その部屋に灯りが僅かしかないのは、居住者の特殊な性質故であろう。
それを同じく苦とも思わない緑髪の青年、
リボンズ・アルマークは眼前にある両手で抱えられる程のガラスケースをぴんと指で弾く。
くぐもった音しかしないのは、ケースの中を液体が満たしているせいだろう。
元々はこのケースより数十本の管が伸びていたのだが、見苦しいという理由でリボンズが台座と一体化させたので、今はすっきりとしたデザインになっている。
ケースの中には常のものより遙かに皺の多い、人の脳が詰められていた。
「随分と君には苦労させられたよ」
人体に興味がある者ならばそれと気付くだろう。この脳は、あるべき部位が著しく欠損していた。
もう一人この場に居たこの部屋の住人でもある者が、口に寄らず声を発する。
珍しくもリボンズの雑談に乗る気になったらしい。
「完全に封じたと思ってから、三度反乱を起こしてくれましたからね」
少しだけ驚いたように振り向くリボンズ。
「今日は機嫌が良いね、アレイスター」
リボンズの視線の先には、脳が詰められたケースと比して、数倍の大きさがある同じガラスケースが置かれていた。
その中に全裸で浮かぶ人間こそ、この建物の主、アレイスター・クロウリーであった。
「そうでもありません。例の件は必ずしも順調とは言えませんから」
「まあ、ね。予測が立たないというのが僕らの統一見解だったけど、君なりに結果を推測してはいたんだろう? どうだい? 今の所の進行は君の目がねにかなっているのかい?」
少し間が開く。おそらく嘆息しているのだろうとリボンズは考えたが、真実はわからない。
「皆とのギャンブルに乗らず良かったと思っていますよ」
リボンズは愉快そうに笑う。邪気も悪意もない、透き通った笑みだ。
「そうかい。僕が賭けたのは
織田信長だからね、ははっ、悪いがツインドライブは僕がもらう事になりそうだよ」
「私はエピオンがいただければそれで充分です」
再びリボンズは笑う。率直な笑いは信頼の証であろうか。
「君とゼロシステムは非常に相性が良いからね。他の連中が文句を言わなければコレも一緒に持っていったらどうだい? どの道君以外では扱えないんだから」
そう言って脳の入ったガラスケースを指差す。
「これから魔術を引き出すのはもう懲りましたよ。リボンズ、嫌味は止めて下さい。意地悪に見えますよ」
ケースの中身の暴れっぷりを思い出したのか、リボンズも苦笑する。
「そうだね。君が一度封じて、僕の世界と繋いだ後に一回、十個目の世界との交信に成功した時に一回、そしてついこの間、か。良くもまあ脳だけになってまで暴れられるものだ」
「三回目で一番苦労したのは貴方でしょうに」
「そうだったね。おかげで量産機の生産プラントは全滅して未だ復興の目処すら立ってない。それでも、今のこの有様を見てると恨み以上に、笑いがこみ上げてくるんだよ」
コンとケースを叩く。
「なあ、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ」
全てはキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグが、アレイスターの居る世界を訪れた事に始まる。
彼の居た世界で言う所の第二魔法「平行世界の運営」により、平行世界を旅していたゼルレッチは、元居た場所と酷似した世界ながら、全く別種の魔術が存在するアレイスターの居る世界に興味を持った。
ローマ正教と接触しようとしていたゼルレッチは、しかしその途上で尋常ならざる次元振動を感知したアレイスターとその配下達の超能力により拿捕されてしまったのだ。
自在に平行世界を行き来するその能力は、当初ゼルレッチの自由意志を奪い、魔術のみを操るつもりであったのだが、一度目の反乱でそれが不可能と気付き、その体全てを奪い取った。
それでも飽き足らず、アレイスターがその能力を解析している間に再び反乱を起こす。
ならばと思考に必要な部位を削り取り、純粋に知識のデータバンクとしてのみ存在させる事にした。
その状態で、莫大な知識が組み合わさりゼルレッチの自我を再度形成したのには、流石のアレイスター、そしてその頃には既に盟友となっていたリボンズも呆気に取られたものだ。
鎮圧に人を用いてはこの老練にすぎる男に絡め取られるだけだと、モビルドールで機械的に処理をしたのだが、その能力を用いあちらこちらから意味のわからん増援を引っ張り出して来たゼルレッチに、研究が進んでいた最新式モビルドールの大半と開発用ドック以外のモビルスーツ生産プラントを丸ごともっていかれてしまった。
これらは全てリボンズが手配したもので、当時はその損害のあまりの大きさに、ゼルレッチの完全処理を提言していたものだが、未だ解明してきれていない並行世界運用能力への誘惑を捨てきることは出来なかった。
