を二人潰したんだが、一緒に自分のイナゴもやられちまった」
「半分を倒したなんて、とてもすごいではないですか。他の方は?」
「ジリ貧ではあるが、残りの親衛隊くらいはつぶせるだろうよ」
「安心しました」
おう、と気持ちのいい返事を返すと男は煙草をくわえてマッチに火をつけた。
「ところで、ネエちゃんは今何をしてるんだ」
「え、ええ。じきにアンキャストの少女が保護されて戻ってくるはずなので、次の動きの準備をしていたのです」そうして柱に空いた穴を指さすと、男は頷いた。
「次ってことは、なにをする」
「少女を助けることができれば、次にやることは一つしか残っていないでしょう。王に考えを改めさせるのです。あんな夢物語に、人々を付き合わせるわけにはいきません」
男は目を丸くして煙草を地面に落とした。地面に落とした煙草の火をぐりぐりと足で消してから新しい煙草を取り出す。
「急にすっきりしたもんだな」
「もう目を逸らすわけにはいかないだけです。王の計画は最初から破綻している。王は最も大事なところから目を逸らしている。目を覚ましてもらわなくてはいけないのです」
「ふうん、そういうもんかい。俺には難しいことは分かんねえ。嫁と離婚して、娘と会えなくなって、それからはもう自分以外の都合を考えなくなっちまった」
「娘さんが、いらっしゃるんですか」
「ああ、多分ネエちゃんみたいなべっぴんになるぞ。なんせクソみてえな父親から離れて育ってるからな。今年で十歳になる。女々しくも数えちまうんだよな、こればっかりは」そういって頭をポリポリとかいてみせた。私はというと、ネエちゃんみたいな、に気をよくしていた。
「愛しているんですね」
男は驚いた様子でせき込んで、そりゃあな、と小声で言った後、目を逸らして黙って煙草を吸っていた。
しばらくは黙々と煙草に意識を集中させていた男だったが、しかし沈黙に耐え切れない男は、三本目に火をつけた時に自分から口を開いた。
「で、今まで王様の計画自体に文句を言ったことなかったネエちゃんがいきなり異を唱えるようになったのにはなんか理由でもあんのか。乙女を隠し切れない面してよ」してやった、という顔。煙草をくわえる口元が、私を見下ろす目つきが、ニタニタといやらしく笑っている。
「そ、それは!じゃ、じゃあ」
「気にならねえんじゃ、しょうがねえよな」勝ち誇ったような顔で私の言葉を遮り、煙を目一杯吸う。しゃべらないぞ、という意思表示を私の知る限り最も嫌味ったらしくしてくるのだった。
「あ、あなたって!」それが悔しくて珍しく声を張り上げてしまった。
「あー、おら、戻ってきたぞ、自分で聞けよ」
柱の方向を見ると五人が戻ってきていた。今度は少女を加えて五人。なぜだか崩れかかったトンネルを走ってきたようで、息も絶え絶えであった。長い距離を一気に、死に物狂いで走ったのだろう。
男性のうち一人が、しっかりと少女を抱きかかえていた。まだ息をしている。まずはそこだ。この子を救うことを何よりも優先しなくては。私が気になっていることは今じゃなくてもいい。
「この子、ですよね。触れているとバチバチと電気のようなものが生じるんですけど」背の高い男性が少女を抱きかかえたままに問う。あの時と同じ黒い電気のようなものが時折少女を襲っていた。
「ええ、それは――そうですね。ボルドーに預ければおさまるはずです。渡してあげてください」
「いきなり何言ってやがる、聞いてねえぞ」
「いい年して独り身なんでしょう、育ててあげたらいかがですか」
アンキャストという種の性質が私の思う通りのものであれば、少女がこの世界で自分の役割を明確に持ち、ヘヴンの種のために必要な存在であると認められれば、世界から生じる斥力は弱まるのではないかと考えてのことだった。
「いいじゃないっすか!ボルドーさんいつも寂しがってすぐ俺たちのことばっか連れまわすから」
「そっすよ!女の子でも育てて少しはデリカシーってもんを持てばいいんすよ!」
防塵マスクの男性たちが予想外の盛り上がりを見せて少し面食らっていた。ボルドーはふざけんな!と戸惑っている。押し付けられた少女を大事そうに抱きかかえながら。生じる黒い電気の勢いがかなり弱まっているようだった。
「あ、ていうかお二人とも聞いてくださいよ!スラーヴァ王のやつ、着いた時には目を覚ましてたんです。それ見た途端一人が殴りかかっていって!通ってきた道が崩れかかってたのもあって女の子だけ連れて逃げてきたんですけど」
それを聞いて頭を整理する。トンネルに入っていったのは五人。帰ってきたのは少女を加えて五人。
五人。
足りないのは、背の低い、あの――。
「その人は、中にいるんですね!」
調和能力を使って崩れかかったトンネルを再び道にする。さっきよりずっと大味な道は、焦りを自覚させた。形が悪くても気にしない。そこを全力で駆ける。王のもとに近づくほど、道を安定させていられなくなる。
柱に穴をあけるという段で予定より時間がかかったのも、本来調和能力が完成するまでの間には目を覚ますことがないはずの王が、辿り着いた時点で調和を解き、既に目を覚ましていたのも、今この道が崩れていっているのも、もし、さっきの背の低い彼が。彼が――なら!
走り抜け、暗い道を抜ける。光りが見える。
ベッドが離れて二つ用意されているだけの空間。本来そこにいるはずの少女はもういない。代わりに、そこには男が二人。
一人はスラーヴァ王。それが、常に身に着けている純白のコートとシャツを脱ぎ捨て、上半裸で立っている。息を切らし、眼を鋭くし、顔面を赤く腫らして、拳を構えて立っている。
向かい合うのも男。防塵マスクを捨てて顔を露わにし、破れたズボンから機械の右足を露出させている。身長が少し高くなり、長く伸びた髪を結っているが、変わらず優しげな顔。その顔を険しくして王に拳を構えている。
その二人が、足音に反応して一瞬こちらを見る。
王はすぐに視線を向かい合う青年に戻し、青年は一瞬こちらに微笑んで手のひらで「少し待ってて」と合図した後、再び険しい顔で王に視線を合わせた。
「次は取り逃がさん」
「もう負けない」
勢いよく突き出される拳。二つの拳。双方の整った顔に拳がめり込んだ。
最終更新:2016年10月04日 13:33