2スレ目 378-384
予定よりも随分遅くなっていたが、基地に近づくに連れてどちらともなく自然と歩みが遅くなった。
ついさっきまで今日観た映画の話や子供の頃の話で盛り上がっていたのに、
いつの間にか当たり障りのない会話に流れて途切れがちになり、結局今は無言だ。
喧嘩をした訳でも気まずい訳でもなく、名残惜しさに口をつぐんでしまうだけだ。
恋人から上官と部下へ。その切り替えのためにいつの頃からかこんな時間が必要になっていた。
すっぱりと切り替えが出来るほど浅い付き合いではないし、かといって安定した関係でもない。
基地に近づくにつれ、色々な感情が混ざり合って、かえって無表情になってしまう。
上官と部下としては阿吽の呼吸でも、恋人としてはまだ互いにおっかなびっくりだ。
寮とはいえ、隊内のヒエラルキーはそのまま寮のヒエラルキーに直結している。
正月明け早々の泥酔者居座り事件をきっかけに「プライベートで好きな女とイチャついて何が悪い!」と居直りはしたが、
結局のところ寮は基地内だ。きっぱりとプライベートであるとは断言できない。
だから郁を呼び出す時は出来る限り素っ気なく呼び出し、外出した時も寮の玄関の灯りが見える場所まで戻ったら、堂上は郁の手を離す。
公私混同をしないために堂上が密かに決めたルールだ。郁も言外に理解してそれに従っていた。
だがそれは建前の話。本音を言えば恋人としての態度をこれ見よがしに見せ付けて、
近頃になって郁に熱い視線を送り始めた不埒な輩どもをまとめて牽制したいところだ。
別に隠しているつもりではなかったが、堂上復帰の際に互いに自然と公私のけじめをつけたことで
二人が恋人同士になった事に気付かない者も少なくなかった。特に噂話に疎い特殊部隊外に所属するの男子隊員は。
堂上と付き合い始めて元来の愛らしさを覗かせるようになった郁は素直に可愛かったが、余計な視線まで集めてしまったのは苦い。
おかげで苛立つ事も増えた訳だが、自分が決めた事に文句を言っても仕方がない。仕方はないが、腹立たしい。
考えあぐねた末の妥協策として、不埒な輩は片っ端から絞め落とすことに決めた。
気さくな警衛係から「相変わらずお熱いねー」と冷やかされながら、寮までの道を出来るだけゆっくりと歩いた。
ほどなくして木々の間から寮の玄関が見え隠れする。腕時計を見ると予定よりも遅くはなったが、門限にはまだ余裕があった。
そういや洗濯するもんがあったなと所帯じみたことを頭の隅で考えながら、甘い余韻を断ち切ろうと無意識に姿勢を正した。
だがいつもなら手を離すタイミングに来て不意に郁が立ち止まった。手を強く握られ、堂上は郁を振り返る。
「郁?」
郁は無意識に手を離すことを拒絶し、その場にぼんやりと立ちすくんでいた。
不可解な行動に戸惑ったが、すぐに郁が自分の唇を郁が注視していること気が付いた。
あ、と言葉に出しかけて止めた。その視線の意味に気が付かないほど鈍くはない。
思わず手を握り返すと、郁が我に返った。焦点を取り戻した視線がぶつかると、郁は途端に顔を赤くして俯いた。
野放図を絵に描いたような普段の郁とは比べようもないほどの初々しさだ。その仕草に堂上の息がぐっと詰まる。
この、バカ!もう半年も経つんだぞ。ガキじゃあるまいし、こっちが恥ずかしいわ!頬なんぞ染めやがって!
こっちがどれだけ色んな意味で我慢しようとしてるか判ってるのか?!少しは男の生態を理解しろ!