それに最大の欠点である、移動先の時間軸がブレてしまうという問題を解決出来ていないので、せめてもコレを何とか出来るまでは研究を進める必要があったのだ。
現在、十二の世界と交信可能になっているが、更にその先には二人ですら想像も及ばぬような未知が広がっている事だろう。
アレイスターは何やら気付いた事があるらしく、リボンズにも見えるようにわかりやすくモニターにソレを映し出す。
『アレイスター、こちらの本は全て読み終えた。次の……ん? リボンズ、貴様も居たのか』
モニターに向け、やあと手を振るリボンズ。
対してモニターの向こうよりあまり好意的ではない視線を投げかけてくるのは、緑系統の色で統一した和服の男、毛利元就であった。
「どうだい元就? 勉強の方は進んでるかい?」
『ふん、貴様に言われるまでもない。……織田信長はまだ生きているのか?』
「ああ、僕の期待に応えて頑張ってくれてるよ」
元就は極めて不愉快そうに眉を潜める。
『まあいい、今の私ならば奴を葬る手段は幾らでもある。それとアレイスター、睡眠学習はもっと効率の良い機械は無いのか? 私が本を読むより遅いのならば寝ずに起き続けていた方が良い』
あの世界の人間の構造は、アレイスターとリボンズ双方の技術をもってしても未だ解明できていない。
信長の黒い闇もそうだが、この男の日輪の輝きも全くもって意味がわからない。更にサーバントと生身で五分にやりあうなどと、どんな鍛え方をしてきたのやら。
そしてこの男に限って言えば、その知能も並外れていた。
未開地といってさし使えない文明レベルに暮らしていたこの男は、既に科学のような専門分野ですらある程度のレベルで修めてしまっている。
それだけの知能を持つにも関わらず、いまだに元居た世界における中国地方の守護を最大の目的として掲げている所が最大の意味不明箇所であるのだが。
「なあ元就。君なら僕等と一緒に未来を歩む資格があると思うんだが、まだ意思は変わらないのかい?」
『くどい。見返りの分協力はするが、その先は貴様等で勝手にやれ』
一蹴である。学習を通してより広い見識を身に着けているはずなのにコレである。
勉強を進めた元就は、元就の居た世界にアレイスター達が魅力を感じぬだろうと確信していた。
武将レベルの強さの秘密を知りたいとは思っているだろうが、その解明さえ済んでしまえば用は無いだろうと。
ならばさっさと解明させてしまえば興味も失せるであろうし、だとすれば無数に広がる他の世界の新たな技術に興味を向け、こちらの世界には手出しして来ないだろうと。
全てを支配した所で意味などない。アレイスター達はその世界における最高を保持さえしていればそれで充分なのであるし、一々見つけた世界全てを支配している程暇でもないだろうと。
技術を得る手段として中国地方に支配の手を伸ばす事もあるかもしれなかったが、それもこうして元就が解析に手を貸してやればその必要も無くなる。
後は見返りとして得られる異世界の知識を駆使し、中国地方の以後の繁栄に活かせば良い。
今、元就はたった一人その知略を駆使して、あの世界全体を守っているのだった。
その元就と利害が反するたった一人の人物。
彼が、アレイスターの部屋に入ってきたのは通信の最中であった。
豪奢な衣装は元居た世界で着慣れていたせいらしい。
「おや、お邪魔だったかな?」
その男、様々な計画立案を担当するシュナイゼル・エル・ブリタニアは、敵意など欠片も感じさせぬ柔和な笑みと共に現れた。
全てを管理下においてこそ、安定した技術獲得が約束されると主張する彼は、目下元就にとっての最大の障害となっていた。
アレイスターはこれは常にそうであるが、盟友全てに対し平等に接する。
「貴方に隠し事をするつもりはありませんよシュナイゼル。KMFの件ですか?」
しかしシュナイゼルは首を横に振る。
「いや、例の件の事だよ。そろそろ遠藤と
インデックスでは対応しきれぬ事態になりそうだ」
「貴方が言うのなら、きっとそうなのでしょうね。対策は?」
「無い。少なくとも現状私に与えられた権限の中ではね」
そう言って手を広げてみせる。
リボンズは少し考え込んでいるようだ。
「そんなに状況が悪いのか。それでもインデックスぐらいは引っ張ってきて欲しいが」
「そのつもりで集めたんだけど、やはりというべきか、一筋縄ではいかない人達だね。後二十四時間以内に首輪も外してしまうんじゃないかな」
落胆したように嘆息するリボンズ。
「帝愛にも見るべき人物は無し、か。荒事慣れしているはずの彼等より、余程あのまーじゃん、だったか? が好きな世界の人間の方が物の役に立つのではないのか」
片頬のみを微かに上げるシュナイゼル。
「そういえば、あそこの
東横桃子に元就は賭けていたね」
