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その血の運命 ◆BEQBTq4Ltk


文明の進化に伴い生活は改善されている。
 例えば、歩くだけにしても自らの足を使わずに馬車を用いてきた人間は、やがて機械の移動手段を得る。
 ジョセフ・ジョースターと佐倉杏子の二人を乗せた車は、人間の体力を浪費することなく、目的地まで運んでくれる。

 身体に与える害と云えばガスや小さな振動ぐらいだろうか。
 しかし小さな振動と表しても老体には大きく響いてしまうだろう。現にジョセフの顔色が悪い。


(……近い)


 疼く。
 彼が危惧するのは老体に対する自愛の心ではなく、迫り来る決戦の時の訪れである。
 ジョースター家に見られる星形の痣があの男と共鳴するように、疼く。

 手で抑えてみるものの、疼きが止まる訳では無く寧ろ加速するように感じてしまう。
 現在、目指している座標は時計塔――其処にあの男が確実に潜んでいるだろう。

 出逢えば戦闘は確実であり、無論ジョセフとて交戦する意思は存在するが相手の力は未知の領域である。
 幾度なく危機を乗り越えてきた往年の波紋戦士でさえ、底が見えない程に黒く染まっている邪神にどう対応するか。
 それを確かめるためにも、これ以上被害を、犠牲者を出さないためにも立ち向かわなければならないのだ。


(DIO)


 永劫に続く因縁に決着が訪れる――その時が迫っているのかもしれない。


「そう言えば杏子」

「何がそう言えばだって?」

 ハンドルに手を添えながらジョセフが語りかける。手を添えるのは当然ではあるが。
 切り口に難儀を示す杏子ではあるが、車に乗ってからのもののやけに口数が減っていた。
 正確には、ジョセフの表情に曇りが見え始めてから、二人の口が重くなっていたのだ。

 杏子は真当な人生を歩んではいないが、何も空気が読めない訳では無く、ジョセフを気遣い黙っていた。
 無論、自ら切り出す話も無いのだが、真剣な面立ちをしている仲間を邪魔することなどしない。

 そんな状況からジョセフから声を掛けられたのは不思議でも何でも無く、ある程度は予想出来ていたこと。
 出来た大人である彼ならば、重い空気を察して話し掛けて来ると、杏子は若干ではあるが睨んでいた。

「さっきから静かだが……サファイアはどうした」

 喋るステッキ。
 雑に表した所の仲間――支給品の類ではあるが、彼女が喋っていないことを気にしていたようだ。
 その問に杏子は軽く笑った後に、何故か自慢気に答えた。


「うるさいからバッグに仕舞ったよ」

「お、おう……」


 さらりと言葉を流した杏子にジョセフは苦笑いと驚きを交えた声を出す。
 やがて間が生まれた後には両者が少なからず笑みを浮かべており、一先ずの重い空気は解かれた。


「じゃあ、やっぱ此処にいるんだろ……時計塔に」


 車は止まっていた。
 レバーを動かしエンジンを切った所で降車する二人。見据える先は目的地であった時計塔。
 その中に潜むは追い求めていたあの男。


「かもな……DIOが居るかもしれんわい」



 朽ち果てるように沈みゆく太陽。

 静かに時を刻み続ける時計塔。

 陽の光が無くなりし時、夜の主役である吸血鬼は絶大なる加護を得る。

 ならば決着をつける時は――。


「これで居なかったら肩透かしだが……それはそれでありじゃな」


「何がありだよ……あいつは許さねえ。けど、会いたくは無いよな。ぶっちゃけ」


 時計塔へ通じる扉は既に開かれており、視線を下に向けるとなにやら瓦礫だの破片だの、誰かが暴れた痕跡がある。
 殺し合い故に戦闘が生じるのは納得できるが、犯人が自然と浮かんできてしまう。
 早速お目当てを引けたのは幸いだが、杏子が漏らしたとおり、逢いたくも無い相手でもあるのだ。