しかし心の中で毒づく堂上の顔も熱を帯びていて、耳まで真っ赤になっていた。
期待と胸を突くような甘酸っぱい想いに歯噛みする。ガキか、俺は。
言いたいことは色々あったが、あえて沈黙を貫いた。そのまましばしの無言。結論を郁に委ねたのはせめてもの意趣返しだ。
照れ隠しの仏頂面で身構えた堂上を前に、ようやく郁が遠慮がちにあの、と口を開いた。
「ちょっとだけ…お散歩とかしませんか?」
俯いたまま上目遣いで堂上を覗う。堂上よりも背の高い郁が無意識に少しでも女の子らしく振舞おうとする時の癖だ。
今更だ、バカ。と思う反面、その仕草や自分を気遣う健気さが愛しいと思う自分はすでに病気だ。
だがそれを悟らせるのも癪なので、素っ気なく「少しだぞ」と言い置いて、寮の灯りに背を向けた。
外灯と外灯の間に射す深い夜の谷間、植え込みの更に奥の建物の影に堂上は郁を引き込んだ。
壁に背中を押し付けられた郁の手からバッグがすとんと落ち、潤んだ瞳で堂上を見つめている。
抱きしめて、押さえ込むように郁の頭を撫でると、郁の身体から力が抜けてそのまま堂上に縋り付いた。
さっきの蕩けたような視線の意味が間違いはなかったと感じると共に、逸る気分に囚われる。郁からの誘いは初めてだった。
いつもはこちらからリードするが、どうする?郁に任せてみるか?郁の頭を撫でながら考えていたら、
おずおずとためらいながら郁が動いた。軽く触れるだけのキスを一つ。それから郁はじっと堂上を見つめた。
この先は堂上に任せると言うことだろうか。だが折角の誘いなら、素直に乗るよりは少し焦らしてみたい。
あえて軽いキスを返すと、郁は高まり始めた身体中の熱から逃れるように艶めいた息を吐いた。
互いの視線を結んだまま唇を軽く噛んでやると、郁の口から思いがけないほど色っぽい喘ぎ声が漏れる。
くそ、処女のくせにエロい声出しやがって。
焦らしたつもりが煽られただけだ。堪えきれず噛み付くように口付けて、舌を絡み合わせた。
キスの心地よさを教えたのは自分だが、数を重ねるごとに郁の反応は良くなっていた。
セックスはまだしていない。だからなのか、繰り返すごとにキスは深くなっていき、いつの間にか情事の様相だ。
キスがセックスの代償行為になっているのかもしれない。だが郁はそれに気がついていない。
セックスについては間違いなく「はじめて」であろう郁に対して事を急きたくなかったが、
キスがセックスの代償行為になっている現状、いくら朴念仁と皮肉られているとはいえ毎度こんな声を聞かせれては堪らない。
熱に浮かされたような視線の郁に、堂上は試されているような気分だ。気を抜けば郁に襲い掛かるかもしれない。
何か別のことをと思いつき、そうだ、と目の端に映ったものに意識を集中する。郁の頬に張り付いていた横髪。
少し邪魔そうだなと考えて、掻きあげて郁の耳にかけるように梳いた。が、その指の動きに反応するように郁の身体がビクっと震えた。
「んっ…ぁ」
堪え損ねた甘い声がはっきりと堂上の耳に届く。おい、待て笠原。マズイぞそれは。
わざわざ苗字呼びしたのは今にも消し飛んでしまいそうな自制心だったが、もう手遅れだ。
その証拠に待て待てと焦り始めた頭の片隅で、耳の裏が弱点なのかとしっかり記憶した自分がいる。
密着していた身体を慌ててずらす。堂上自身に起こりつつある身体の変化がばれたら流石に気まずい。色んな意味で。
左手を郁の頭に添えたまま、右手の指先で首筋をそっと撫でる。
触れている事を意識させないように、耳の裏に触れるタイミングで煽るように舌を絡ませた。
生暖かくざらっとした感触に弱い部分に触れられた刺激が重なって、郁の身体が弓なりに反った。
腰が引けた郁を逃がさぬように身体を支え、そのまま郁の背中のラインを確かめるようになぞると
堪りかねた郁が必死に声をかみ殺して熱い息を吐いた。
目尻に浮かんだ涙に僅かな罪悪感が芽生えたが、そのまま気付かない振りをした。
大事にしたい女のはずなのに、このままでは傷付けてでもその先まで求めてしまいそうだった。
もう自分では崩れた自制心を立て直すことが出来ない。郁がNOと言ってくれなければもう止められない。
大事にしたいのと同じくらい、確実に楔を打ち込んで逃げられないようにしたいとも思う。
好きな女とイチャついて何が悪い。恋人同士がやることやって何か問題でもあるのか。ずっとしたかったんだ、悪いか!
