アルニーダ党は、2007年3月3日に結成され、2009年3月3日に解散した政党。党首の名称は
総裁。右派
アルニーダ主義。
概要
党史
立党
当時信仰を集めていた
巨匠を初代総裁に据え、創始者二名は共に
副総裁の地位に留まった。しかし、実権は副総裁にあり、副総裁二名によって運営されて
いた。
結成直後に
南知帝国が建国され、その皇帝である
アグァータが党員であったため、事実上南知帝国はアルニーダ党の支配下となった。
この頃は反共・保守主義を軸とする
アルニーダ主義を明言しており、政党としての側面も大きかった。そのため、自らが入れられたことに抵抗感を示す者もいた。
サイト開設
サイト開設後、サイト運営が党の活動の中心となり、世界征服はほとんど謳われなくなった。
また、巨匠が名誉総裁となり、ひび太が第二代総裁に就任。副総裁ポストを廃止し、Rikが幹事長に就任。
巨匠離党
既に宇宙に満ちるフォースと一体化し実体がなくなっていた巨匠を党に留めるべきではないという意見が大多数を占め、2007年9月26日一杯をもって名誉総裁
巨匠を除名。
その後巨匠はアルニーダ党及びアルニーダ党員統合の象徴とされる(党則制定後)。
党則制定
党則が制定され、最高機関として総裁・幹事長及び両者が特別に認めた党員(
アルニーダマスター)からなる
アルニーダ評議会を設置。
この制度下では、
つぶやき強制法などが成立し、一部の党員が激しく弾圧されたが、一方で
党勢拡大政策が実施され党員の数が増加し、立党以来の六
名を幹部として特別視するようになった。
分裂
2008年2月23日、些細な事から総裁ひび太と幹事長Rikが対立し、分裂に至った。
ひび太の離党に伴い、Rikが第三代総裁に就任。幹事長には
Keithが就いた。
統合
総裁Rikがヴォルデユート新党代表
ヴォルデ勇人と党首会談を行い、七里ガ浜帝国打倒のための共闘を再確認、立党一周年となる2008年3月3日に
統合しアルニーダ党再結成。
第四代総裁にひび太が就き、副総裁ポストを再設置してRikが就任。
党則を改正し、幹部全員を評議員としたが、審議の円滑化の名目で従来の評議会と同じ構成の
アルニーダ元老院が設立された。争乱の反省を踏まえ、分裂を
防止するために党員や評議員に大幅な権利(抵抗権)を認めたが、それも文言のトリックであり、
事実上総裁・副総裁が全権限を掌握していた。その仕組みは以下
のとおりである。
- 元老院から法案を評議会に提出した場合、元老は全員既に賛成したと見なされるため、元老にもう1人任命しておけば既に半数の3名を得ることができる。
票が半数で割れた場合は総裁に裁断が委ねられていたので、元老院の意思が評議会の意思となる。また、元老院では総裁・副総裁以外の{元老が欠席してい
ても案件の可決が可能}であるため、結果的にはもう1人の元老の賛成は不要。その結果、総裁・副総裁の合意がある法案は必ず評議会を通過できる仕組みに
なっていた。
- 総裁と副総裁からなる元老院人事委員会に幹部の役職任命・罷免権があったため、反発した者に容易に制裁を加える事が可能だった。
- 権利保障の一環として党員投票制度が党則に明記されたが、実施条件が「元老院が発議した場合」または「評議員4名の連署による要請」となっており、
評議員が6名だったため、元老院で総裁・副総裁以外にもう1人元老を確保している限り、元老院に不利な状況で党員投票が行われる事は有り得なかった。
この制度下では、急激な党勢拡大政策が推し進められ、他校にも党員を確保。
政変
1週間の任期を満了したカダヒーが辞任したため、再びひび太が第六代総裁に就任。
また、この時期には唯一の党則違反である「幹部の増員」が発生したが、党則が部分修正され追認された。
終盤では
党友制度の導入によりアルニーダの範囲が広がった。
解散
2009年3月2日、ついにアルニーダ党は七里ガ浜帝国を滅亡に追いやることに成功。
立党二周年となる2009年3月3日にはアルニーダ党を解散。
同時に巨匠を皇帝に据えた
アルニーダ帝国を建国し更なる規模拡大を図った。
政策
アルニーダ党の政策は、もっぱら世界征服・七里ガ浜帝国滅亡・瀬川さん排除を目的としたものであった。
ひび太とRikによる完全なる独裁体制が敷かれ、攻撃的性格が強く、対外制裁・党内制裁は基本的に理不尽。
特にやまもる。は、つぶやき強制法などにより一時期激しく弾圧され、人権は全く認められなかった。
世界征服については、当初は南知帝国国防軍による他国侵略によって成し遂げる計画であったが、サイト開設以降ほとんど議論の対象にもならなかった。
ちなみに、現在の
アルニーダは、
人心を侵略する事により最終的に世界を征服するとしている。