「じゃが……あいつは倒さなければならない」


 扉の奥へ足を進める。その足取りは旅をしてきた今まで同じように終着を目指して。
 小石を踏み躙る音が鼓動を掻き消している。そして。


(忘れることは一度も無かった)


(あの顔……嫌っていうぐらい覚えているよ)


 荒れている時計塔の内部、階段の手前に積み重なっている瓦礫は奇妙にも椅子の形を形成していた。
 男が創り上げたかは不明だが、その地点に腰を下ろしているのだから彼が犯人なのだろう。

 足を組んでおり、ジョセフと杏子が来たことには驚かず、余裕の表情を浮かべている。
 まるで最初から解っていたかのように、一ミリたりとも動ぜずに口を開いた。

「こんなところに客が来るとは……生憎何も出ないことは知っているよな、ジョセフ・ジョースター」

 空間を支配するようだった。
 紡がれた言葉は短いけれど、表に出た瞬間、全てを覆い隠すように。
 奇妙な不快感が時計塔内部を包み込んでいた。


「貴様が出した茶など気持ち悪くて飲めもせんわい」


「酷いことを言うな……私が何をしたと言うのか」


「――ッ!」


 その瞬間、ジョセフの中に眠る大切な何かが弾け飛んだ。
 それに呼応するように現れるは彼のスタンドであるハーミットパープル。
 瓦礫に座り込む男に対して、怒りと共に伸びていた。


「何をした……何をしたじゃと!? 笑わせるな、忘れたとは言わせんぞ! お前は――」




「このDIOが何をしたと言うのだ。血統などと云うくだらん運命とやらに動かされているだけじゃあないのか、ジョセフ・ジョースター」




 ハーミットパープルはDIOを拘束することは出来ず、瓦礫を粉砕するに留まった。
 目的の相手は気付けば立ち上がっており、ジョセフから見て左側に立っていた。

(またじゃ……奴はまた動いていた)

 距離に換算して十メートル程、離れてはいるが一瞬足りともDIOから視線を逸らすことは無かった。
 しかしスタンドを避けられている辺り、またしても敵の動きを見失ってしまったのだろう。




 次に仕掛けてくるタイミングを狙っていたが、DIOは既に背後へ移動していた。


「な――」

「考え事かジョセフ……いかんなあ、このDIOを相手にそんな余裕など――無いッ!!」


 腕を振り上げたDIOは戸惑いは疎か躊躇もせずにジョセフの右腕を切断すべく振り下ろす。
 身体はジョースターの血が流れているあの男の身体、ならば同じ血統であるジョセフの腕との相性は問題無い。
 無慈悲に振り下ろされる手刀は、隣に立っていた一人の少女によって阻まれた。


「さっきからあたしを忘れてんじゃないか」


「小さくて見えなかったぞ小娘」


 魔法少女へと変身を遂げていた杏子は槍を多節棍に状態変化させ、DIOの左腕を絡めとった。
 これによりジョセフの右腕が切り落とされることも無くなり、彼は一度距離を取ってDIOを見据える。

「その小娘に動きを止められているようじゃあんたも――ッ!!」

「このDIOがどうかしたか?」

 絡め取られている状況を無視するように左腕を振り上げ、鎖と持ち主である杏子さえも強引に動かした。
 空中に上げられ身動きの取れない杏子に追い打ちを掛けるべく、DIOは左腕を己に引き寄せる。
 その連動した動きに組み込まれた杏子はDIOへ一直線に引っ張られてしまう。

 止めるべく動くジョセフだが、間に合う可能性は零だ。

 杏子が何とか防御態勢に映るも、DIOの横に立つスタンドを目撃し嫌な未来を連想してしまう。
 構えられた拳から繰り出される一撃は重く、無理に槍の持ち手で防ぐも大きく吹き飛ばされる。
 鎖が散り散りになり、結晶のように魔力が崩れ去る。