モニターに映る元就は、さして興味も無さそうである。
『適当に名簿から選んだだけだ。賭けの勝敗は貴様等だけでせいぜい楽しめ』
顔を見るのも不愉快だと、シュナイゼルより目線を逸らし、元就はリボンズに問う。
『
忍野メメ、だったか。奴はどうなのだ? 聞く限りではロクに役にも立っていなそうに聞こえるが』
今度はリボンズが眉をしかめる番であった。
「‥‥遠藤から不満の声は上がっていないよ」
陣営に招いた際、リボンズの用意したプラントを見て、これの設計者は異常性癖の持ち主かい? と真顔で聞いてきた彼を、リボンズはあまり好いてはいかなった。
再度、通信が部屋に入る。
アレイスターがもう一つモニターに灯りを入れると、そこには片手が機械と化している老人が映る。
『おうおう、首脳陣ががん首揃えてまたぞろ悪巧みか?』
メメといいこの老人ドクターJといい、各世界より招いた者達は、立場を弁えぬ言動を行う者が多い。
そのぐらいの気概が無い事にはとてもここではやってはいけないだろうと、アレイスターはこれらを黙認している。
「こちらに連絡とは珍しいですね」
『どいつもこいつも居るべき場所におらんからじゃ。おいシュナイゼル、残ってるモビルスーツ等機動兵器はあらかた調整を終えたが、ウィングガンダムにGNドライブ詰めだのランスロットにゼロシステム載せろだのは、後一年はもらわんと無理じゃぞ』
モニターの奥から、もう一人の髪を逆立て鼻当てをつけた博士が声を張り上げる。
『リボンズ! 聞こえちょるかリボンズ! G-ER流体制御システムはGN粒子とは致命的に相性が悪い! ワシ等じゃコレどうにもならんわ! いいかげん諦めい!』
不満そうにリボンズはモニター前に顔を出す。
「脳量子波はG-ERのシステムと互換性が効く部分があるだろう。それはアレイスターの計算でも‥‥」
髪を逆立てた博士ドクトルSは即座に怒鳴り返す。
「H教授からの伝言がある、だったらお前がやってみろ! だそうじゃ。競合起こしてコックピット内がしっちゃかめっちゃかになるだけじゃて。これじゃ例え戦国武将乗せても発狂するぞい」
アレイスターは現場の判断を優先するらしく、リボンズを静かに嗜める。
「仕方ありません。理論上はさておき、技術レベルの不足が原因では時間をかける以外に解決手段は無いでしょう」
リボンズは言い返そうとして言葉を飲み込む。
アレイスターの言ならば仕方が無いと納得したようだ。常のリボンズらしからぬ素直さであるが、特にそれを不満に思っている様子もリボンズには見られない。
まだ報告事項は終わらないらしい。ドクターJが再びシュナイゼルに問う。
『そういえば先に仕上げたダンはどうしたんじゃ? ダモクレスと一緒に持っていったきりじゃが』
シュナイゼルはその表情より笑みを消す。
「君達は、ダンは持ち主
ヴァンの剣には反応しない、そう言っていたね」
『無論じゃ』
「だが、実際にはダンは呼びかけに応え、ダモクレスの下部を貫いて落下していったよ。そのまましばらく結界に引っかかって停滞した後、ヴァンの死亡と同時に結界を貫いて会場に落下。立ち入り禁止区域で爆発四散したから大事には至っていないが」
『そんな馬鹿な。結界のデータが表記通りなら通信波など通るはずないじゃろ。結界担当に聞いてみろ』
シュナイゼルはアレイスターの方を向き、わざとらしく嘆息してみせる。
各部署ごとに役割を分担させ横の連携を取らないからこうなるのだと、目が言っている。
組織の管理運用もシュナイゼルの得意分野だ。これをやらせろと前から言っているのだが、アレイスターはやんわりと断り続けている。
ちなみに同じ事をリボンズも言っているのだが、同じく却下されていたりもする。
この組織にナンバー2を作るつもりはないというアレイスターの言葉は、正しく実行され続けているのであった。
代わりにという訳ではないが、アレイスターはシュナイゼルに一つ仕事を任せる事にした。
「シュナイゼル、遠藤達帝愛ではそろそろ運営に無理が出てしまうという事でしたら、貴方がそれとなく彼等をフォローしてあげて下さい」
承りました、と丁寧に頭を下げるシュナイゼル。
退出しようとする彼を、しかしアレイスターは引き止める。
「せっかく皆が集まったのです、お茶にでもしませんか? 元就、貴方も一息入れましょう」
アレイスター自身はお茶を飲めないが、時折こうして首脳陣同士に無為な時間を共に取らせる。
ケンカ腰でのトゲトゲしいやりとりも噴出してくるが、例えそれで一時的に関係が悪化したとしても、互いに考えている事や目指す事をぶつけ合うのは、悪い事ではないと思っているのだ。
「では、連絡事項をお伝えします。
禁止エリアの発表です。
これまでと変わりなく、三時間後、午後九時以降より立ち入り禁止エリアが三つ増加します。