539 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:30:31 ID:5NDhsjEs0 [2/8]
過酷な日差しを大地に浴びせかけていた太陽がようやく中天より傾き、青い木馬隊が駐屯するキエフ鉱山第123高地に夕闇が迫りつつあった。
不眠不休のパイロットやメカニックマン達が慌ただしく行き交い、照明が夜昼の隔てなく煌々と灯り、整備音が絶える事無く大音量で響き渡る喧噪の傍ら、度重なる戦闘で疲れ切り、無言でひたすらに整備を待ち続ける手負いのMS達が屹立する格納庫の片隅で
―――その怒号は突如、捲き起こった。
「やめて下さい少佐!!」
「るせぇ!!ふざけた事を抜かしやがって!!」
胸ぐらを捕まれ有無を言わさず殴り飛ばされた少尉は、油にまみれた地面に転倒した。
足元にうずくまる小柄な少尉の背中を更に蹴飛ばすと、『少佐』と呼ばれた中年の男は、異様な光が宿る両目を揺らした。
「俺をなめるんじゃねえぞガキども!!どうしたオラァ!?」
そう叫びながら『少佐』と呼ばれた中年の男は周囲を見回すが、彼等を取り囲んでいる4人の兵士達は『少佐』を無視し、倒れている少尉に駆け寄った。
「・・・っきり言いましょうか」
「ああ?」
皆に助け起こされた少尉は口の端に滲む血を手の甲で拭いながら立ち上がると彼らの後ろ、格納庫の奥を完全に占拠している巨大な戦車を指差した。
ある種の捨て鉢な覚悟を決めたその態度を見て、彼らを取り巻く兵士達の顔が一斉にに引きつる。
「邪魔なんですよ、場所ばかり取るこの時代遅れのポンコツが・・・!!」
「ヒルドルブをポンコツだと貴様ァッ!!」
「ふん」
もう一度繰り出された『少佐』のスピードの無いパンチを、しかし少尉はひらりと掻い潜った。
本気を出せばこんなものさと言わんばかり、余裕の仕草である。
「これだけのスペースがあれば、外で野ざらしになっている整備待ちのMSキャリアーがもう一台は入れられる。
あの図体がでかいだけの戦車は、少佐専用の機体なんでしょう!?
俺は、屋根のあるこの場所をMSに譲ってもらえませんかとお願いしているんです!」
「お、おいもうよせ!相手は少佐なんだぞ!」
「構うかよ!!」
周囲の兵士に掴まれた腕を、完全に頭に血をのぼらせた少尉は強引に振りほどいた。
それとは対照的に、下官に暴言を吐きつけられた『少佐』の顔からは血の気が次第に引いてゆく。
しかし完全に上官侮辱に当たる言葉を浴びせられてはいても『少佐』はその手の決着は望んでいない様であった。
「俺の前でヒルドルブを邪魔者扱いか貴様・・・・・・殺されてえらしいな・・・・・・!」
「殺す相手が違うでしょう少佐」
噛みしめた歯の隙間から絞り出した『少佐』の掠れた声を、少尉の若く張りのある声がぴしゃりと遮った。
「我々の敵は連邦軍でしょう!だがあなたとあなたのヒルドルブとやらは、ここに来てからただの一度も出撃していない! 」
「!!」
電光に打たれたかのごとく『少佐』は目を見開き動きを止めた。
「なら整備だって必要ない!ここに置いておく必要も無い筈だ!!