 轟音を響かせ瓦礫に突っ込んだ杏子と変わる形でジョセフがDIOに迫る。
 テニスラケットを投擲しながら接近し、弾かれるのは想定済み。
 その間に死角と重なる形でハーミットパープルを忍ばせるも……DIOは目の前から消えていた。


「大人しくしていろ」


 逆にジョセフの死角から拳を飛ばすDIO。
 音が聞こえてから振り向いては遅く、ジョセフに攻撃を防ぐ術は無い。
 軽快な破裂音が響き、その音がDIOの拳による音だと時計塔内部に示しているようだった。
 その音はあまりにも軽く、とても人体から鳴り響く音とは想像できず、勿論異なっていた。


「な……これは『波紋』ッ!?」


 拳を見つめるDIOの表情は不快そのものだった。
 それを見たジョセフはニヤついており、大きく後退しながら告げる。


「この浮かび上がるシャボンは全て波紋を通しているッ! これで貴様が何処へ動こうとシャボンが全てッ! 道筋を阻むゥ!!」


 ジョセフの言葉を後にし、辺りを見渡すDIOだが宣言のとおりあちらこちらにシャボンが漂っている。
 流れる忌々しい波紋。嘗て身体の持ち主が用いていた能力と百年越しの再開となる。

(しかし思ったよりも効いとらんようじゃな……)

 シャボンによる奇策は成功したようで、成功もしていない。
 DIOの拳を見る限り、それほどまでに崩れておらず効き目があるかどうかも怪しい。
 天敵である波紋を流されれば悲鳴の一つや二つでも挙げると睨んでいたが、現実は寂しいものである。


(まさか波紋が効かない程に……DIOも進化を……いや、くだらん考えはよせ)





「やるじゃん」


 ジョセフの横に到着した杏子が状況に対し好意を示す。
 その身体は露出している部分――腕に生々しい切傷が浮かんでいるが、苦痛の表情は浮かべていない。


「老いてもこのジョセフ・ジョースター……ッ! 来るぞ!!」


 言葉を遮るようにスタンドが放り投げてきた石柱を左右に別れ回避する二人。
 DIOが目標に定めたのは杏子のようであり、スタンドと己の二つの身体から同時に瓦礫やら石柱やらをぶん投げる。

「やっば……!」

 槍一つで相手をするには、範囲に手が届かない。片方を処理してももう片方に潰されては意味が無い。
 グリーフシードの確保が困難とされている殺し合いの中、無駄な被弾や大きな消耗は人体以上に死へ直結するのが魔法少女。
 杏子が選んだ未来は己の恥を捨て、この場を打開するとっておき。


『やっと私の出番ですね』


「あの姿には我慢するから……いくぞ!」


 バッグから取り出したのは支給品であり、新たな仲間であるマジカルサファイア。
 少々煩く、過去の光景から力を借りたくは無いが、文句は言っていられない。
 どうしようも出来ないこの状況を打開する鍵として降臨したその力、邪悪の帝王へ対する反撃の翼となる。


「ほう――似たような物か」


 この時、DIOが何か声に出していたが、杏子達には聞こえていない。
 彼女とサファイアを中心に光が時計塔内部を包み、ジョセフとDIOはその瞳を閉じる。

 視界が暗くなる中、何やら刃物が物体を斬り裂く音だけが耳に聞こえ、唯一の情報となっていた。


 やがて光が収まると同時に目を見開くと、其処には全ての投擲物を粉砕した杏子の姿があった。


「こ、これは……」

『私と佐倉様の輝きによって状況を打開しました」

「違う……あたしが言いたいのは違う」


 杏子が握っている槍は魔法少女時の代物とは異なっていた。
 槍先が新たな魔力によってコーティングされており、紅色の波状によって形成されている。
 表すならば魔法で創りあげられたナギナタである。しかし気になるのは武器では無いようだ。


