**透明な想い出に #center(){ ~ お洒落でエエカッコシイの合唱団に ~ 平吉 毅州 合唱団アムサティークの誕生、そして第一回演奏会おめでとう。 ボスの川邊君とは、学生時代からのポン友で、他の仲間と一緒に、 やれソシアルダンスだ、やれビリヤードだ、とよく遊んだ。 昭和30年代の話である。 当時から、彼は極めてお洒落でエエカッコシイで、そのくせ変に勉強家、 そして性格が明るい。それは今も変わらぬ。 クルマを持てばVW、そして今はアウディとくる。 ベンツ、ポルシェでないところがカワユイ。 俺達も、もう50代の後半に入ろうかというところ。 長生きして、新生アムサティークと一緒にひたすら前へ前へと進んで欲しい。 これは、この合唱団の名誉顧問であるワタクシの心からの希いなのです。 今回、第一回コンサートを記念して、メンバーの糸川真弥さんの詩 「透明な想い出に」に曲をつけて、プレゼントします。 } #right{(第一回演奏会パンフレットより)} ---- #center(){#ref(toumei1.JPG)} ---- 「透明な想い出に」は、アムサティークの名誉顧問である[[平吉毅州先生>名誉顧問紹介]]に 第一回演奏会を記念して作曲して頂いた混声合唱曲です。 (ちなみにこの曲が出来上がったのは、演奏会の二週間前でした。) この美しい曲は、次の一節から始まります。 ひたいにかざした 手のひらから 光がにじむ 夏のしずくが こぼれてきた なにもかもが 透明で なにもかもが 美しかった 作詞者である糸川真弥さんにコメントを頂きました。 「透明な想い出に」は、平成3年の春に第1回のアムサティークの 演奏会で初演されました。 その前年、アムサティークが結成された時に名誉顧問を引き受けて くださった平吉毅州先生に「ぜひ委嘱作品を」との話が持ち上がり、 その作詞をさせていただくお話をいただいたのです。 恐れ多くもあの平吉先生に曲をつけていただける・・・それまで 趣味程度に詩を書いていた私は「本当にいいのかな?」と恐縮しな がらもこの幸運な企画をお受けし、ちょうどその前年に不慮の事故で 亡くなった、私たちのある一人の合唱仲間を思って書き上げました。 古臭い言葉だけれど 誰もが持っている「青春の1ページ」。 私たちの青春はまさに「歌」でした。 うれしいことも、かなしいことも 一緒に歌ってきた歌の思い出と 分かり合えた仲間は 永遠に透明であり続けます。 あの時代を忘れないで・・・生きていきたい。 彼女の分まで。 そんな気持ちで書いた詩です。 ---- **お母さんの目玉 私たちアムサティークは1991年の第1回演奏会より、毎年2月又は3月に 演奏会を開催していますが、1995年だけ演奏会を開催出来ませんでした。 同年1月17日に起きた阪神淡路大震災の為です。 団員の中にも被害が出た事もあり、この年は演奏会を中止しました。 しかし、歌を続けたいという想いは強く、翌年の1996年には再び演奏会を 開催する運びとなりました。この記念すべき演奏会で[[平吉毅州先生>名誉顧問紹介]]に作曲して 頂いたのが、混声合唱曲「お母さんの目玉」です。 お顔がまるくて ぽっちゃりしてて おっぱいが出てて まるで 春のお日様のよう 作詞者である糸川真弥さんにコメントを頂きました。 「お母さんの目玉」は、かつて私が盲学校に教員として勤務していた頃に、 ある作品展で出会った「先天性全盲児が作った粘土細工」から受けた衝撃を 書いた作品です。 目の見えない子は、既成の物体を指で触ることによって「どんなものか」を 理解しますが、大好きなお母さんをたくさん触って確認しても、どうしても 目玉だけは触ることができません。 そこで「目玉のない」お母さんの粘土細工が出来上がります。 その悲しくも切ない現実に直面した時、私は言葉を失い、その粘土細工を見た だけで胸がいっぱいになりました。 そしてその時の思いを何とか表現しようと言葉にしたのがこの「お母さんの 目玉」でした。 平面的な私の言葉も、平吉先生にメロディがつけられ、アムサティークの メンバーによってハーモニーが綴られると、あの時のなんとも言えない心の 動揺が、再現されるようでした。 ---- ---- #center{ 1998年5月28日、平吉毅州先生は永眠されました。 突然の訃報に、先生方をはじめ全団員が衝撃を受けました。 「「透明な想い出に」と「お母さんの目玉」、 もう一曲作って、混声合唱組曲にしよう。」 その想いは、ついに実現することはありませんでした。 今となっては残念でなりません。 私達の宝物であるこの2曲に共通しているのは、平吉先生の 人柄でもある限りない優しさではないでしょうか。 } ---- ---- どちらの作品も、私にとっては宝物であると同時に、長年歌い続けている アムサティークにとっても宝物です。 この2作品を書いた頃、私は「独身の社会人」でしたが、今はアムサティ ークには参加できない土地で「2人の娘のお母さん」をしています。 時間が流れ、時代が移り変わっても、この2曲は変わることはありません。 僭越ながら作詩者として、アムサティークで歌い続けられていることを心から 誇らしく、うれしく思いますし、何よりも変えがたい宝物を残してくださった 平吉先生には感謝の気持ちでいっぱいです。 #right{(2007年2月 糸川 真弥)} #center{ 透明な想い出に 色をつけずに 私達も前向いて 歩いていこう 海も 空も 風も 美しいものそのままに 愛も 夢も あの歌声も そのままに } #right{(「透明な想い出に」より)} ---- #center{#ref(toumei.jpg)} ---- #center{(画像・歌詞等の無断転載を禁じます)} ----