ep.00 -アゲイン- ◆ANI3oprwOY




蛍光灯で白色化した無機質な部屋。
息苦しいほどに滅菌された室内。
その外側で、グラハム・エーカーはただ中を眺めている。
治療。研究。探究。検査。隔離。無駄な要素は全て捌けられて、ここは機能するのに必要な単語だけで構成されている。
ただただ機能的に、効率的なためだけの建造物。
窓もなく密閉された空間は清潔すぎて、どこを眺めても変わりばえがなくて。
色とりどりの華も飾りもなく。空の蒼も、遥かな月の光も、ここまでは届かない。
稀な症例の患者の治療と研究を目的とした特別病棟。
最先端の科学によって切り分けられた場所は、まさに異界だった。

そんな現代の結界の中で、なお厳重に隔離された部屋がある。
ガラス張りの四方系に閉じ込められた患者の少女は、外傷もなく置かれたベッドの上で安らかな顔で目を閉じている。
しかし―――小さな体中には、繋がれた大小さまざまなケーブル類。その先に接続している無数の機械装置。
少女の脳波や容体を観測する量子演算型のスーパーコンピューター。
最早少女を生かすために繋いでいるのか、計器同士の繋ぎに少女が使われているのか分からないほどに絡んだ病室。
危篤の老人でも、死病憑きでもこうはなるまいというほどの姿が、少女の状態がどれだけ「手遅れ」なのかを物語っている。

人工呼吸器をつけられた口は規則正しく息を吸って胸を上下させる。
近隣の医療施設に連れ込まれるまでに少女が負っていた傷はほぼ完治している。
体内の全箇所の激しい損傷。傷ついてない部分を探す方が困難な全損。
重傷と呼ぶのも生温い状態から、少女は回復を遂げた結果は発達した医療技術が脳死に至るまでの猶予を引き延ばしたのもあるが、
そもそもここまでの損壊を負ってもまだ、まがりなりにも生きていたこと自体が既に奇跡といえた。
連絡を受けて搬入された患者を診た医者の誰もが、まだ救命の見込みがあると信じられなかったのだ。

信じていたのは、ただひとり。
血に濡れた修道服に身を包んだ患者を抱えてきた、同じく血だらけのパイロットスーツを着た男のみだけだった。
その男も生きていることが不思議なら、這って動いたと聞けば冗談と笑いたくなるような傷だった。
ユニオン所属の軍人だと後に確認が取れるまでの間、二人を亡霊か何かと目を疑わなかった関係者はいない。
予定していた療養期間を大幅に前倒ししてパイロットとしての行動が承認されるまで回復して退院した様は、それこそ冗談のように映っただろう。

……悪夢のような奇跡は、そこで打ち止めだ。
ユニオン最新鋭の医療技術は少女の一命を取りとめさせたまでで、その意識を取り戻すだけには満たなかった。
筋肉や血管の再生は間に合った。各臓器も壊死になる事態までにはならなかった。
ただ人の意識を司る脳の機能だけは、著しい傷を残したままになっていた。
脳科学とて他部門に劣ってるわけでもないのに、脳細胞の再生だけが遅々として進められない。
何よりも医者達を震撼させたのは、その決定的な破滅の要因が過去観測されたことのない未知の因子によるものだと判明したことだ。
ここまで技術が進み過ぎていなければ分からなかったことだろう。
ウイルスや細菌ですらない、脳を破壊させる毒素以外なにも分からない事実が彼らをさらに恐怖させた。
施設内は軽いパニック状態まで陥るところだったが結局感染性はないものと結論づけられ、
より大きな専門的な治療研究が行われている施設へと搬入されて、俄かに街を騒がせた一件として幕を閉じた。



そしてグラハムは今、生命活動を維持しているだけの亡骸(しょうじょ)をガラス越しに見つめている。
彼女に触れることは禁じられている。
面会するにも、このガラスの膜を隔てでしか許されていない。
それがいち軍人でしかない身分の男には破格ともいえる扱いであることも、本人は知っている。
某かの目論見が絡んでいるのか、それは彼にとってはどうでもいいことだ。

