1スレ目 388-391その1
何故かその晩の恋人はすこぶる機嫌が悪かった。
その晩は特殊部隊の宴会で、かこつけた理由は先日昇進した隊員を祝うためだという。
郁からすればその理由も単に賑やかな席で酒が飲みたいからではないかとも思うのだが──
何かにつけて宴会したがる隊長とそのノリに付いていく先輩達を見ていると、そうとしか思えない。
とはいえ郁も賑やかな席は嫌いではないし、大半の参加者が食事よりも酒のウエイトが高く、好きなものを存分に食べることが出来るので、それなりに楽しみだったりもする。
惜しむならば、酒を飲み交わす堂上や小牧、手塚達を見ていると自分も飲めればよかったのにと思うこともあるぐらいだろうか。
あの輪に参加できない自分だけ除け者にされたような気がしてしまうからだ。
だから本来部外者である柴崎が参加してくれるのはありがたかった。
先輩達は柴崎の参加を諸手をあげて歓迎するし、郁も一人にならくてすむのだから一石二鳥だ。
ただ唯一問題があるとすれば柴崎は飲み過ぎるとキス魔になってしまうことだろう。
しかし絡む相手は酔っていても選んでいるようなので、それほど心配はしていないのだが、何故か柴崎が郁にキスをしようとすると周囲がどよめく。
キスといっても軽く唇が触れるぐらいものであるし、郁としては大したことではないと思うのだが──、
初めて付き合うことになった五歳年上の恋人は違ったようだ。
「教官、何怒ってるんですかー!?」
酒に弱い郁は一次会でリタイヤするのが常で、以前は直属の上官として、今は恋人として、堂上と基地へ帰る。
いつもは二人きりになれる僅かな時間だからと手をつないでポケットに入れてくれるというのに、柴崎が宴会に参加した晩はそうしてくれる気配すらないことに今晩気づいた。
ふてるようにスタスタと先を歩く堂上に郁はついていくのが精一杯だ。
それでも一人にはしないので、それなりに気遣ってくれてはいるのだが、呼びかけても会話らしい会話にならず郁には訳が分からない。
一体、堂上は何に怒っているというのか、全く分からない。
こちらを拒絶するような背中を見ていると、その背中が不意に歪んだ。
泣いているのだと気づいたのはそれから少ししてからで、泣いているのだと自覚すると途端に悲しさでいっぱいになった。
追いすがるように動かしていた足も気が付けば止まっていた。
堂上の背中がどんどん遠くなる。
もう手を伸ばしてもその背中には届かない、その心には永遠に届かないのかもしれない。
ひっく、としゃくり上げると、堂上は振り返るとぎょっとし、駆け足で近寄ってきた。
「こんなところで泣く奴がいるか、アホウ!」
「だって教官、呼んでもろくに返事もしてくれないし、あたしついていくのがやっとだし、それってあたしのこと嫌いになったってことじゃないんですか?」
すると堂上は酷くきまり悪そうにポケットからハンカチを差し出してくれた。
「──すまん。お前のせいじゃない」
「だったらどうして怒ってるんですか?」
堂上は言葉に詰まったように視線を反らした。
あたしに言えないことなのか、と違う意味でショックを受けると、堂上は違うと声を荒げた。
「違うんだ……ただ、その……今度から酒の席に柴崎は呼ぶな」
「どうしてですか?隊長や先輩達は喜んでるじゃないですか」
どうして堂上の機嫌が悪いことと柴崎が関係しているのか、郁にはさっぱり分からない。
首を傾げる郁に堂上は苛立ち半分諦め半分という表情をし、
「……お前が他の奴とキスしてるところを見せられて、俺が喜ぶとでも思うのか?」
「だって相手は柴崎ですよ?」
「柴崎でもだ」
そもそも郁の中では同性とのキスはノーカンだ。
学生時代から何故か異性よりも同性、しかも後輩から慕われることが多く、キスだって女同士のスキンシップの一つぐらいしか考えていなかった。
しかし堂上から見れば柴崎の郁へのキスは意図的であることはすぐに分かった。
あれは郁を盗られたことへの嫌がらせに違いないのだ。
郁にキスした後、彼女は決まって嬉しそうに堂上を見るのだから。
柴崎がどれほど郁を思っているのかは知らない。
だが他の同期との接し方が違うということは、彼女の中で郁の存在が特別あるということにはならないだろうか。
同性であるからこその友情と、決して異性のような繋がりを持たないことへの嫉妬──こちらを見る柴崎の視線を感じていると、そう思わずにはいられない。
こんな風に指摘されても郁は全く分からないというように首を傾げることも、柴崎は知っているのだろう、きっと。
「それに俺だと未だにガチガチに緊張するのに、柴崎相手だと平気なのが分からん」
「あっ、当たり前じゃないですか!」
さも当然のように反論する郁に堂上は途端に仏頂面になった。
身体を重ねるようになっても未だに自分からキス一つすることも出来ない郁の初心さが可愛いことも事実だが、自分以外の相手に平気な顔をしてキスされているとこを見てしまうと、やはり恋人としては面白くないのも本音だ。
「だって、お、男の人とキスするのは教官が初めてなんですからっ!そ、それに、す、好きな人とするのも……初めてだし……」
泣き顔だった郁の顔はいつの間にか熟れたトマトのように真っ赤になっていた。
結局最後はまともに喋れなくなり口籠ってしまった郁は拗ねるように堂上を見た。
郁からすれば睨んでいるつもりなのかもしれないが、堂上からすれば逆効果だ。
「え、あ、あの、教官、待って──」
「いやだ」
三十路過ぎた男が吐く台詞じゃないなと内心ぼやきつつ、戸惑う郁の唇を塞いだ。
ぐっと舌を強引に押しこんで逃げ惑う舌を絡め取り、吸い上げると、郁は苦しそうに眉を潜めた。
いつもならばこの程度で止めてやれるが、あんな破滅的に可愛い台詞を言われて、この程度のキスで収まりがつくはずがなかった。
狭い口内を蹂躙するように舐めあげて、貪りつくようなキスをこれでもかと味わった。
既にその頃になると郁の身体はがくんと力が抜けてしまい、ずるずると地面に座り込んでしまっていた。
ここが路上でなければ、そのまま仰向けに寝転がせて、更に郁自身を味わうことが出来ただろうに。
ゆっくりと唇を離すと郁の息は上がっており、その瞳は先ほどとは違う涙で潤んでいた。
こんな郁の顔が見れるのは、この世で自分だけだ──それが堂上の苛立っていた気持ちを静めてくれる。
そして求めるように、その唇から名を呼んでくれるのは自分の名であり──それがどうしようもなく堂上の欲情を煽るのを、この手に疎い年下の恋人はまだ気づいていなかった。
「──郁、」
そう名を呼ぶと郁の顔は一層赤くなった。
鈍い郁でも堂上が何を求めているのかは気づいたらしい。
何も言い返さないのは郁にとって了承と同じ意味だ。
地べたに座り込む郁を立ち上がらせると、堂上は今来た道を引き返した。
最終更新:2008年09月24日 21:16