見たら判るでしょう!?ここの格納庫に、戦闘を行わない兵器を仕舞っておく余裕なんてないんですよ!!」
開き直った少尉の口からまるで堰が切れたかのように、たまりに溜まった鬱憤が吐き出されてゆく。
こうなってしまったからには双方とも引っ込みをつける事ができないだろう。
恐らくこの糾弾はこのまま、何かしらの悲劇的なピリオドが打たれるまで止む事はないに違いない。
その場も誰もが、ぼんやりとそんな絶望的な結末を予感していた。
「俺達MS乗りが日増しにボロボロになっていく中、そうやってあなただけが・・・」
「そこまでにしておけ少尉、上官に対して口が過ぎるぞ」
しかし、突然真後ろから掛けられた静かな声に振り返った少尉は顔色を変え、あわてて服装と体勢を立て直すと最敬礼を声の主に向けたのである。
541 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:32:04 ID:5NDhsjEs0 [3/8]
咄嗟に周囲の兵隊たちも彼に倣い、『少佐』を除いた全員が一斉にラルに対して一糸乱れぬ敬礼を向ける。
それほどまでに若きMS乗り達にとって【青い巨星】ランバ・ラルは畏敬すべき存在であり憧憬の対象そのものであった。
一方、自分に背を向けラルに敬礼する兵士達を見た『少佐』の顔は苦く歪む。
「この戦い、諸君らパイロット達には総じて苦労を掛けている。
これは全てワシの力不足ゆえの事。この通りだ」
「そんな!やめて下さい中佐!俺は別にそんなつもりじゃ」
【青い巨星】が頭を垂れるのを目の当たりにした若い少尉は震えながらソンネンに謝罪し、自らを深く恥じ入った。
「本当に申し訳ありませんでした。冷静さを失っていました・・・」
「この状況だ、無理もあるまい。
そのかわりと言う訳ではないが新たなシフトが組みあがったぞ。
これで少しは負担が減るはずだ。しんどいが、しばらくはこれで堪えてくれ。
今頃は分隊長に回っているだろう、各自後で確認しておけ」
「り、了解であります・・・!」
大げさではなく感激にうち震える少尉の肩越しに、ラルは何かを言いかけた『少佐』をさりげなく目で制した。
「ここはワシに免じて納めろデメジエール・ソンネン少佐。お前たちももう行け」
「は!失礼致します!!」
ソンネンに対する態度とは打って変わって尊崇の念に満ち満ちた敬礼をラルに向け直すと、件の少尉とその仲間達は揃ってその場を後にしていった。
「・・・腐るなソンネン」
「ゲリラ屋か・・・けっ・・・みっともねえ所を見せちまった」
そう言いながらおもむろにソンネンはポケットからプラスチックのケースを取り出し、そこから振り出した数粒のタブレットを口に放り込むとガリガリと音を立てて噛み砕いた。
「ソンネン、それは止められんのか」
「まあ、な。これがねえと、ちょっとな」
タブレットを見て眉根を寄せたラルにソンネンは頬を歪ませ、話題を変えた。
「ところで・・・いまさら何の用だ?俺を笑いに来た訳でもあるめえ」
「貴様を見込んで頼みがある」
「あ?」
意外なラルの言葉にソンネンの頭の奥で意識がぼんやりと拡散してゆく。タブレットを齧った直後はたいていこうなる。
542 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:33:16 ID:5NDhsjEs0 [4/8]
「いよいよ決戦の時が近い。そこでだ」
ラルはまずそう切り出した。
ソンネン達のあずかり知らぬ事ではあったが実はつい先刻、危険度の高い隠密行動を単独で執っていた彼等の首魁たるシャア・アズナブルが、密かに青い木馬に帰還を果たしていたのである。
表向き、シーマ隊を引き連れてシャアは遊撃任務についている事になっている為、この快挙はもちろん公にする事はできない。
しかしこれを機に、ラルがゲラートと共に練り上げていたさまざまな戦術手が打てる様になったのだ。
「貴様にはMS隊の側面援護をやってもらいたい」
ラルの瞳が鋭く輝いている。教導隊時代に良く見た目だ。
その意味を察したソンネンの胡乱だった意識がみるみる覚醒してゆく。
「そうか、精密遠距離砲撃だな!?」
「この役割は貴様にしか任せられん。やってくれるか」
そのラルの言葉にソンネンの瞳の輝きが戻り、全身に生気が漲った。
「任せておけ!遂にこの俺とヒルドルブの出番が来やがった!!見ろ!!」
小走りで後方の戦車に駆け寄ったソンネンは、開いた手のひらをその装甲版に叩きつけた。
「これだ!モビルタンクだ!!貴様のグフにだってコイツは負けねえ!!」
「貴様の腕は知っている。その大口が決してハッタリでない事もな」
「当然だ!」
ランバ・ラルは一切の世辞と諂いの軽口を叩く事ができない一徹な漢である。
昔からの付き合いでそれを知るソンネンは、だから2人の立場に大きな差がついてしまっている現在も、彼の言葉で胸を張る事ができるのである。
「最高速度120キロ!主砲口径30サンチ!どんな相手だろうがこいつでぶっ飛ばしてやる!!」
「頼むぞ。431高地野戦基地にバイコヌールから新型の砲戦用MSがパイロット込みで2機届く手筈になっている。
隊長は貴様だ。彼らを率いて連邦軍の側面から手当たり次第に長距離砲撃をお見舞いしてやれ」
「おい、俺とヒルドルブだけでやれるぜ!?」
MSと聞いてソンネンの顔が曇ったが、ラルは軽く首を振った。
「いや、この作戦は敵の意表を突く初撃のみ有効・・・乱戦になったら2度目は無いのだ。
少なくとも小隊規模の砲撃は欲しい」
「チッ・・・判ったよゲリラ屋。ここのボスはお前だったな」
渋々ソンネンが了解の意を示すと、ラルの横へ赤毛の少年兵が息を弾ませて駆け込んできた。
「ラル中佐、輸送機の準備が整いました。後は兵器と物資を搬入するだけです」
「ご苦労。・・・ソンネン、431高地野戦基地には彼に送らせる」
あどけなさの抜けきれない華奢な少年兵を見てソンネンは一瞬顔を顰めたが、今の自分にあてがわれるのはまあこんな処だろうと小さくため息をついた。
「我がMS隊の若きエース、アムロ准尉だ。どうだ、いい面構えだろう」
「
アムロ・レイです。よ、よろしくお願いします」
「准尉!?しかもエースだと?おいヤキが回ったのかゲリラ屋。若造を甘やかすんじゃねえよ」
少年兵の横でなんとなく相好を崩したラルを見てソンネンは急激に不安を覚えた。
【青い巨星】などと煽てられているうちに、さしものラルも衰えてしまった・・・とは考えたくない。
色を失いかけたソンネンはラルの真意を見抜くべく、眼前の少年をしげしげともう一度見つめ直した。
543 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:34:58 ID:5NDhsjEs0 [5/8]
「それにしても若いな・・・学徒兵か」
「まあそのようなものだ。だが実力はワシが保障する」
「こんなガキの実力だと!?
