アルニーダ史

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アルニーダ史 - (2009/10/09 (金) 14:38:50) のソース

このページでは、アルニーダの歴史を掲載する。

*起源
アルニーダの初期のメンバー構成は、自然発生的に形成されたものだが、彼らが所謂“アルニーダ的な”行動を取り始めたのは2007年1月の[[第一次鼠屋敷遠征]]以来だといわれる。この遠征以来アルニーダは急激に団結を強め、[[アルニーダクオリティー]]を発揮してきた。 

初期のアルニーダは世界征服と同時に[[七里ガ浜帝国]]や[[瀬川さん]]の打倒をその活動目的としており、それによって団結したという側面もある。 

「アルニーダ」という言葉そのものは、新言語開発運動によって生まれた。これは、当時事実上既に形成されていたアルニーダの間でのみ通じる言語を作り出してしまおうという試みである。 

その新言語の単語の中で、現在進行の助動詞が&bold(){aru}、過去の助動詞が&bold(){nida}になったことから過去進行の助動詞として&bold(){arunida}が生まれた。新言語の名称を決める際に、この&bold(){arunida}の響きが好評だったために[[アルニーダ語]]となったのである。
(アルニーダ語は色々な言語の単語を組み合わせて作られたものであり、aruは中国人の訛りに由来し、nidaは朝鮮語に由来している。)

*政党時代
**立党~連邦構想
新言語開発運動の中心となっていたひび太とRikにより七里ガ浜帝国打倒及び瀬川さん排除のための政策集団としての&bold(){アルニーダ党}の設立が計画され、2007年3月3日に当時事実上のアルニーダを形成していた[[やまもる。]]、[[Keith]]、[[カダヒー]]、[[ジャバー岡田]]を強制的に加えて、アルニーダ党が立党された([[立党宣言]])。

当時信仰を集めていた[[巨匠]]を初代総裁に据え、創始者二名は共に[[副総裁]]の地位に留まったが、実権は副総裁にあり、副総裁二名によって運営されて
いた。後に長く続いた&bold(){二頭体制}の始まりである。

