ラジオについて考える

「ラジオについて考える」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

ラジオについて考える - (2013/01/13 (日) 09:47:35) のソース

ラジオについて考える…(脱線し過ぎ)

私にとってのラジオ、
情報源としての音響系メディアとしてのラジオ選択の理由は、テレビの忌避が理由である。

テレビの忌避についての理由は、テレビが動画という視覚情報に頼るため、圧倒的な情報量を誇りその処理のために脳を支配されたくないから。※1

ラジオならば聴覚情報なので、ながらが可能である。なので、私はラジオを友とすることにしている。

ラジオは省エネルギーである。ポケットラジオならば乾電池で動き、しかも長時間使用出来る。乾電池を充電式にすれば非常に省エネルギーである。まして災害対策用の手回し充電式の場合であれば、電池すら消費しない…はずだが、これを利用しているとバッテリーを消費してしまい、肝心の時に使えなくなっている可能性があるが、そもそも論として

電脳を手にいれたことによって、私は文書を自由自在に書けるようになった。これは本当に革命的なことであって、疲れることなくいくらでも文章が書ける。筆圧が強くペンで書くと疲れてしまう私にとって、キーボードを使う文章作成というのは福音以外の何者でもないのである。そして、私は文章を書くのが大好きであって、出来れば一日中文章を書いていたいとすら思っている。※2

なので、テレビによる視覚情報は、文章作成の流れを阻害してしまうのでどうしても避けたいのである。




だから、記述作業をしている間は、テレビもラジオの代わりとしてしか用いていない。リアルタイムに取り入れる必要性がないのならば、水道橋博士がよく語っているスパイダーを入手してみたいとも思うが、一般家庭用が販売されるのはいつなのだろうか。

で、

※1…刺激としてはいいのであるが。
※2…題材があればという範囲であるが。