けっ・・・冗談キツイぜ。青い巨星様のジョークはさっぱり笑えねえや」
そんな悪態をつきながら必死で凝視するも、普段は決して軽口を叩かないはずのラルが珍しく冗談を言ったのを見たせいなのか、はたまた薬のせいなのかは定かでないが、どうにも上手く眼前に立つ少年兵の力量を推し測ることができずにソンネンは焦った。
底が知れない・・・と感じてしまったのは流石に見込みを違えているだろう。
まさか、教導隊時代にさんざん培った筈の勘も遂に錆びついてしまったかと背中を冷たい汗が流れ落ちる。
が、その時(待てよそう言えば)とソンネンは顔を起こした。
ジオンが以前志願兵を募った際、資産家のドラ息子がのっけから尉官待遇で後方の補給艦に配属された事例を目の当たりにした事があったではないか。
それだ。もしもラルの言う通りこのボウヤが准尉であるならば、そういった類の人物なのだとソンネンは決めつける事にした。
ここが最前線だというのが引っ掛かるが、万年兵力不足のジオンなら下手にMS適性が認められると、そんな事態も起こりうるのかも知れない。
そう思い至った途端、ソンネンの頭と胸に軋む様な痛みが疾った。
それを本当に必要としている者には与えられず、そうでない者が容易くそれ手にする・・・
「全く、世の中って奴はトコトンひねくれていやがるらしい。まるでこの俺みたいにな」
誰に言うでもなくそう自嘲すると口元に歪んだ笑みを浮かべたソンネンは、再びプラスチックケースから振り出した数粒のタブレットを奥歯で噛み砕いた。
「・・・これか?ドロップだ、食うか」
「い、いえ、結構です」
またも疼きだした頭の奥を無視するようにソンネンは、訝しそうにこちらを見つめるアムロの顔から視線を外した。
「だいたいだな!なんでアムロが輸送機なんか飛ばさなきゃなきゃならないんだ?
