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プロローグ/雨と星と

☆???

 届かないからこそ美しいものがある。
 例えば、花畑を自由に舞う綺麗な蝶々を追い回した経験は誰にでもあるだろう。
 虫取り網を片手に、あの綺麗な羽を間近で観察し、あわよくば虫籠で飼ってやろうと欲を抱いて草原を駆け回る。
 けれど、いざ捕まえてみて――間近で眺める蝶々が、所詮はただの虫だということに気付かされる。
 逃れようともがく六本の足、昆虫特有のお世辞にも可愛らしいとは言い難い腹部や眼。
 美しい羽は触れる度に鱗粉を散らし、花畑を悠々と飛び回っていた姿とは大分見劣りする。
 それでもせっかく捕まえたのだからと飼育したところで、寿命なんてたかが知れている。

 ある日、何となしに籠の中を見て、地べたに横たわって息絶えている蝶を発見する。
 羽は心なしか萎れて見え、命をなくした複眼はただただ不気味にしか見えず、時には体液さえ出しているかもしれない。
 その時、思う。――なんでこんなのを、綺麗だなんて思ったんだろう、と。

「要はルービックキューブだと思うの」

 どこかの屋上。
 熟れた林檎のような赤い夕焼けを背に、煤けた座椅子へ腰掛けて、ルービックキューブをがしゃがしゃ回す。
 少女は綺麗だった。背負った赤色にほんのり染め上げられた髪の毛は、一本一本がまるで絹糸のように艷やかだ。肌には年頃の吹き出物一つなく、知的玩具を弄ぶ手元を見つめる瞳は硝子球のように透き通っている。
 しかしそう見えるのはきっと、我々が彼女と同じ土俵に未だ届いていないからに違いない。
 少女は綺麗ではない。見た目をどれだけ取り繕おうとも、その中身は熟れて地に墜ちた林檎の如く膿んでいる。

「遠目に見たら綺麗だった。けどいざ近付いてみたら色合いはバラバラで、お世辞にも出来がいいものじゃなかった。
 だったら簡単、『組み直す』。ねえコロ、私は思うよ」

 がしゃん。
 ルービックキューブが、完成した。
 あるべき場所にあるべき色を。
 微塵のズレもなく、あるべき美しさが完成した。
 それを思い切り、渾身の力で柵の向こうに放り投げて。

「私なら、『魔法少女』――組み直せるって」

 少女は笑った。
 華が咲くように笑った。
 贋作の魔法少女を眺めて、笑っていた。



☆ウェンディゴ

 帰ってきた答案用紙には、赤い丸が所狭しと犇めいていた。
 点数欄には他の生徒より一個桁の多い点数。
 遠慮がちに答案を覗き込んでは、クラスメイト達が感心の声を漏らして自分の席へと戻っていく。
 いつからだろうか、こういう結果に対して素直に喜びを示せなくなったのは。
 贅沢で中学二年生じみた悩みだと自分でも思うが、感動できないのだから仕方がない。

 木野七代はエリートだ。
 文武両道、才色兼備。
 厳格な両親の教育方針もあって、習い事の類は概ね修めさせられた。
 あれをやりなさいこれをやりなさい。言われるままに七代はやった。こなした。両親はすごく喜んだ。
 周りはここぞとばかりに七代を褒めた。家が金持ちだからという理由もあって、周囲から人が絶えたことはない。
 別に金を持っていても使い道はないので、七代はとにかく気前がよかった。
 級友の誕生日会に呼ばれれば流行りのゲームソフトを買っていく、皆で外食すれば進んで金を出す。
 そんなことをしているのに、彼を金づるとして利用しようとする輩がいないのは――ひとえに、やはり日頃の行いというやつだろうと七代は思う。

 七代は苛めには加担しなかった。
 かと言って、悪事を見つけたから密告するほど正義感に溢れてもいなかった。
 自分に実害が及ぶなら流石に行動するが、それ以外は基本好きにさせておけばいいと思っている。
 要は分け隔てがない。いつしか、不良と呼ばれる連中は七代を飯に誘うようになった。クラスの隅で小声で語り合っているサブカル愛好者達は、七代に一押しのアニメDVDを貸してくれた。頼んでもいないのに。
 女子にももてた。教師には贔屓された。親は七代を一度も叱ったことがない。七代に苦言を呈した新任教師は陰口と嫌がらせに堪えられなくなって着任から一ヶ月で出勤拒否になった。

