ep.00 -幻視光景- ◆ANI3oprwOY



いつも通りの服を着て、街を一人で歩く。
外は寒く、空気が痛いくらいに張り付く。
まるで小さな針で刺されてるみたいで目が痺れる。
まだ冬が終わる日にはなりそうにもない。
雨が降ってないのは幸いだ。もし降っていたら骨まで響いていただろう。
病院生活はとっくに終わっているが、病み上がりの体に違いはない。
傷は完治してもも古傷のようなものは残っているらしく、こういう寒い日には体の節々が疼く。
切り傷の類はあまりなかった筈だった記憶だけれど、おかしな話だ。


世界の移動なんて大それた行為の実感もなく。
当たり前のように帰ってきた私は、その場ですぐに倒れた。
帰る前に治療をしておくなんて気前のいいこともなく、瀕死手前の状態のまま放り出されてだ。当然といえる。
まず止血した方がいいと思ったが、既に気力も体力ももう限界でとにかく休みたかったのだ。
家に帰る気、というのもしない。その時思い浮かべたのが、両儀の屋敷でもなく、自分の何もない部屋でもなかったからなのだろう。
先のことは考えず眠るように瞳を閉じたところ、暫くして慌ただしく近づいてくる足音が聞こえ、
現れた人にそのまま救急車に運び込まれて入院することになった。
容体は重症だったが命に関わるものはなく、時間を置けばどれも自然に治癒するものだった。
退院届はとうに出し終わり、こうして自由に出歩くこともできる。

……後で聞いたところによると、病院に連絡を入れたのはトウコだった。
どういういきさつがあったのか、私が遭った事態についてあっちはおおよそを把握していたらしく、
私が帰った時より少し前から根回しをしていたということだ。




『どうもこうもない。私に宛てられた役は最初から画面越しの観客だったということさ。
 元の世界との橋渡しの一要素に使うには、あの状態の私は適役だ。
 器が壊れればあそこの記憶は部外の私に流れる。箱の中の猫は自動的に観測された結果となる。
 劇を見聞きすることは出来るが、それ以外の行動干渉は一切受け付けない視聴者視点。
 世界を重ね合わせ過ぎた狭間の中で起きた物語が『在った』ということを確定させるための実数。
 生還者が鏡面界に囚われることのないための配慮とはいえ随分な念の入れようだよ、あの便利屋は。
 ……なのにその後始末を私に放り投げるとは、アフターサービスがなっちゃいないんじゃないかね。
 世界との癒着の綻びを剥がすのにどれだけ手間が要ると思ってるんだ。下手をしなくても私が見つかりかねんぞ。
 よしやはり二、三ほどは残しておくか。電話線程度の繋がりを維持すれば逆探知して引き摺り込めるんだがな……』





何度も理由を本人に問い詰めているが、口に煙草を咥えて文字通り煙に巻かれている。
結局大半が分けのわからない上私情が混じり始めていたので、諦めて聞き流すことにした。

その中の報告で留まった一点。
私達、と言う通り、失踪したのは私だけではない。
礼園女学院から女生徒と、既に一人しかいない男性教師、関連性のない二人が姿を消している。
世界の矛盾を抑止するため働いた辻褄合わせなどとトウコが言っていた。
連れ去られた時間がそれぞれ異なっていたとしても、帰ってこれなかった時点で彼らの死は確定し現時点から消失したと。

分かっていたことだ。仮にここに生きた幹也が私を迎えにでも来ていたら、本当にどうしていたか想像できない。
ただ同時に、私を捜してくれたのがあいつでなくトウコだったということに、
何か期待していたものを裏切られたと感じてしまったのが無性に腹立たしい。
矛盾した在り方。相反する感情。
どちらも本当のことで、陰と陽はどちかも曖昧なのに、溶け合うことなく綺麗な境界線を敷いている。


街は変わり映えすることもなく、平穏そのものだ。
昔巷を震わせた殺人鬼の再来とか、少年少女が同時失踪したとか、物騒な話はまるで浮かばず。
道行く人や物にまとわりつく無数の線も、カタチを変えずそこにある。
その傷痕が、かつてないほど私の何かを急き立てる。

……早いとこ、目的のものを貰おう。足早にトウコの事務所へ向かった。








事務所の扉を開くと、机に座っていた黒桐鮮花と目が合った。
私を見るなり紙に紋様を記していた手を止めて、言葉もなく目つきを険しいものに変える。

「――――――」

無言で、ただ視線に意思を乗せて睨み付ける。
今すぐ飛びかかって喉笛を噛み千切らんとする激情を理性で抑えつけそれでも止められず漏れ出した、悪魔じみた表情。
これまでを遥かに超えるこの態度が、ここ最近私が見る鮮花の平常だった。