アムロはとびきりのMSパイロットだというのに!」
先程からそうやって憤りっぱなしのハマーン・カーンは頭の両脇に垂れたツインテールをぶんぶん揺らし、ぷんすかしながらメイ・カーゥインに食ってかかった。
544 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:36:28 ID:5NDhsjEs0 [6/8]
「人手不足なんだから仕方がないじゃない。ニムバス中尉とバーニィがいないからアムロ小隊は休業中なのよ。
単独フリーのパイロットにはいろんな役割がまわって来るもんなの」
鉱山基地のほぼ中央部にあった岩場を広く平らに削って作られた簡易VTOL発着場。
そこへ駐機しているファットアンクル型輸送機の後方で、さまざまな大きさのコンテナを小型のフォークリフトでくるくると楽しそうに運びながら、ハマーンの問いにメイが答えている。
これはもちろん、今からこの大型ヘリコプターに搬入する為の補給物資である。
「・・・そう言えば、何でメカニックのメイがこんな作業をやっているんだ?」
「四六時中のべつ幕無しに機械いじりをしていると、たまには違う仕事をやりたくなるのよねー。
気分転換は必要だわ。コレなかなか面白いのよ、ゲームみたい」
メイが今やっているのは補給物資の仕分けである。
今回は弾薬などの軍事物資のほかに下着や女性兵士用の衣類などの生活物資を一纏めにして運ぶため、こういった輸送機に積載するまでの作業が必要となる。
不規則に空いた隙間にぴったりと形の違うコンテナが収まると、何とも言えず気持ちがいい。
「アムロが運ぶっていうモビルタンクとは、何だ?」
「うーん、簡単に言うとマニュピレータ付きの巨大な戦車ね。
MSが開発される以前に設計開発された大型戦闘車両と言えばいいかな」
矢継ぎ早に質問をぶつけるハマーンに答えながらもメイの動きは止まっていない。
手元の資料とコンテナのナンバーを確認しながら素早く行われるフォークリフトの作業は、もはや職人技に近い。
メイの極めて効率的で理論的な思考回路と天才的なその手腕は、こういった雑事においても如何なく発揮されているのである。
「MSの登場と入れ替わるみたいにして正式採用を見送られたって聞いてたけど、まさかここにあんなレアモノがあったなんて、初めて見たとき私も驚いたわ。
資料だけ見るとスペックは結構なものなのに、これまで出番が無かったのには何か理由があるんじゃないかな」
「ふうん」
自分から聞いたくせにあまり興味のなさそうなハマーンである。
フォークリフトの運転席からメイが顔をめぐらすと、ハマーンは大きなコンテナの上に座り、暮れゆく空を見上げながらつまらなそうに両足をぶらぶらさせている。
「アムロなら大丈夫よ。431高地なら輸送機でゆっくり飛行したって半日くらいで往復できる距離だもの。
モビルタンクと補給物資を送り届けたらすぐ戻って来るって」
「でも・・・あ、そうだ、その間に敵がいっぱい攻めて来たらどうするの?・・・いや、どうするんだ?」
思わずぽろりと飛び出したハマーン素の口調に笑いをこらえた後、確かにねえと呟いたメイは少しだけ考え込んでしまった。
シャア・アズナブルこそ帰還したものの、未だに殆どのパイロット達が青い木馬に戻って来てはいないのである。
そして表むきシャアの影武者を演じているライデンが他所にいる以上、迂闊にシャアもMSで出撃する事はできないだろう。
ちなみにシャアと共に行動していたニムバスも、青い木馬に戻らぬまま別任務に向かったと聞いた。
この上アムロまで青い木馬からいなくなってしまうという事態は、ハマーンでなくとも少なからず不安を覚える。
「今日の夜半までにはバーニィ達が戻る予定よ。明日にはライデン中尉とシーマ中佐の部隊もここへ帰還する事になっているわ」
「セイラ!」「むー!?」
補給物資のリストを挟んだバインダーを手にして現れた
セイラ・マスにメイが意外そうな声を、ハマーンが敵意のこもったブーイングを向ける。
545 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/10/11(火) 20:37:47 ID:5NDhsjEs0 [7/8]
「何でここに?これぐらい私達だけでできるよ?」
「ご苦労様、私もアムロに同行して431高地野戦基地まで行く事になっているのよ」
「「えぇっ!?」」
メイとハマーンの声がハモッた。その状況は2人にとって寝耳に水である。
「物資補給のサポートは必要でしょう?」
「ま、まあそりゃそうだけど・・・」
フォークリフトを止めたメイは、地平線に迫る太陽を透かして風にさらりと流れるセイラの綺麗な金髪を見ながら上目使いに口ごもった。