 彼は高嶺の花だった。
 ただ、誰もが彼を人だと思っていなかった。
 何をやらせても完璧にこなす、非の打ち所がない「そういうもの」と認識していた。
 それに七代がある時気付いた。その日、彼は初めて友人との約束をすっぽかした。仮病を使った。

 七代は化け物じゃない。ましてや機械でもない。
 人並みの感性を、周りの評価と自身の才能で麻痺させて騙し騙し生きてきた、十五歳の少年だ。
 カルーアミルクのように甘ったるい酩酊した毎日は、皮肉にもアルコールの役割を果たす周囲の評価が終わらせた。
 確かめてみようと思った。
 生徒会選挙に出馬した。
 選挙活動なんてせず、ただ黙って結果を待っていた。演説でも何も喋らない。

 ――当選発表の日、でかでかと掲示板に張り出された名前の羅列。そこにあった自分の名前の下に、紙で出来た花飾りが付いているのを見て……木野七代は、「人間」になった。

 別に何かが変わったわけじゃない。
 ただ、少し彼は無遠慮になった。
 クラスメイトに、親に、教師に。
 危害を加えるわけではないし冷たく当たるわけでもなく、ただ、心の中で見下した。
 最初はただ、普段より少し高い目線を持っただけだった。
 そして、周囲のあまりの体たらくに愕然とした。
 どいつもこいつも、ただ縋り付くだけ。
 小難しい言葉は思いつかなかったけれど、なんだか胸の中がぐずぐずに荒れているような感覚を覚えた。
 しばらく考えて、多分嫌悪感ってやつなんだろうなと納得した。


「やあやあやあやあ! どうしたのさウェンちゃん! いつにもまして不機嫌そうだね!!」
「……そう分かっているなら騒がないでくれないかな、うるる」

 外は雨がしとしとと降り注いでいる。時刻が夕暮れ時なこともあって街は薄暗く、裏通りともなれば人通りは皆無だ。
 そんな場所だから、魔法少女が活動するにはまさにうってつけである。
 魔法少女には規則がある。なるだけ人目を憚って行動する、というのもその一つだ。
 魔法少女はみだりに人前へ姿を晒してはならない。ましてや、その正体が明らかになるなど以ての外だ。
 人間に正体を知られた魔法少女は魔法少女ではなくなり、記憶を奪われる――そう、あの妖精が口を酸っぱくして言っていたからよく覚えている。第一、そうでなくとも進んで人前へこの姿で出ようなどとは思わないが。

 魔法少女「ウェンディゴ」は、見た目に苦労させられている不運な魔法少女だった。
 怪しげな紫色のアンティークドレスを纏い、髪は現実離れした緑色をしている。
 肌の色合いもどちらかと言えば蒼白に近く、おまけにその身体からは常に薄い霧のようなヴェールが漂っているのだ。
 魔法少女には欠かせない職務である人助けを行おうにも、まずこの見た目の時点で敬遠される。
 というか、逃げられる。素直に感謝された試しなんて本当に数えるほどしかなく、ひどい時は助けようとした相手がウェンディゴを悪霊のたぐいと勘違いし、騒いで別な魔法少女がやって来てあわや戦闘になりかけたこともあった。
 その時はどうにか事情を説明して事なきを得たのだが、このままでは魔法少女の本業を続けるのは難しいという結論に辿り着くまでそう時間はかからなかった。

 そこでウェンディゴは、その時トラブルになった魔法少女の提案を受諾することにしたのだ。
 即ち、二人一組(ツーマンセル)。
 お互いにお互いを手助けし、より円滑に人助けを行えるようにと結成した「魔法少女同盟」。
 センセーショナルなネーミングセンスはウェンディゴのものではなかったが、彼女としてもこれは願ってもない申し出だった。断る理由も見当たらない。――判断を早まったかなと思い始めたのは、それからすぐのことだったが。

 魔法少女「うるる」。
 つややかな黒髪は特に前髪が長く、両目を隠してしまっている。
 全体的にこじんまりとした体格が否応なく見る者の庇護欲を掻き立て、薄手の白いワンピースはその印象をどこか儚げなものにまでしていた。 
 早い話が、ウェンディゴと正反対に、見た目で得をするタイプの魔法少女。
 しかもおまけにこのうるる、実際の性格は大人しさとは無縁であるから質が悪い。