「あたしの姿が……ソウルジェムで変身した時と変わらないじゃないか!!」



 時計塔に侵入する前に行った変身では際どく、恥をかいた姿になっていた。
 けれど今の状況は慣れ親しんだいつもの姿と変わらず、戦闘中ではあるが杏子は気になっているようだ。


『あの時にも言いましたが別に姿は……来ます!』


 文句の一つや二つ、言い出したら止まらないが迫るスタンドの攻撃を回避するために中断。


「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」


 拳のラッシュに対応するべくナギナタから形状を多節棍へ変化させ、複数に分離させる。
 それを腕で振るうように動かし、拳の応酬に対応させるべく全ての攻撃に合わせる。


「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――ジョセフ!」


「――――――――――――――無駄ァ!!」


 スタンドの拳が多節棍を吹き飛ばし、持ち手である杏子も飛ばされるが受け身を取ることにより傷は無い。
 拳を振り切ったことにより硬直状態に追い込んだDIOに対し……思わぬ襲撃が入る。


「むぅ!? 貴様、ジョセフ・ジョースター!!」


 DIOの視界の先――時計塔内部の上部から差し込む夕日が彼を襲っていた。
 壁に穴を開けたのがジョセフだ。杏子が時間を稼いでいる間にハーミットパープルで瓦礫を放り投げた。
 DIOの立っている座標から計算していたが、どうやら成功したようだ。
 その表情から「またまたやらせていだきました」と若いジョセフなら言いそうである。


「杏子!!」

「解ってるよ!」


 動きが止まったDIOの隙を狙い、ジョセフと杏子が一斉に走りだす。
 上手くDIOと自分を結ぶ線にシャボンが置かれるように調整しながら走る先は入り口、彼らからすれば出口だ。


「逃げるぞ、ここは一旦退く!」


 たった数分間の攻防ではあるが、DIOのスタンド能力を暴くことは不可能であった。
 波紋も予想より効いておらず、このまま戦闘を続けていては負ける未来が見えてしまう。
 仮に勝負を長丁場へ持ち込んだとして、吸血鬼の時間――夜が訪れる。
 唯でさえどうしようもない状況に、追い打ちを掛けられては勝てる勝負にも勝てなくなってしまう。

 故に選んだ答えは撤退。
 逃げるために移動では無く、生き残るための英断である。




 一目散に出口を目指すが、後方から一切物音が聞こえない。
 シャボンが妨害しているためDIOの動きを抑制しているが、それだけで彼を止めれるとは思ってもいないのが現実である。
 振り向くことはしないが、どうも不安が身体中を駆け巡ってしまう。


 しかし行動が起こされていないのならば、此処は全力で逃げ切らせてもらうことにしよう。
 時計塔を脱出したジョセフと杏子はそのまま車まで走り、DIOが追ってないことを確認した。





「さぁ早く此処から離れようぜ。
 あいつから逃げるのは悔しいけど……今のままじゃ――――――――――――車が、な……い?」





 車まで辿り着いた彼女達を待っていたのは、何も存在しない無の空間であった。
 可怪しい。確かに車は目の前にあった。けれど、今は何も無く、草むらが広がっている。


 何が起きたか解らない、理解が出来ない、思考の処理が追い付かない。
 けれど、何処かで感じたことがある。そう遠くない……DIOと対峙した時のような。


 唖然に取られていた杏子であったが、サファイアとジョセフの声により現実に戻る。
 何やらやたら「上」を連呼しており、言葉に従い見上げると、車が浮かんでいた。


「……は?」


 勿論車に飛行能力など搭載されておらず、誰かが持ち上げていた。
 その姿は何処かで見たことが有り、忌々しい記憶ではあるが自分もよく知っている姿と似ていた。
 グランシャリオと似ているソレは――考える必要も無く、中に居る男の正体を理解してしまった。


 悪鬼纏身インクルシオ。


 悪を葬るために悪が用いた闇の帝具。
 身に纏うは葬られるべき対象である邪悪の帝王、DIO。


 杏子が反応するよりも早く、彼女に車が叩きつけられた。