それなりに煩雑な手続きを踏まねばならない補給作業を円滑に行う為には、確かにサブオペレーターの同行が望ましいだろう。
しかしそれでは、行きはまだしも帰りの機内はこのセイラとアムロ2人きりになってしまう・・・という事になるではないか。
見るからにセイラにメロメロのアムロと、それに満更でもなさそうなセイラが2人っっきりになった時、いったい何が起き――――
「私も一緒に行く!」
頭の中でもやもやとした妄想を繰りひろげていたメイを我に返らせたのは、勢いよくコンテナを飛び下り、大地にしゅたりと仁王立ちしたハマーン・カーンであった。
ピクシー塗装用のだぶついたツナギを着たままである事を差し引いても、その姿はなかなかに勇ましい。
「私にもアムロの手伝いぐらいはできるぞ?」
「・・・駄目よハマーン、これは遊びじゃないの」
思い詰めた顔のハマーンを、しかし厳しい顔のセイラが諭す。
「そんなつもりはない!私は真剣だっ!」
「ならもう少し大人におなりなさい」
「ぐっ!ずるいぞ・・・!!」
睨み合う2人の真ん中に位置取るメイはセイラとハマーンの顔を見比べた。
セイラを下から睨み付けるハマーンの瞳が不意にきらと輝いた気がして目を凝らすと、幼いながら意志の強さを感じさせる大きな瞳にうっすらと涙の膜がかかっている。
しかし気丈なその姿からは炎の様なカリスマ性の片鱗がうかがえ、同性のメイすら一瞬ぞくりとした程だった。
セイラの美貌は言うまでもないが、あと5年も経てばハマーンも相当な美形に成長するであろう事は間違いがない。
年上のセイラがストレートな意味で発した言葉ではなかったかも知れないが、先程の彼女の言葉を心の中で反芻したメイもなんだか泣きたくなってしまった。
「・・・!」
結局ハマーンは眼の縁から涙が零れ落ちる前に踵を返しその場を駆け去ってしまい、気まずいままの2人は黙々と輸送機への搬入作業を再開したのだった。
しかし、走り去ったと見せ掛け、その実すかさずコッソリと戻って来たハマーンが、誰にも見つからない様に用心深く
搬入用コンテナの陰からそっと様子を伺っていた事を、この時点で2人の少女は全く気付いていなかったのである。
697 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 20:23:14 ID:8CWY4psQ0 [2/7]
ハモンは極めて渋い顔で困惑をしていた。
青い木馬に帰還したばかりのシャア・アズナブルが、ランバ・ラル、ゲラート・シュマイザーとのブリーフィングの後、自室に戻る途中で突然ミハルのいる食堂へ行くと言い出したのである。
かつてアンディが口にした【ミハルの料理を全ての兵士に】という提案はすぐさま実行に移され、現在ここキエフ第123高地基地に駐留している30程の部隊はローテーションで青い木馬の食堂に招かれ、誰もがミハルの手料理を口にできる機会を得ていた。
実際にその効果は覿面であり、兵達の士気がみるみる回復したと現場部隊を指揮するガイアやマッシュがわざわざラルに報告しに来た程であった。
その際、混乱が起きない様、部隊ごとに割り当てられる青い木馬での食事の順番やシークエンスは全てハモンがチェックし統括管理している。
つまり、ハモンの胸先三寸でシャアを非公式で彼等の中に紛れ込ませる事が可能なのだ。
どうやらこの要請、ラルとゲラートというキャスバル派の重鎮2人に全力で却下される事を避ける為、シャアは彼らが離れハモンと2人きりになるタイミングを見計らって切り出したらしい。
策士、ではなく姑息、と言えない事もない。
「どうかお控え下さい。今後どう事態が転がるか判らない以上、キャスバル様の素顔はできるだけ兵達に見せるべきではありません。
それを自ら集団の中に出向くなど、以ての外です」
「承知している。しかし、そうだな、この数日ろくな物を口にすることができなかった私は、まともな食事に飢えているのだ」
「それは判りますが・・・」
ハモンは顔を顰めた。これではただの駄々っ子である。
しかし無論、これがシャアの本意である筈がない。
「頼む。ミハルの姿が確認できればそれでいい」
食い下がるシャアの口からぽろりと本音が飛び出したが、ハモンは気が付かないフリをしてやる事にした。
「焦らずともあと数時間もすればミハルは仕事を終えます。
心配なさらずとも彼女にはキャスバル様が戻られた事は伝えてありますから、何も慌てて・・・」
「いや重ねて頼む。目立つ事はしない、部屋の隅で大人しくしているさ」
何も知らない立場であったなら、シャアのこんな迂闊な提案は絶対に容れられるものではなかっただろう。
しかし普段から良くミハルと行動を共にし、何くれとなくシャアとの事を聞き出していたハモンは事の成り行きこそ直接聞いてはいないものの、実は相当正確に2人の仲とその進展具合を察していた。