「何しに来たのよ、式」

きちんとした言葉を出せるぐらいに落ち着いたのか、割合そっけなく声をかけられる。
隠すまでもなく、声には黒々とした感情が乗せられてるが。

「用があるのはトウコの方だ。頼んでたのを貰いにきただけ……って、いないじゃないかあいつ」
「橙子師は外出中です。昨日また新しい綻びが発見されたとかで、その後始末に向かっています」

あくまで事務的に伝える鮮花。その態度よりも伝えられた内容の方に私は顔をしかめた。
日がなデスクに腰かけ煙草を指に挟んでいる眼鏡をかけた女所長は、この時ばかりは不在だという。

「なんだあいつ。自分から取りにこいって言ったくせに」
「それについては私から預かっているわ。はいこれ」

約束をすっぽかされ待ちぼうけかを食らうかとと思っていたところに、鮮花は座っていた机の隅に置かれていた小物入れを手に取った。
刀の柄より少し太い、特に変わり映えのしない眼鏡入れのケースだった。
そうか、と差し出されたそれを持ってこの場を立ち去ろうとする。
トウコの顔が見たいでもなし、留まる理由がなくなったから長居する理由もない。



「……」
「……」


それが結局出来ないでいるのは。
私が握るケースの逆を掴んだ鮮花が、いつまでも手を離さないからだ。

早く離せ、と目で訴えてる。
嫌よ、と同じく目で返される。

「ケンカ売ってるつもりなの、あんた?」
「いや、それはオレの台詞だぞ」

引っ張る力を強めるが、鮮花の手は吸盤でもくっついてるかのようにぴったりと箱に張り付いて離れない。

「橙子さんも橙子さんよ、なんだって私にこんなものを渡して、よりにもよってこいつ宛てなんて任せるのよ……」

珍しいトウコへ苦々しい不満を口に出す鮮花の言葉の中で、流せない台詞が聞こえた。
今度は、私の琴線が触れて揺れた。

「まさか、見たのか」
「見てないわよ。けど眼鏡ケースに入ってるのが眼鏡以外だなんて普通想像しないでしょ。
 あんたに譲らない理由なんて、それだけでお釣りが出るくらいだわ」

手の力は段々と増していっており、箱がミシミシと軋むのを振動で感じた。
互いに譲らず、このままでは先に目的の品の方がおしゃかになってしまいそうな境になって。


「なんで、守れなかったのよ」


ぽつりと呟いたのは、安全装置を外して暴走しないようにするスイッチだった。
迸るほどの感情を、なるべく理路整然とした意味ある言葉へ変えて、正統に訴えるための準備。

「幹也も藤乃も死なせたのに、あんたはそんな風にしていられるのよ。
 結局あんたにとっては替えが効く相手でしかなかったってこと?
 あれだけ私から幹也を奪っておきながら返しもせず捨てていくなんて、そんなの卑怯にもほどがあるでしょう」

私が帰ってきて、トウコからその際の顛末―――黒桐幹也浅上藤乃の死を伝えられた時、鮮花はそれこそ世界の終わりに直面したような顔になっていたという。
実際世界が滅ぼうが相変わらず泰然としていそうな性根の鮮花には、幹也の死は正しくこの世の崩壊に等しい災事だっただろう。
そこからは泣きもせず、嘆きもせず、元々刺々しかった私への態度を剣の鋭利さまで研ぎ澄まして、見た目は淡々と普段通りの生活を送っていた。


幹也達の死の責任を私に押し付けられるのが、八つ当たりだとは思わない。
だって私は、あいつの死体を見た。
体の硬直度や残っていた生乾きの鮮血から、直接斬りつけられてから数時間程しか経っていないと判断がついた。
つまり、決して間に合わない時間の差は無かった。いやそもそもあの島のどこかにいるのは確実なんだから捜そうとすればもっと早く気づけた筈なのだ。
たとえ後付けの結果論だとしても、死なせた事実には言い訳が利かない。

だから鮮花の怒りはもっともで、その矛先を私に向けるのはまったく正統だ。
……どれだけそれが恐ろしいことか知っていても、受け入れるしかない。


「橙子師に頼んで修行の段階を上げる許可を貰ったわ。実戦だって礼園で経験済みだしいつまでも油断しないことね。
 門戸を叩きに来るのを覚悟しておきなさい」

本人の性格が表れてるような、堂々の宣戦布告。鮮花の目は、名前通りの鮮やかな翠(いろ)の中に煌々と烈火が宿っている。
しかも門戸を叩く、ときた。



本物の殺し合いを、あの場所では数知れず経験した。
快楽のため。狂気のため。野望のため。願いのため。誰かのため。
多くの動機が、他者が私を殺そうとする理由だった。


けどこの意思を向けられたことは、一度もない。
最後に戦った相手さえ、本質的には私に対しての殺意ではなかった。
あれは互いに、道にいた邪魔を払おうとしただけに過ぎない。
あの世界では私もただの参加者の一人。異常性なんて埋もれて消えるぐらい濃い場所にいたただの人。