「なに、学校うまく行ってないの? それとも魔法少女のことバレちゃったとか?」
「だったら僕は今ここにいないよ。それに学校だって今まで通りだ。
 ……大体、君にそこまで踏み込まれる理由はないだろう。あくまで魔法少女という、仕事上の関係なのに」
「つーれーなーいーなー。ボクとウェンちゃんの仲なのに?」

 傘をくるくる回して、水が跳ねるのを厭うこともなく水溜りにジャンプで飛び込みはしゃぐ姿はまるで小学生だ。
 うるるの実年齢がどの程度かウェンディゴは知らないが、話していて、少なくとも中学生未満ということはないだろうと感じた。同年代とするには、少し言動が幼いような気もしたが。
 ウェンディゴはうるるのことを何も知らない。
 なのにうるるは、ウェンディゴの秘密を知っていた。
 もちろん自分から話したわけではない。ないのに、いつの間にか知られていた。
 問い質すと、どうやら彼女の魔法を使われたようだと分かり……ウェンディゴ、もとい木野七代は、何年ぶりかの心からの溜息を吐き出すことになった。


「――あ! 子猫、いた! そこの角を曲がってすぐにある、青いゴミ箱の影!!」


 うるるの魔法は、「シャボン玉を思い通りに操る」というものだ。
 最初はどんな魔法だよと思ったが、しかしこれが意外なほどの応用性を持っている。
 まず、シャボン液はなんでもいい。彼女がいつもポケットに忍ばせている小瓶に、水だろうが油だろうが、なんでもいいので液体を入れれば、素材の性質はそのまま保持したシャボン玉が出来上がる。
 おまけに数も自由自在だ。この前は、逃げ回るひったくり犯にシャボン玉を止むことなく叩きつけ、強引に足止めしたこともあった。そして何より厄介なのが、ウェンディゴの秘密を暴いた――シャボン玉をいわゆる偵察機として扱う使い方だ。
 飛ばしたシャボン玉のそれぞれが見ている映像を、うるるは自由に自分の視界と共有することが出来る。
 ストーキングから今回のような探しものの場合まで、実に幅広く、傍迷惑に使うことの出来る彼女の技の一つである。

 指示通りに曲がり角を右折して、ゴミ箱を持ち上げた。
 するとすっかりずぶ濡れになった黒猫が、上目遣いでウェンディゴを見上げている。
 ウェンディゴはそれをゆっくり抱き上げて、今日の人助けもばっちり終了した。


 うるるが子猫を飼い主のもとまで届け、帰途に着く頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
 まだ時間的にはそう遅くもない筈だが、やはり雨降りの黄昏時というのは気分的にも風景的にも仄暗く陰鬱だ。
 うるるの住処がどこなのかは知らないし興味もない。ただ、途中までは同じ方向らしいことは知っていた。だからウェンディゴとうるるは、肩を並べて何を話すでもなく一緒に歩いていた。
 衣装の様子は違えども、絶世といっていい美少女二人が並んでいる姿は相当絵になる。
 誰かに見られた日には写真を取られるか、最悪怠い絡みを持ちかけられても不思議ではないだろう。
 そんな中、ぼうっと口を開いたのはウェンディゴの方だった。
 うるるに話しかけたというよりかは、本当にただ呟いたような感じで。

「しかし、今回も魔法を使わなかったな」

 ウェンディゴは、自身の魔法を使ったことが殆どない。
 魔法少女になりたての頃に数度実験的に使っただけで、しかもそれも一般人相手の実験だったから此処にはいない妖精から苦言を呈される結果に終わってしまった。

「ウェンちゃんのは使い所限られるもんね。魔法少女って、何かと万能すぎるとこあるし……
 例えば今日の猫ちゃんに走って逃げられても、そんなに運動の得意じゃないボクだって簡単に追いつけるんだから。格が上だとか下だとか、勝ち負けだとか。そういう話になることってまずないと思う」
「丁寧な分析ありがとう。まったく、こればかりはどうにも困りものだな」