昔取った杵柄で、何気ない会話から相手の情報を引き出す手管は長けているハモンである。
そして最近のミハルが普段通りを装っている陰で、不在のシャアをどれだけ心配していたのかも知っている。
この様子を見る限り、恐らくそれは目の前のシャアも同じだったに違いない。
「・・・」
思案顔で黙り込んでしまったハモン。
忍ぶ恋、というものに彼女は弱い。女の立場が弱いケースは特にそうだ。
互いの無事な姿を、若い2人に一刻も早く確かめさせてやりたいという気持ちも芽生える。
果たしてそれは、無意識のうちに彼女自身の境遇を重ね合わせてしまうからなのかも知れなかった。
やがてハモンは無理を言う上官にではなく、聞き分けのない弟に対するような眼差しをシャアに向けつつ溜息をついた。
満ち足りた表情を浮かべた20人程の兵士達が名残惜しそうに退室するや、別の兵士達の一団が待ってましたとばかりに入れ替わり、瞬く間に場のテーブルを占拠してゆく。
1日2交代制で計40人分程の食事が振舞われる青い木馬の食堂は、本日も飢えたジオンの兵隊達で大盛況であった。
もちろん彼らのお目当てはミハル・ラトキエが腕を振るう最高の料理だ。
今やここに駐留するジオン軍人達は皆、青い木馬での食事を、正確に言うなら食事の順番がまわって来る日を心待ちにしているのである。
そして
渋るハモンをついに宥めすかしたシャア・アズナブルも、今はその喧噪の中にいた。
もちろん素顔の彼は一般兵用の軍服を着込み軍帽を目深に被っている。
698 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 20:25:26 ID:8CWY4psQ0 [3/7]
シャアは先程から帽子の庇に隠した視線で周囲を観察しつつ深い感慨を覚えていた。
青い木馬は、旗色が決して良いとは言えない戦場の最前線に配置されている。
なのにここに集う兵士達の明るい表情はどうだ。
普段は疲れ切った顔の兵士達が、ここではまるで別人のごとく明るくはしゃいでいるではないか。
当初青い木馬のクルーが想定していたよりも遥かにここは、彼らにとって殺伐とした戦場の只中において一息がつける貴重な場所となり得ていたのだった。
「全く前の奴らグズグズ長居しやがって・・・おっと見ねえ顔だな、新顔か?」
そう声を掛けてきたのは見るからに粗野で豪快、堂々たる体格をした兵士だった。
年の頃は30代の半ばあたりだろうか、髪が少々薄く無精ひげを生やしている。
身体からぷんとアルコールの匂いが漂って来るところからして、あまり品行な兵士ではなさそうだ。
襟章を見れば彼が中尉だという事が判る。
「は、第2次降下作戦の生き残りであります」
上等兵の襟章を付けているシャアがさらりと口にしたのは勿論フェイクであったが、やろうと思えば彼は自らが扮している架空の人物の生い立ちやここに至るまでの経緯を簡単に説明する事もできる。
もちろん件の詳細な架空の人物設定は、完璧主義者のニムバスの手によるものであった。
「おーそういや昨日増援がキャリフォルニアベースからこっちにって話だったっけかな?
ま、ご苦労なこったぜ」
しかし中尉はそう言っただけで特にそれ以上の詮索をせず、食堂に設置された長いテーブルの隅を指差しシャアに着席を促すと、自分もその隣にどっかりと腰を下した。
「なら、ここの食事は初めてだろう」
「はあ」
シャアとしては、曖昧に返事をするしかない。
「最前線(ここ)に送られた自分はツイてねえ、そうしょぼくれちゃあいねえか?
どっこいそうじゃねえのさ。
お前ツイてるぜ。その理由が聞きたいか?」
消沈して俯きがちな新兵を励まそうというベテラン兵の気概を感じてシャアは僅かに目線を上げた。
この中尉は見かけによらず優しく世話好き、なのかも知れない。
「・・・是非お教え願いたいものであります」
笑みを浮かべて身を乗り出したシャアの問いに、中尉はポケットから取り出した金属製の小型ウイスキーボトルに口をつけて一口煽ると、手の甲で口を拭ってからニヤリと笑った。
「ここで出る最高のメシを食う事ができるからさ!
なあ!ここのメシは、今や俺たちの活力源、いいや、生命線だよなあ!?」
「ああ、ミハルの作る料理はヤバイ薬なんぞより、よっぽど戦いの恐怖を忘れさせてくれる。
緊張と疲労で死にかけていた奴も、ここのメシを食って体調を戻した」
周りを見渡した中尉の問いに、シャア達の斜向かいに座っていた目つきの悪い兵士が片眉を上げると、その隣に座る真面目そうな兵士も頷いた。
「ええ、どんな事があっても生きて帰って、またここで食事したいと思わせてくれますよ」
彼らの言葉に聞き入るシャアの右肩に、後ろから厳格な雰囲気を醸す壮年の兵士ががっしりと手を置き、顔を近づけながら強いジオン訛りで囁いた。
