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§209注解

万人同一な一般人として私が把握されるのは、教養に、すなわち個人を一般性の形式によって意識する立場としての思考に属することである。
人間がこのように一般人と見なされるのは、彼が人間であるからであって、彼がユダヤ教徒、旧教徒、新教徒、ドイツ人、イタリア人等であるからではない。――――この一般人という意識、これが思想の段階なのであるのだが、これの重大性についてはいかに言葉を尽くすとも過言ではない。――――ただこの意識に欠陥があるとすれば、それが、あるいは世界市民主義となって、具体的な国家生活に対立するように固定される場合のみである。
最終更新:2015年02月20日 15:34