ついに観念した堂上は郁の首筋に軽く歯を立て、郁が息を飲んだ瞬間にデニムのタイトスカートの裾から手を滑り込ませた。
起こったことに気がついているのか、それともまだキスの余韻の中なのか。
引き締まった太腿から内側に指を滑らせると、教官、と震える声で堂上を求め、郁は堂上の肩にしがみついた。
怯えてくれれば踏みとどまる事も出来たかもしれないが、これではまるで同意のサインだ。
太腿の内側に手を這わせ、熱を帯びた部分に触れぬように臀部まで撫で上げると、郁は喘ぎ声を必死に抑えながら更に強くしがみついた。
行き場のない熱をやり過ごす事も難しいのか、無意識に足をすり合わせて身動ぎする。触れなくてもそこが潤んでいる事くらい判る。
俺だけがこの先を求めている訳じゃないと思って良いんだな?声に出して訊ねる代わりに、堂上は郁の瞳を覗き込んだ。
それは二人の視線が絡み合った瞬間とほぼ同時に起こった。
暗闇の中、二人のいる場所からおよそ数十メートル先でがさりと木擦れの音がした。
即座に甘い余韻は掻き消え、堂上と郁は抱き合った姿勢のまま音も立てず植え込みの影に身を潜めた。
しばらくして腹立たしいほど呑気な鼻歌が耳に届き、二人の頭上を懐中電灯の灯りがかすめた。
灯りは影に潜んだ二人を捕らえる事無く、さっきまで二人が濃厚なキスを交わしていた空間を照らしだす。守衛の見回りだ。
守衛は植え込みを全く気にする様子もなく、やがて呑気な鼻歌は遠くへと消えた。
いくら二人が特殊部隊隊員とはいえ、あの程度の見回りでは侵入者が潜んでいたとしても全く気付かないかもしれない。
アイツ、減俸ものだな。いや、この場合はいちおう感謝しておくべきか。
守衛の気配が完全に消えたところで、堂上は大きなため息をつき、
それを合図に堂上に庇われるように身を縮ませていた郁の身体からふぅと力が抜けた。
「ドキドキしたー。今のちょっと危なかったですね」
先ほどのキスの余韻をまるで匂わせないサバサバとした郁の物言いが微妙に引っかかった。
「何の…」
「さっきの守衛さんですよ。でもあの人、ちょっと警備姿勢に問題ありますよね。まぁ見つからなくって良かったかな。えへ」
堂上の背中に冷たい汗が湧く。まさか――、まさかとは思うが、まさか…というか、やっぱりそうなのか?!
居た堪れない、男として居た堪れない。罪悪感と戦いながら、半ば腹を括って「そのつもり」で触れたっていうのに、
郁から見ればただ単純に「キス+α」で、それ以上については考えが及んでいなかったらしい。
「えへ」って何だー!散々良い声で鳴いて、煽るだけ煽った挙句それか?!
男心を弄りやがって!返せ、俺の葛藤を返せ!利子つけて返せ!
と、さすがに声に出しては言わなかったが、脱力した堂上ががっくりと膝を付いたことは言うまでもない。
いや、こんなところでおっ始めるわけにもいかなかったから、待ったがかかって良かったと言えば良かったんだが。だが、なんだ。
気持ちは海底二万マイルに到達した堂上を尻目に、郁は立ち上がって堂上に笑いかけてきた。
「もうそろそろ門限ですよね。あ、やっばい!お風呂終わっちゃう!」
心なしか不自然なほど陽気に振舞う郁に対し、堂上は完全な仏頂面だ。
それにしたってホントに気付いてないのか?それはいくらなんでも無神経すぎやしないか?