「俺達にここを解放して下さったシャア大佐には皆感謝してるんだ」
「・・・!」
思わず表情を無くしたシャアが振り返らずにいると、後ろの兵士はシャアの肩をポンポンと2回叩いて言葉を継いだ。
「この艦だきゃあ、死んでも守らねえとってえ気になる。きっとお前さんもな」
正体がばれていた訳ではない事を知ったシャアが安堵して身体の力を抜くと、更に後ろから若い別の兵士が立ち上がった。
699 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 20:26:20 ID:8CWY4psQ0 [4/7]
「補給も満足によこさねえオデッサの末成り(うらなり)なんざどうなろうが構やしねえがよお!」
途端に一同がブーイングを発し、同時に親指を下に向けた。
オデッサの末成りとは言うまでもなく総司令官たるマ・クベ大佐を指しているのだろう。
揮下の部隊や物資を何かにつけて出し渋る彼は、一般兵からはすこぶる評判が悪い。
「最悪、この艦とミハルだけは無事でいてもらわんと、文字通り俺らオマンマの食い上げだあな!」
ガハハと笑うお調子者らしき兵士の軽口に、一転して場にいる全員が口笛と共に拍手喝采を贈る。
「ミハルって誰だ」
「馬鹿野郎知らねえのか、ここの食事は全部ミハルってえ娘が拵えてるんだ」
「へええ、そいつぁ是非とも嫁に欲しいモンだな」
騒ぎの陰ではそんな会話もちらほら聞こえて来るが、一方のシャアはというと次第に胸中に湧き上がる不可思議な感覚に困惑しきりだった。
ミハルがジオン兵達の間で高く評価されている事はいい。
しかし何故だか、一般兵の間から気安くまろび出た彼女の名前に何とも言えない苛立ちを覚えるのだ。
かつて味わった事のない、もどかしいこの感覚。
これは一体何なのだとシャアが焦慮したその時、一同がひときわ大きく沸いた。
厨房に通じるドアからエプロンを締めた数人が列をなして現れ、料理を満載したワゴンを壁に沿って一列に並べ出したのである。
このエプロン姿の兵士達はミハルを手伝う為に各部隊から抽出された臨時の輜重隊であった。
簡単に言えば調理助手、助っ人である。
厨房で調理するミハルを手伝う一方、こうして給仕も行う。
良く見ると、その中にはフェンリル隊の一員シャルロッテ・ヘープナー少尉の顔もある。
兵士達は総立ちだ。先程の中尉が堪らずに声を掛ける。
「待ちかねたぜ!今日のメニューは何だ?」
割れがねを思わせる大音量で響き渡ったその場にいる全員の気持ちを代弁するがごとくの問い掛けに、シャルロッテも負けじと良く通る綺麗な声で叫び返した。
「大粒チーズ入りのクリームシチューと黒胡椒ベーコンを焼きこんだパン、それからフライの甘酢ソースがけ!!」
「うおお全部くれ!」
「こっちにもだ!!」
熱狂的、いや爆発的な盛り上がりで兵士達は次々と席を立ち、ラックから配給食用のプレート・トレーを抜き取るとそれぞれ手に取った。
「じゃあまず、こちらの班から順番に並んでちょうだい。食事は十分にあるから慌てないで。そこ、走らない!」
厳格なシャルロッテは例え上官といえど容赦がない。そして誰もここでは彼女に逆らわない。
何故ならばある意味、輜重隊は軍の中で最強序列だからである。
出されるものが飛び切りの料理とくれば尚更だった。
それにしても、華奢な彼女の指示に荒くれ兵隊達がいそいそと文句ひとつ言わず従う様は、何ともユーモラスな光景である。
兵士達は湯気の立った料理が仲間達のトレーに満たされてゆくのを大事そうに見つめながら列を少しづつ進み、やがて食べ物が満載された自らのトレーを抱えて席に戻ると思い思いに食べ始める。
待ちに待った兵士達、至福の瞬間であった。
しかし、シャア一人だけは列をなして並ぶ兵士達を呆然と見つめ、後方で立ち尽くしている。
どんなに目を凝らしてみても、給仕隊の中に肝心のミハル・ラトキエの姿がないのである。
急いでシャアはトレーを携え列に並び、シャルロッテの前まで来たところで彼女に小さく声を掛けた。
突然の事に目を剥いて仰天したのはシャルロッテである。
700 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 20:27:09 ID:8CWY4psQ0 [5/7]
「た・・・!?」
手にした金属製の杓子を危うくシチュー鍋の中に取り落としそうになったシャルロッテは、みるみる怒りの表情を形造ると器用に小声で怒鳴った。
『・・・大佐!?こんな所で一体何をなさっているんですかあなたは!』
「そんな事よりミハルはどこだ。姿が見えない様だが」
シャルロッテは数秒の呆けた様な沈黙の後、再び眉をきりきりと釣り上げると、目の前の上官を叱りつける様に口を開いた。
