「透明な想い出に・お母さんの目玉」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
~ お洒落でエエカッコシイの合唱団に ~ 平吉 毅州 合唱団アムサティークの誕生、そして第一回演奏会おめでとう。 ボスの川邊君とは、学生時代からのポン友で、他の仲間と一緒に、 やれソシアルダンスだ、やれビリヤードだ、とよく遊んだ。 昭和30年代の話である。 当時から、彼は極めてお洒落でエエカッコシイで、そのくせ変に勉強家、 そして性格が明るい。それは今も変わらぬ。 クルマを持てばVW、そして今はアウディとくる。 ベンツ、ポルシェでないところがカワユイ。 俺達も、もう50代の後半に入ろうかというところ。 長生きして、新生アムサティークと一緒にひたすら前へ前へと進んで欲しい。 これは、この合唱団の名誉顧問であるワタクシの心からの希いなのです。 今回、第一回コンサートを記念して、メンバーの糸川真弥さんの詩 「透明な想い出に」に曲をつけて、プレゼントします。
「透明な想い出に」は、平成3年の春に第1回のアムサティークの 演奏会で初演されました。 その前年、アムサティークが結成された時に名誉顧問を引き受けて くださった平吉毅州先生に「ぜひ委嘱作品を」との話が持ち上がり、 その作詞をさせていただくお話をいただいたのです。 恐れ多くもあの平吉先生に曲をつけていただける・・・それまで 趣味程度に詩を書いていた私は「本当にいいのかな?」と恐縮しな がらもこの幸運な企画をお受けし、ちょうどその前年に不慮の事故で 亡くなった、私たちのある一人の合唱仲間を思って書き上げました。 古臭い言葉だけれど 誰もが持っている「青春の1ページ」。 私たちの青春はまさに「歌」でした。 うれしいことも、かなしいことも 一緒に歌ってきた歌の思い出と 分かり合えた仲間は 永遠に透明であり続けます。 あの時代を忘れないで・・・生きていきたい。 彼女の分まで。 そんな気持ちで書いた詩です。
「お母さんの目玉」は、かつて私が盲学校に教員として勤務していた頃に、 ある作品展で出会った「先天性全盲児が作った粘土細工」から受けた衝撃を 書いた作品です。 目の見えない子は、既成の物体を指で触ることによって「どんなものか」を 理解しますが、大好きなお母さんをたくさん触って確認しても、どうしても 目玉だけは触ることができません。 そこで「目玉のない」お母さんの粘土細工が出来上がります。 その悲しくも切ない現実に直面した時、私は言葉を失い、その粘土細工を見た だけで胸がいっぱいになりました。 そしてその時の思いを何とか表現しようと言葉にしたのがこの「お母さんの 目玉」でした。 平面的な私の言葉も、平吉先生にメロディがつけられ、アムサティークの メンバーによってハーモニーが綴られると、あの時のなんとも言えない心の 動揺が、再現されるようでした。
どちらの作品も、私にとっては宝物であると同時に、長年歌い続けている アムサティークにとっても宝物です。 この2作品を書いた頃、私は「独身の社会人」でしたが、今はアムサティ ークには参加できない土地で「2人の娘のお母さん」をしています。 時間が流れ、時代が移り変わっても、この2曲は変わることはありません。 僭越ながら作詩者として、アムサティークで歌い続けられていることを心から 誇らしく、うれしく思いますし、何よりも変えがたい宝物を残してくださった 平吉先生には感謝の気持ちでいっぱいです。 (2007年2月 糸川 真弥)