 せめて空を飛べるだとか、そういう方がまだマシだ。
 ぼやくとウェンディゴは、自分の右手へ視線を落とした。
 ――彼女の魔法は、「格下の相手には絶対に負けない」というものだ。
 実験をした時にはジャンケンやギャンブルなど様々な勝負を試してみたが、一度も負けたことはなかった。ちなみに相手に使ったのは炊き出しに並んでいるホームレス達である。
 特に見下しているつもりなどなかったのだが、いざという時の実験体として真っ先に浮かんだ上に、ちゃんと魔法も発動していた辺り、やはり無意識に彼らを格下だと決め付けていたらしい。
 ……我ながら、格の基準が自分の認識にあるというのは恐ろしい魔法だと思うのだが――人助けを生業とする魔法少女にとってはどうも、使い所のない魔法だと言わざるを得ない。
 それこそ、勝負に発展すれば大半のことは魔法少女の地力でどうにかしてしまえるのだ。
 相手が同じ魔法少女でもない限りは、使う機会はそうないといっていいだろう。

「けど、こういうのも面白いよ」
「? どういうこと?」
「いや、こっちの話だ」

 格がどうこうというのは、いかにも自分らしい魔法だと思う。
 だが魔法少女としての仕事では使い所に欠け、こうして悩ましさを感じている。
 それが、ウェンディゴには新鮮だった。
 それと同時に、やはり魔法少女になったのは間違いじゃなかった――と、改めて実感する。
 ……無論、こんなことは誰にも言えない。未来永劫、自分から誰かへ話すことはないはずだ。

 ウェンディゴが魔法少女になったきっかけは、別に運命的な偶然じゃない。
 シアンハットという先輩魔法少女がある日突然七代の前に現れ、彼女の連れていた妖精が七代の素質を見出した。
 そもそも少女ではないし、大体何の話をしているのかさっぱり分からない。
 抗議は意にも介されず、半ば強引に七代は魔法少女「ウェンディゴ」にされた。後から聞いた話だが、男性が魔法少女に変身した例も数こそ多くはないものの存在するという。
 それどころか動物など、人間以外の生物が魔法少女をしている場合もあるというのだから、何でもありだなと思う。

 シアンハットは決して頼れる先輩ではなかった。
 いつもけらけら楽しげに笑っていて、一応物事は教えてくれるが放任主義のきらいが強すぎる。
 妖精のコロは質問すれば説明してくれたが、それでもやはり常に呼び出せるわけではなく、結果としてウェンディゴは魔法少女の身体について、魔法についてを自分で勉強する羽目になった。
 ただ、それは彼にとって楽しいことだった。
 ゲームをしたことは人並みにある。けれど、自分がゲームの登場人物のような力を手に入れたことはない。
 鬱屈とした「リアル」の問題にぶち当たっていた彼が、非現実的な魔法少女の仕事に没頭するようになるまで、そう時間はかからなかった。
 うまくいかないことの楽しさを、初めて知った。

 雨が強くなってきた。
 うるるの傘に入れてもらいながら、二人で歩いた。
 しばらく歩いて、ちょうど別れる地点に差し掛かった頃。
 彼女が不意に足を止め、前方を指差した。
 その方向へ視線を向ける。――そこには、奇妙な少女が居た。

 衣装の至る所に星の飾りを散りばめて、背中には棍棒ほどはあろうかという大きな天体望遠鏡を背負っている。
 傘など差していないから濡れ鼠になっているが、それが彼女の美しさをより助長していた。
 一度見れば忘れられない美貌。隔絶した雰囲気。……彼女が何者であるか、推察するのに時間はかからなかった。

「こんにちはっ!」

 うるるが元気に挨拶し、傘から外れてとてとてという足取りで駆け寄って行く。

「ねえ、あなたも――」

 魔法少女なのかな、という台詞を最後まで言い終わる前に。
 星の少女は、彼女の台詞を遮って言葉を挟んだ。

「……"料理人"」
「へ?」
「料理人の、魔法少女」

 ……料理人の、魔法少女?

 ウェンディゴもうるるも、そういった存在に覚えはない。
 この街にいる魔法少女を全て知っているわけではないが、少なくとも知っている中には居なかった筈だ。
 星の少女はまっすぐにうるるの目を見据えて、もう一度問う。
 どこか機械的なほどの冷たい雰囲気を孕んだ声で、しかしそれとは裏腹の必死さを滲ませて。

「料理人の魔法少女を、知らないか」

 雷鳴が鳴った。
 だから一瞬、気付かなかった。
 懐に入れた「魔法の端末」が、耳障りな着信音を鳴らしていた。
 電源を入れた端末には、無機質なメッセージが躍っていた。

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最終更新:2015年10月16日 02:06
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