『料理を作り終えると、どこかに、届け物があるとかで!』
意表を突かれた顔でシャアはシャルロッテを凝視した。
『後を私達に任せ、焼き上がったばかりのパンをいくつか抱えて飛び出して行ってしまいました。
まあこの給仕だけなら我々だけでもできますから』
「そ、そうだったか・・・」
帽子の庇を片手で少し引き下げ目線を隠すと、ばつが悪そうにシャアはそのまま列から離れた。
強引な行動が裏目に出たせいなのか定かではないが、どうやら彼らは完全に行き違ってしまった様である。
明らかに落胆した様子のシャアは、彼の心の内を知らぬシャルロッテを振り返りもせず急ぎ足で自分の席に戻った。
「中尉、宜しければこちらもどうぞ」
「ん?何だ食わねえのか、急用でも思い出したか?」
突然シャアに手つかずの料理が乗ったプレートを差し出された中尉は面食らう。
「はい」
「どんな用事か知らんがこれを食ってからでも遅くはねえんじゃねえのか?」
「いえ、私にとっては何よりも優先される事ゆえ」
「ほお」
はたと食事の手を止めてシャアの顔を下から覗き込んだ中尉は、にやりと相好を崩した。
「手前ェさては女絡みだな?」
下卑た笑いと共に小指を立てる中尉にシャアは苦笑しながらまたも軍帽の庇を引き下げた。
たいしたものだ。
人生のベテランらしい気配りと洞察力、そして何よりずば抜けてカンが良い。
この中尉は間違いなく腕利きのパイロットであろうとシャアは確信した。
「参りました。ご明察、痛み入ります」
「けしからん野郎だ、さっさと行っちまえ。こいつは有難く頂いておく」
何某か思うところがあっても、あえてしつこく問い詰めないところもいい。
「は、お先に失礼します」
敬礼して下がりながらも、シャアは彼と彼の周囲に集う兵士の姿を目に焼き付けておくのを忘れない。
優秀な人材は喉から手が出るほど欲しい。
機会があればこの中尉を擁する部隊を、そっくり引き抜いてやるとしよう。
「おいミーシャ、独り占めはないだろう」
「へへへ大尉、こいつは早いもん勝ちですぜ」
そんな声を後ろ手に聞きながらシャアは足早に食堂のドアをくぐり抜けた。
「わざわざありがとうミハルさん。それじゃあ遠慮なく」
ミハルから大きな紙の包みを受け取ったアムロは、笑顔でそれを横のセイラに手渡した。
包みからは香ばしい焼きたてパンの香りが漂っている。
彼らの後方には暖気を終えた輸送機ファット・アンクルが地平線に姿を消した太陽の残滓で黒くシルエットを作り、緩くローターを回しながら待機している。
既にヒルドルブと物資の搬入は完了し、後は離陸を待つばかりの状態だ。
彼らに同行するデメジエール・ソンネン少佐は搬入されたヒルドルブの中に籠り、最終調整に余念がない。
701 名前:1 ◆FjeYwjbNh6[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 20:27:41 ID:8CWY4psQ0 [6/7]
「シャア大佐にも届けに行ったんだけど、姿が見えないんだ。
だからこっちに先に来たってわけさ。出発に間に合って良かったよ」
「とてもいい香り。後でゆっくり頂くわね。ソンネン少佐もきっと喜ぶと思うわ」
そう言うと偏屈そうなソンネンの顔を思い浮かべたのか、セイラはアムロと顔を見合わせて小さく笑った。
「そうだ、そう言えばハマーンがまだ戻って来てないんだけど、どこに行ったか知らないかい?」
「ハマーンが?」
心配そうなミハルの様子に、驚いた顔でもう一度顔を見合わせる2人。
「実は・・・我儘を言ったハマーンを少しだけきつく叱ってしまったの」
「そ、そうなんですか?」
申し訳なさそうに目を伏せるセイラにアムロは狼狽えた。
「もしかして、メイの所にいるんじゃないかしら?
ほら、最近あの2人はとても仲良しみたいだし」
「そうですね、ハマーンの行きそうな所と言えばそこかな・・・」
―――しかし、結局・・・そこでもハマーンは見つからず、ミハルは無駄足を踏んでしまうことになる。
その後、ハマーンを探している最中にシャアと再会を果たしたミハルは、それを喜ぶ間もなく『ハマーンはセイラに無理な同行を申し出ていた』というメイの証言と
「そういやあ・・・何か女の子が搬入コンテナ開けてたのを見たぜ、小さいハッチ付きの奴」
- という、当時このヘリポート付近で作業していた兵士からの目撃情報を得て真っ青になるのであるが・・・それは今より少し先の話であった―――
「判った、それじゃ今から行ってみるよ。あんた達も気を付けて行っておいでよ」
一陣の風が吹き付け彼らの髪を弄ったのを契機にアムロとセイラは輸送機に乗り込み、ミハルは彼等の離陸を見送ると踵を返し、不安そうな面持ちでハンガーへとひた走った。
最終更新:2011年12月27日 20:25