ああ。なんだろう、これは。
本気で憎まれてるのに、恨まれてるのに。
それがとても新鮮な気持ちに感じられているのは。


「誰が何と言おうが、幹也を見殺しにしたあんたを絶対に許したりなんかしない。
 いつか必ず―――私が殺してやるんだからっ!」


ねじれのないあまりにも正面的過ぎる殺意。
届く叫びは、胸に空いていた穴に向かって見事に直撃した。


そんなことを言える奴なんて、あいつしかいないと思っていたのに。
ひょっとしたらだけど。それは私にとって初めての体験だったのかもしれない。



「―――ああ。おまえなら、いいかもな」



気づけば、素直な感謝を口にしていた。
私の台詞に呆気にとられた鮮花はぽかんと口を開けて黙っている。
握力が緩んだのを感じ取って、その隙をついてケースを素早く指の間から引き抜いた。

「……あっちょっと!どういう意味よ、それ!ふざけてるの!?」
「言葉通りの意味だよ。その時が来たならよろしく頼むぜ。
 もちろん、オレだって黙って殺される気はないけど」

後ろで続けて文句を言う鮮花を放って事務所を出て行く。
頬が僅かに緩んだ安心した顔を今見せでもしたら、それこそこの場で殺し合いが勃発するかもしれなかったからだ。








空にはぶ厚い雲がかかっていて、蒼い景色は隠れている。
今にも雪が降りそうな天気だったが、急ぎもせずゆっくりと帰り道を歩く。
その途中、無事回収したケースを開き、その中身に流石に顔をしかめた。

「……本気でケンカを売っているのはあいつなのかもな」

確かにデザインについて注文をつけてはいなかったが。これは、流石にないだろう。
文句を言いつつも、地味な黒色に縁どられた眼鏡をかけて、空を見た。

「―――――――――ぁ」

―――レンズ越しの世界は、とても綺麗に見えた。
昏睡から目覚めて以降見慣れた街並みが、まったく別の景色みたい。

万物の綻び、死を司る線はレンズにはまった視界の中だけ消えてしまった。
まだ式と識がひとつだった頃のような、ありのままの姿。
欠けるものもない代わりに、何も満たされることもない空虚な日々。

けれど、視えなくとも死はすぐそこにある。
眼鏡を外せば元通りの、両儀式の世界に引き戻される。
だからこんなのは、ただの気休めでしかないものだ。
今までにないお節介たちのせいで、以前よりずっと弱くなってしまった私。
この先の未来を生きていくのに必要な枷。

だっていうのに。喪われたかつての幸福な視界(せかい)を幻視できたことが、泣いてしまうくらい嬉しくて。
そんな頼りない繋がりに、私は寄りかかれてしまっている。



鮮花に真正面から怒りを突き付けられた時、本当は自分がどうなるか不安だった。
幹也を喪った虚しさと衛宮を殺した責に、押し潰されてしまわないか。

『―――精一杯生き続けなさい』

頑張れ、だなんて最後に残した声が、頭に留まって離れない。

『――そういう、特別を願うよ』

普通のやつが失ったものを取り戻そうと懸命に走る顔が、いつまでも忘れられない。



埋まらない胸の孔には幾重にも糸が張り巡らせて、バラバラになってしまいそうな体を縛り付けている。
それらの縁が、どうにか私に前を向かせている。

これから先、夢の終わりに気付かされるときが何度か来る。
またおかしな出会いに巻き込まれるのはまっぴらだけど。
どうやら……あの最後について、まだ未練が残っているようだ。

死んだ人間が見えることなんてない。
遠くから自分を呼ぶ声なんて聞こえてこない。
でもこのまま忘れて放りっぱなしにするには、後味が悪くなるものが。
せめて"その日"が来るまでは――――――ことなのだろう。

生と死が螺旋する世界を俯瞰しながら、人を殺して残る喪失の痛みを忘却せず。
がらんどうの胸に僅かに生まれた、これから続く未来に思いを馳せる。

言い訳しようのない。なんて、無様。
けれど、それも受け入れる。
ほんの少しだけ癒えた孤独を背負って、私は日常を過ごしていく。
いつも隣にあった熱をもう感じることが出来ないことを、やはり寂しく感じながら……。






















【アニメキャラ・バトルロワイアル3rd / 両儀式 -To the next story!- 】

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最終更新:2015年05月11日 21:56