気恥ずかしさと理不尽な憤りで行き場のなくなった感情の矛先は当然のように郁に向けられる。
堂上は無言で立ち上がり、そのまま郁に軽くゲンコツを食らわした。軽くのつもりだったが、ごちんと良い音が響いた。
「ぃったっ!何で?!今絶対殴るトコじゃないし!!折角ラブラブな雰囲気だったのに!」
「どこがどうラブラブだ!少しは俺の苦労も判れ!」
「え?あたし、なんかやらかしました?」
「もういい!うるさい黙れ喋るな!」
はっきりとしたのは、自分がした行為を激しく後悔したという事だ。笑顔の郁に罪悪感が胸を刺す。
もし仮に郁が行為に怯んで嘘をついたんだとしても、そうさせたのは独占欲で事を急いた自分に非があるような気がした。
どちらにしろもう迂闊に手は出せない。堂上は玄関で郁と別れて部屋に戻ると、柄にもなくへこんだ。
玄関で堂上と別れた郁は部屋へと向かう廊下を一人で歩いていた。
廊下はいつもよりも静まり返っているように感じられて、すれ違う人もいなかった。
静か過ぎて自分の心臓の音まではっきりと耳に届くようだ。
どくん、どくん、と少しずつ早まる鼓動に合わせて郁の歩みも少しずつ速まり、気付いた時には駆け出していた。
逸る気持ちに焦りながら部屋に駆け込むと、柴崎はお風呂にでも行っているのか部屋にいなかった。
後ろ手に閉めたドアにもたれかかり、そのままずるずるとへたり込んだ。頬も耳も、全身が熱くほてっている。
「あ…っぶなかったぁ…」
今日の「散歩」のおねだりは、郁にしては勇気を振り絞ったほうだ。
いつも寮の前までくると堂上はあっさりと手を離すから、それが悔しくて寂しくて、わがままを言った。
それに寮の中では恋人扱いしてもらえない。だから戻る前にどうしても甘い空気に浸りたくなった。
もっともっとと求めるうちに、まさかあそこまで濃密な空気になってしまうとは思わなかったが。
全身に堂上の指が辿った感触が郁の身体にリアルに残っていた。優しくて熱い。
堂上が触れた場所はくすぐったくて、それなのにすごく気持ちが良くて、そこに溺れそうになる自分が恥ずかしかった。
堂上の手が太腿に触れた瞬間下腹部が急に熱くなって、身体の奥からほんの少しだけ郁自身の熱が滲んだ。
それがなんだか判らないとカマトトぶる気は毛頭ないが、少し触れられただけだというのに、これは恥ずかしい。
元々堂上はスキンシップが多いほうだが、キスをする時に(それがどれほど激しかったとしても)触れてくる事は無かったから、
たまにはお触りされながらとかもありかなーとドキドキしながら考えた事は確かにあったけれど、現実は乙女回路を遙かに越えた。
あの時、熱を堪え切れなかった自分に堂上は気付いただろうか?もっと触って欲しいって言ったら幻滅された?
守衛の見回りで行為が中断された時、気持ち良くなっていた自分が急に恥ずかしくなって、その先を考えたら少し怖くもなって、
ベタ甘な空気を断ち切るように明るく振舞って誤魔化そうとしたけど、もしかしたらかなりわざとらしかったかもしれない。
ていうか、柴崎に借りた小説のみたいなあんな事やこんな事を想像してドキドキしたのはあたしだけで、
堂上教官はなんとも思ってなかったりして。あり得る、そのパターンはあるかも!支えようとして偶然触っちゃっただけとかで。
こっちが大騒ぎしてるのに、堂上教官に素で「何かあったのか?」とか言われたらへこむ。マジでかなりへこむ。
一人で空回りとかすっごい恥ずかしいんですけど!それよりも明日どんな顔して堂上教官と会えば良いの?!
柴崎が戻ってきたら相談…とか、そんな自分からネタ晒すようなマネできるかーっ!
真っ赤になった頬を膝にこすり付け、郁は空転する思考を抱えるようにうずくまった。
それから数週間後のバレンタイン、更に堂上をへこませる出来事が起こるのだが、それはまた別の話だ。