「ジェノサイバー 虚界の魔獣」は1993年に発売されたOVA
原作:アートミック 監督:大畑晃一 脚本:會川昇、有井絵武、大畑晃一
アメリカ先行発売で過激な残酷描写が話題を呼んだらしいが、過激どころではない。
女、子供だろうが容赦なく肉塊と化していくスプラッターシーンの連続はまるで倫理や道徳を嘲笑っているかの様である。
その話題になった残虐シーンの数々はこちらを参照されたし
表現規制が日に日に厳しくなっていく今日であるが、どこぞのマヌケな
アニメ害悪論者達が見たら
発狂もとい憤死しかねん容赦のなさである。
ましてや、「子供が死ぬ」と言うのは表現としては(アメリカでは)最大のタブーでもあり、そんな事をしようものなら今じゃ確実に発禁になるのは間違いない。
アグネス憤死どころではない(キリッ)
逆に考えると、こんな知る人ぞ知るカルトアニメが(何しろ自分達でスーパーカルトアニメーションって言ってるぐらいだ(笑))規制バリバリなアメリカでそれなりの認知度を得た事には考えさせられるものがある。
きっと向こうのアニオタも鬱憤溜まってたんだろうね
さて、何かと残虐シーンばかりが取り上げられがちな本作であるが(っていうか、この作品知ってる人なんて居ます?)果たしてこれは、単なる悪趣味なスプラッターアニメなのだろうか?
私の意見としてはNO しかし、「面白いか?」と聞かれれば疑問符がつくのも事実。
なんせ、本家のWikiにすら説明不足で物語を把握するのが難しいとすら書かれる始末だったり確かに
訳が判らない、人を選ぶ作品であるのは間違いないでしょう。
結局、この作品のテーマは二つだと私は深読みします(笑)
それは「母性」と「ジェノサイド」
あるいは「イノセント」と「ジェノサイド」なんですね
★知的障害の主人公・エレイン★
主人公の女の子、エレインは知的障害者(!)で言葉も満足に喋れない。
台詞といえば、(ごくごく一部の演出を除いて)獣のような雄たけびをあげるぐらいで
彼女の「考え」を察する事は非常に難しい。
しかし、彼女に感情移入できないのか?と聞かれればノー
台詞を発する事が出来ない故に、「感情」が痛いぐらいに突き刺さってくるのだ。
また、あまりにイノセントな存在な故に母性本能が非常に強い
イノセントを訳すと無実、無邪気、天真爛漫な人になるがこのワードだけを聞いた第三次アニメブーム以降に育ってきた
オタク脳では実に美少女ゲーム的キャラクターを連想してしまうだろうが、それはイノセントを誤解してます。
無邪気と言う事はある意味危うい事であり善悪に頓着が無いと言う側面もあります。
エレインとはまさにそう言った意味でのイノセントな存在であり、このイノセントな母性本能が作品の一つのテーマなのでは
無いか?と私は深読みします(笑)。
このイノセントな母性本能とは先に紹介した動画ですと冒頭で少年少女達がガンシップに肉塊にされる瞬間が
判り易いですね
本編では数十秒しか無いシーンなんですが、彼女は子供達を戦場から脱走させようとしてるんですね。
で、失敗して皆、殺されてしまう訳です。次の瞬間にジェノサイバーに変身して返り討ちにする、と
考えなしに突っ切ろうとすりゃそうなるだろって思うんですけど、本能的にそうしたんでしょうね
ちなみに第一話でも別の少年と出会うのですが、彼も容赦なく殺されます(笑)
その結果、どうなったかと言うと上海が丸ごと消滅するんですね(笑)
この極端な母性とは言わば、鬼子母神なんですね。
我が子を生かす為に、他者を食らう。他を一切かえりみないこの極端な母性が実に極端なイノセントの発露であり鬼子母神的なんです。
エヴァ初号機の暴走もこれに近いものがあります(ちなみにエヴァは1995年)
我が子を生かす為ならば虐殺も厭わない故にジェノサイバーなんでしょうか
完全に深読みですね、ごめんなさい(笑)
ちなみにジェノサイドが語源なんでしょうけど、あれは民族浄化とかそんな意味らしいですね
そう言った意味ではここの考察とはちょっとズレます。
でも、ちゃんとジェノサイドもしてますので間違いではありませんね
あと、完全に余談なんですが「有害なアニメや
ゲームから子供を守る!!」と規制活動に勤しんでる某女性活動家達と
エレインのやっている事の根っこが一緒、つまりある種のジェノサイドに繋がるのは皮肉としか言い様が無いでしょうね(笑)
(政治的な思惑云々はここでは伏せておきます(笑))
★タブーを越えた残虐表現の果てに目指したもの★
一方でカルトアニメゆえの難解さとタブーを無視した残虐描写の数々は全三部ラスト直前まで続く。
何せ、作中用語についての説明すら殆どありませんからね。
挙句の果てに、登場人物は殆ど死ぬし、生き延びても発狂するし、っていうか世界すら一度滅亡するし
非常に陰鬱な展開のオンパレードです。
某美少女アニメの残虐シーンなんて子供騙しと思えるようなリアル過ぎる人体破壊描写の嵐がこれでもか!とばかりに吹き荒れ
私の精神も崩壊しかけ「何だ、単なる悪趣味なモツアニメか」とサジを投げかけたが、アニメ終了一分前に評価が一変した。
(っていうか、よく最後まで観たもんだ。病んでたんでしょうね)
凄惨極まる残虐描写の最後に聞こえた、力強い生命の息吹を感じさせる赤ん坊の声に僕は言葉では言い表せない感動を覚えた。
例えるならばヤコペッティの「世界残酷物語」に流れる名曲「モア」の様に、醜と美の相反する要素の調和を感じた。
大虐殺の最後に赤ん坊の声だけでこんなに心が洗われるのか!!このカタルシスはイデが発動したあの瞬間にも似ている。
つまり、究極のカタルシスとはこの事なのだ。相反する要素にこそ真理がある、私はそう確信した。
愛によるカタルシスなど子供騙しに過ぎない
それは癒されてるだけで、浄化されているのとは違う。
究極の浄化を体験するには自信の精神を崩壊ギリギリにまで追い込んでこそ得られるもの
本当のカタルシスってこう言う事よね!!と声を大にして言いたいぐらいです。
つまるところ、カタルシスなんですね、究極の。
それがエンターテイメントの本質ならば、突き詰めたんでしょうね。
しかしながら、富野監督曰く、あのイデの発動シーンは「夢オチ」に並ぶ「禁じ手」らしいので(エンターテイメントとしては)
そう言った意味でもカルトアニメーションなんでしょうけどエンターテイメントとしてその先に見えるものは既に答えが出てしまった
訳で80年代後半から始まった市場を無視したOVAブームの暴走の行き着くところが結局これだったって事なんでしょうね。
個人的にも大畑作品で面白かったのは、本作と
装鬼兵MDガイスト(1986年)ぐらいだったりします。(っていうか、監督作品に恵まれてない)
尚、この作品を観たいとお考えならば是非とも全三部一気に観て欲しい。
そうしなければカタルシスなんて到底味わえないだろう。
そんな用法も踏まえて、なんだろうねこのアニメ
個人的には墓場まで持って行きたい作品だけど
mafty(管理人)
最終更新:2010年01月15日 17:46