身元も家族も一切不明の孤児。貴重なサンプル。破界の因子。あるいは天界の落とし子(エンジェル)。
そんな名称が、少女のこの世界での扱い。
誰もその存在を知らず、思いを馳せることもない。
元の世界にいたであろう、彼女を真に思ってくれている人を置き去りにしたまま、修道女は今も眠りについている。
唯一の関係者たるグラハムですら、彼女の素性の全てを知っているわけではない。
初めて会った時から少女は人形のような振る舞いで、自分を見せることがなかった。

何を好みとして。
何を嫌に感じて。
何を願っていたのか。
男は何も知らない。

故に、名前を呼んだ。
扉の前につけられた名札と同じ言葉。
それは数少ない、唯一といっていい少女の素性の欠片だ。
本名であるかもあやふやだが、確かに彼女を示す言葉。
聞こえもしない壁に向かって、そう呼んだ。




「―――インデックス




「やっぱりここかい。四年経っても行動に変わりがないのは生真面目というか、武骨というべきかな」

返らない声の代わりに背中からかかったのは、聞き馴染みのある親友の声。白衣に長髪の格好。
新部隊のモビルスーツ開発主任の座にまで上がったビリー・カタギリの姿がそこにあった。

「……ああ、そうか。もうあれからそんなに過ぎていたのか」
「ボケるのには早いよ、グラハム」

グラハムは微笑で友の邂逅を迎えた。
先の戦乱で多くを喪った身では、気心知れる人間はそれだけで安らぎをもたらしてくれる。
あの事情を打ち明けないでいる今でも、頼れる隣人として在るのは心から感謝の念を抱いてきた。

「カタギリ、どうしてここにいると?」
「そりゃあ、君が非番時に向かう場所といったらお姫様の元だとみんな知ってるからね。
 有名だよ?事故で昏睡状態に陥った少女に毎週必ず見舞いに来るナイトの噂はね」
「みな勝手にそう呼ぶ。迷惑千万だ」
「まあまあ。箔付けとでも思っておきなよ」
「それが間違いなのだがな―――」


"騎士の叙勲を受ける資格など、私にはありはしない―――"


「それでカタギリ、私に用か?」

思いは口に出さず封殺して、話題を別に向ける。
するとビリーは、待っていたとばかりの満足げな表情で、白衣のポケットから一枚のディスクを見せびらかした。
それが何であるかを即座に察して、流石のグラハムも目を見開いた。

「……まさか、出来たのか。こんなにも早くに?一年と経っていないだろう」
「最近開発された学習装置の効きがすごくてね。指と頭が乗りに乗ってたんでつい、はりきってしまったんだ。
 実を言うと二日ぐらい徹夜続きでね。まだ脳が覚醒を保ってる間に君に渡したくて赴いた、というわけさ」

ああ、異邦な薬物なんかは使ってないよ、とばつが悪そうに笑う。
眼鏡で隠れていて気づくのが遅れたが、その目元には深い隈が作られている。

「無理を言ったのは私だというのに。君が倒れては元も子もあるまい。
 それとその装置を使うのは今後止めておけ。癖になるとそれこそ抜け出せなくなるぞ」
「言うなよ。僕よりもずっと無茶な立ち位置にいるのは君だろうに。
 それを思えば、これぐらいの無理は僕なりの道理で押し通すさ」

見開かれた目が謝意に閉ざされる。これは確かに己の失態といえるだろう。
自分の置かれた事情が、彼の友に開発の情熱の炎に油を注ぐ真似をしてしまったというのだから。


瀕死のインデックスを体を引きずって病院に預け、自らも緊急搬送され治療を受けて数日後。
軍の上層部……恐らくは、更に上の権限を持つ裏の組織との面会で、
グラハムはその異邦者(インデックス)に関するある条件を結んだ。
インデックスを施設に入れる条件、ではない。
頼まずとも向こうは無理にでも生かそうとするだろう。あちら側は、どうやら彼女の価値を知っているらしい。
どんな経緯でそれに至ったかは知れないが、その理由もどうせろくなものではあるまい。
そしてそれはグラハムにとっても在り難い。
如何に姑息な目的があるにせよ、少女の命を保たせるには最も優れた技術が揃う施設にいるのが一番だ。

