「なんだ、それは」男は目を見開いた。
ここは古びた食堂。おふくろの味を思い出して安心すると評判の店だ。今は昼食時でにぎわっている。
その男は胸の高ぶりを抑えきれない様子で、隣のテーブルで食事をしている老人らに迫った。
老人らは一瞬驚いて、しかしその男の本気を見てしまった。
彼らとてかつては漢であったのだから、目の前で”それ”に惹かれてしまう男の気持ちが、どうしたってわかってしまうのだった。
漢と漢が分かり合うのには場所も、言葉も、時間も関係ない。
「坊主、最初に言っておく。あれを食うってことは不幸だ。あれを食ってしまえば、ほかのすべてが等しく餌に見えてくる」
「はーん、いいじゃねえか。俺が食うにふさわしいぜ。この、ドロップ・ワールズマインが食うにはな」
シマホッケしゃぶしゃぶ倶楽部。
それは食通に愛されるスナホッケの中でもちょっとした島に匹敵する大きさにまで成長したシマホッケを提供する居酒屋。
ヒラキや干物で食されることが多いシマホッケをしゃぶしゃぶで食すことで有名だという。
「なるほど、この時代にもいかしたもんがあるじゃねえか」
食通ドロップ・ワールズマインは、それを今夜の食事と決めた。
の、だが。
「なに?シマホッケをきらしている?なに?しばらく見かけなかったシマホッケだが最近久々に見つかって今格闘中だ?なに?最低でもあと二、三週間はかかりそうだ?」
せっかく訪れたシマホッケしゃぶしゃぶ倶楽部で言い渡されたのはそのような現実だった。
ドロップは顎に手を当て、イライラしているのを隠しもしない。
「おい、じゃあそいつを今すぐ俺がぶちのめせば食わせてくれんのか?まだ狩猟は始まったばかりで弱っていないから無理だ?そんなことは聞いてねえ。食わせてくれんのか聞いてんだ。ああ、そうだ。いいぜ、約束したからな。ったく、夕方のうちに来てよかったよ」
案内された場所へ空間をすっとばしてかけつける。ドロップ・ワールズマインの相棒、ワールズマインの力である。
本当に島ほどの大きさのシマホッケの表面に鎖や武器がいくつも突き刺さっている。しかし、シマホッケはまったく動じていない。
「なるほど、並みのアームヘッド乗りじゃこんな感じだから二、三週間だとか言われちまったのか。まあ俺には関係ないがな」
空に浮かぶワールズマインを中心に赤い線が放射状に延びる。そして世界が割れるような音を立て、割れ目から多くのワールズマインが表れる。その数およそ二百。更に、そのワールズマインがすべて姿を変える。ワールズマインの新しく手に入れた力は、同族の力を行使できるものだ。今回姿を変えたのはホロウ・スローン。ワールド・ピアースという自立兵装をシマホッケめがけて放つ。一機につき三つ、合計で六百ほどのそれが、ビームを放つ。シマホッケは息絶えた。
地上では大喝采だった。あのシマホッケを一瞬で!などとお祭り騒ぎだ。しかしドロップは無視して店に戻る。
「今倒してきたぜ。新鮮なうちにしゃぶしゃぶをくれ。本来は材料費をとるところだが、とびきりうまけりゃ今回仕留めたシマホッケは好きにしてくれていい」
それを聞くと、店主は大急ぎで店を出ていった。
二時間ほど経ってそれは出てきた。
今日は店を開けないと思っていたからお通しの仕込みができてなかったらしいが、ドロップにとってそれは問題なかった。ドロップはシマホッケのしゃぶしゃぶが食べたいのだ。
そしてドロップは実際にそれを見て確信した。これは美味いと。
てらてらと脂ののった身が、出汁のきいたしゃぶしゃぶのおゆにくぐりたそうにしている。だが、ドロップは食通だ。まず、野菜を出汁にくぐらせた。
「へえ、なるほどな」豊かな風味が口いっぱいに広がるのを感じた。男は既に感動を覚えていた。そして、御蓮酒をくいっと飲む。合う。
そして、ついにシマホッケに手を付けるのだ。肉厚でしっかりした身が輝いている。あの感動的な出汁にそれをくぐらせると、立ち込める匂いだけで涙すら出てしまう。
口に含む。それはもう、とんでもない。なるほど、あの老人たちの舌は本物だ。まさか、これほどとは。再び酒に手を伸ばす。格別だった。
その後も黙々と食べ、飲み、食べ、飲み。二時間ほど一人で黙々と食べ続けた。
満足した男は言う。
「まあまあだ、エクレーンのパスタのが美味い」
しかし、男はシマホッケの材料費を請求せず、シマホッケしゃぶしゃぶの料金をきっかりと支払って出ていく。
男は、言葉ではないのだ。
最終更新:2016年10月05日 00:04