呑んだのは、治療行為以外での彼女への過度の干渉の禁止の条件。
再生の名の許に少女の中身を玩弄する真似など、グラハムには断固として見過ごせない。
当然代償は存在する。
僅かに解析できた、彼女の脳内で見つかった紙片(データ)。
既存の科学者の手に余る、無数の未開技術の箱(ブラックボックス)。
その技術を利用した次世代機のテストパイロットにグラハム、機体開発にビリーが任命された。

「―――苦労をかける」
「お互い様さ」

正体も真実も知るグラハムは覚悟もできるが、ビリーにとっては完全に被害者の立場だ。
己の帰還が彼を、世界を歪めてしまっている。
世界に存在しないイレギュラー。文明の違う異人を引き込んだ結果が、徐々に顕れ出していた。


「けど―――そうだ、四年だ。四年費やした。
 最新鋭の設備、最先端を担うメンバー。それだけ揃ってもなお彼女が目を覚ますことはない。
 なぜ、あの娘がここまで厚い待遇で迎えられているのか。それは僕が近づける案件じゃない。
 それに君が深く関わっている事情も……打ち明けてくれないのは残念だけど、それは受け入れる気だよ」
「カタギリ?」
「大きな紛争は終わった。混乱の根源たるソレスタルビーイングの武力介入もここ数年めっきりない。
 例の新連邦の独立治安部隊だって、当初考えていたよりもずっと対策は穏健だ。
 ……けど、正直僕は不安だよグラハム。
 世界はゆっくりとだが平和に向かってる。そう思うべきなのに……なぜだか、不安が拭えないんだ。
 脈絡のない新技術の導入。唐突に発見された新物質。小規模だが原因不明の、怪異としか言いようのない事件の頻発」

何かが、進行しようとしている。それも相当に危険な段階にまで。
ビリーに限ったことではない。世界中の誰もが同じ、漠然とした不安を抱いている。
明瞭としない、霧の中を歩いているような恐怖に覆われていた。

「僕らは、何かを間違えたのかもしれない。
 本当なら『こうだった』という道を、いつの間にか踏み外してしまったじゃないか。
 船出の行き先を、どこか途方もない方角に向けてしまっているのではないか。
 科学者として情けない話だが―――そう思えてならないんだ」

地表の見えない海原。
光の届かない森林。
幽世へと繋がる、後戻りのきかない一本道。
足元も見えない闇に迷い歩き続けるうちに、その洞に足を入れる時が来る。
真綿で首を絞められるような、緩慢な絶望が世界を包んでいる。
愚痴をこぼす仲であっても、本気の弱音を吐くことはなかった友が吐露してしているほどに。
無論ビリーはグラハムを非難してなどいない。
彼なりに友の事情を汲み、こうして協力に尽くすのに嘘は混じっていない。
しかし変異が決定的になった時期は"そこ"なのだ。ガンダム掃討作戦から二日後に同行者を連れて発見された時から。
才能に溢れた技術者は気づいてしまったのだ。



男が案じたのは友の精神(こころ)だ。
自分では及びもつかない深い闇に触れてしまった、グラハムの身こそを第一に慮った。
部外者に気づけた事実を当事者が知らないはずはなく。
世界を揺るがした責任を抱えていくこれからの人生が、どれだけの苦境になるのかと―――




「そうか。ならば私が次の道を見つけて来るとしよう」

怪異の欠片を掴んで帰ってきてしまった男は。
靄のない、堂々とした声でそう言った。


「グラハム―――」
「確かに我々は間違えたかもしれん。あるべき世界は消え、未来には予想だにしない展開が待っている。
 だが世界とはそういうものだぞカタギリ。世は常に変わり、何があるかわからない。
 人間(われわれ)が戸惑うばかりの事でも、この世界では何度も起きた、有り触れた変化に過ぎない。
 四年前がそうだったように」

ソレスタルビーイングとて人の歴史が積み重なって生まれたものだ。
過去、歴史にその理想を初めて掲げた者から連綿と紡がれ編まれていった織物が、あの時完成しただけのこと。

「不安があるのは先が見えないというのなら、その先を手に持つ灯で照らしに行くまでだ。
 いつ闇に落ちるかも知れない愚かな真似だとしても回り道はない。私達にできるのはこれだけだ。これだけで十分さ」

永遠の夜はない。
空に暗雲が浮かぼうとも、雷鳴が鳴り止まなくとも。
いつか雨は止む。見上げた方向のまま突き抜ければ、空はいつでもそこにある。

何度倒れ折れ曲がろうと、空の月に手を伸ばした人類(ひと)の夢が叶ったように。
ただ己を信じて進み続ければ、道は自ずと見えてくる。
そこが目指す場所に続いていると、確信がある。

何故ならきっと、そこは誰もが生きる先に行き着く未来だから。
別々の夢を持ち、各々の思いがあり、そんなバラバラの人達が共に集えた時があの日にはあった。



―――それが星を開拓するような、人類史に挑む難行だというのなら。



「未来への水先案内人は、このグラハム・エーカーが引き受けよう」

宣誓をここに。
軍人はあり得なくなった結末と同様、宇宙(そら)を先駆ける流星になると決めた。


「……困った。本当に変わらないんだな、君は」

ビリーの表情には元の柔らかさに戻っていた。

「誤解だカタギリ。私は変わったさ。人が変われないわけはないんだ。生きて世界と向き合い続ける限りは、決してな」
「それもそうだね。これは昔に戻ったというべきなのかな。
 さてそれじゃあ、ここいらでお暇しよう。僕も僕の役目を果たすとするよ。
 ああ、そのデータはコピーだから持って行ってくれて構わないよ」
「それは情報漏洩ではないか?」
「ご安心を。二時間経ったら自動的にデータを削除するようプログラムしてあるさ」

いつもより物騒な台詞を残してビリーは去っていった。
やはり、あのシステムを使うのは戒めておくべきだろう。今度寄った際にはよく注視しておくとしよう。

「……流石カタギリ。仕事は完璧だな」









一時間経って、施設をあとにする。
真昼前に来たから空は今も青い。雲も少なく風も柔らかい、実に航空日和だ。
安いゼンマイ音が聞こえない本物の青空。
この空を、眠る彼女に見せてやれたらと切に思う。

首輪はかけられて体は縛られているが、なに、羽が折れたわけでもない。
背負う荷物の重さで比翼の羽ばたきは終わらない。人もモビルスーツも違いなく。
なにせこの体には二つ分の心が収まっている。そんな自分がここまで進めている。


「さあ。今日も、共に飛ぼう」

……ひとつの奇跡があった夜。
繋がる部分など何もなかった、砂粒程の可能性から生まれた心の通い。
奇跡を希望に。ただの不幸な偶然で終わらせないために。
その出会いを忘れない。その運命を離さない。

望む光景は遠く、星を超えても届くか分かなずとも、足は止めない。
男の誓いに二言はない。いつものように無理でこじ開けてでも、そこに辿り着くと既に決めた。
不安などない。日が落ちようとも、輝く月が道しるべになってくれる事を知っている。

いつか必ず、再会の日が来ると信じて。
闇の中にある未来に至る道を、男は進んでいく。























その、帰り道に。



見たことのある塊が、軍事寮の錆びついたフェンスに引っかかっているのを見つけた。








「――――――――――――――――――――」

袖の長い、ゆったりとした白色のローブ。
被った頭巾から覗く水色の髪。
外に干された毛布のような形をしたものが、目の前に吊り下がっている。

「――――――――――――は」

予想外の衝撃に声が漏れる。
記憶と一致する外見に眩暈がする。
都合のいい奇跡は起きないと真っ先に捨てていた。
そう考えていた光景が目の前にあることに、言葉が続かない。

「――――――――――――――」

なにせ本当に準備も覚悟もなかったのだ。
こんな喜劇の始まりのような現実を、どうして予思に浮かべようか。


―――世界は、何があるかわからない。


一時間前。
そう言った自分の言葉すら思い出せない。




「―――シス」
「お」

もぞりと動く小さな体。
聞こえた声に、身を震わせる。
歓喜なのか恐れなのか、どちらにしても今までの決意が残らず吹き飛んでしまいそうな感覚だけが事実だった。

起き上がる貌と目が合わさる。
瞳に映るのは、見たこともない表情でこちらを見る、あどけない少女。
飢えた目つきの修道女は、新たな奇跡の一言を口にした。











「………………………………おなか、へった」




















科学と魔術が交差する時―――――――――。









物語は、再び動き始める。

























【 アニメキャラ・バトルロワイアル3rd / グラハム・エーカー -To the next story!- 】



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最終更新:2015年05月19日 13:10