結成直後には[[南知帝国]]が建国され、その皇帝である[[アグァータ>Keith]]が党員であったため、事実上アルニーダ党の支配下となった。

世界征服遂行のため南知帝国国防軍と共同で[[バナナ兵器]]を開発・運用し、[[アルニーダ万国全図]]を製作して[[アルニーダ連邦構想]]を提唱。

**サイト開設~第二代総裁誕生
2007年8月3日に携帯サイト[[Arunida mobile]]を開設すると、党の知名度が急激に上昇。

サイト開設後、サイト運営が党活動の中心となり、世界征服はほとんど謳われなくなった。

また、巨匠が名誉総裁となり、ひび太が第二代総裁に就任。副総裁ポストを廃止し、Rikが幹事長に就任。

**巨匠離党
既に宇宙に満ちるフォースと一体化し実体がなくなっていた巨匠を党に留めるべきではないという意見が大多数を占め、2007年9月26日一杯をもって名誉総裁巨匠を除名。

**党則制定
党則が制定され、最高機関として総裁・幹事長及び両者が特別に認めた党員([[アルニーダマスター]])からなる[[アルニーダ評議会]]を設置し、評議会による事実上の独裁体制を明記。

離党した巨匠は&bold(){アルニーダ党及びアルニーダ党員統合の象徴}とされた。

この制度下では、[[つぶやき強制法]]などが成立し、一部の党員が激しく弾圧された。

**党員増加
2007年12月、&bold(){党勢拡大政策}が開始され党員数が増加し、立党以来の六名を幹部として特別視するようになった。

**分裂・ヴォルデユート新党との対立
2008年2月23日、些細な事から総裁ひび太と幹事長Rikが対立し、分裂に至った。

結果、ひび太は離党しヴォルデ勇人と改名、[[ヴォルデユート新党]]を結成して代表に就任。

ひび太の離党に伴い、Rikが第三代総裁に就任。幹事長には[[Keith]]が就いた。

その後、アルニーダ党は[[ヴォルデユート新党]]と激しく対立。

**統合~他校生入党
アルニーダの分裂を好機と捉えて攻勢に転じた七里ガ浜帝国によって共倒れとなることを恐れた総裁Rikがヴォルデユート新党代表ヴォルデ勇人と党首会談を行い、七里ガ浜帝国打倒のための共闘を再確認。

立党一周年となる2008年3月3日に統合しアルニーダ党再結成。

第四代総裁にひび太が就き、副総裁ポストを再設してRikが就任。

党則を改正し、幹部全員を評議員としたが、審議の円滑化の名目で従来の評議会と同じ構成の[[アルニーダ元老院]]が設立された。争乱の反省を踏まえ、分裂を防止するために党員や評議員に見かけ上大きな権利(抵抗権)を認めたが、以下の仕組みによって&bold(){事実上総裁・副総裁が全権を掌握}していた。

-元老院から法案を評議会に提出した場合、[[元老]]は全員既に賛成したと見なされるため、元老にもう1人任命しておけば既に半数の3名を得ることができる。票が半数で割れた場合は総裁に裁断が委ねられていたので、&bold(){元老院の意思が評議会の意思となる}。また、元老院では総裁・副総裁以外の元老が欠席していても案件の可決が可能であるため、結果的にはもう1人の元老の賛成は不要となる。その結果、&bold(){総裁・副総裁が合意済みの事案は必ず評議会を通過できる}仕組みになっていた。

-権利保障の一環として&bold(){党員投票制度}が党則に明記されたが、実施条件が「元老院が発議した場合」または「評議員4名の連署による要請」となっており、評議員が6名だったため、元老院で総裁・副総裁以外にもう1人元老を確保している限り、&bold(){元老院に不利な状況で党員投票が行われる事は有り得なかった}。

この制度下では、急激な党勢拡大政策が推し進められ、他校にも党員を確保。

**政変
2008年10月、[[江ノ電ライダーTom事件]]の発生により臨時総裁選挙が行われ、カダヒーが第五代総裁に就任。しかし、ひび太が大御所ポストに就き院政を行った。

1週間の任期を満了したカダヒーが辞任したため、再びひび太が第六代総裁に就任。

その後、[[ダークコニチャンマンの乱]]、[[ギャルゲッチュの変]]、[[革小同事件]]などの重大事件が立て続けに発生、多数の死者が出た。

また、この時期には唯一の党則違反である「幹部の増員」が発生したが、党則が部分修正され追認された。

終盤では[[党友制度]]の導入によりアルニーダの範囲が広がった。

**解散
2009年3月2日、ついにアルニーダ党は七里ガ浜帝国を滅亡に追いやることに成功。

立党二周年となる2009年3月3日には&bold(){アルニーダ党を解散}。

*帝政時代
**建国
ひび太がアルニーダ党解散と同時に[[アルニーダ帝国]]の建国を宣言、新たに制定された[[アルニーダ・カルタ>アルニーダ・カルタ(帝政)]](通称アルタ)により巨匠は皇帝となり、従来の[[総裁]]・[[副総裁]]は元老院議長・副議長(首相・副首相)となる。 

また、[[Arunida web]]の原型を作り上げ、更なる活動拡大を図った。

尚、それまでの党友にも党員と同様に国籍が与えられた。

**巨匠の死、帝国崩壊
2009年5月16日の夜、[[フォース暴発事件]]により巨匠が崩御すると、首都アルニーダングラードを中心に国内は混乱を極め、その後2時間で帝国は崩壊。

初代アルニーダ党総裁でもありアルニーダの心の拠り所であった巨匠の死は、世界に大きな衝撃を与えた。

*現代
**新体制発足
帝国崩壊の翌日0時、[[新アルニーダ・カルタ>アルニーダ・カルタ]]に基づく新体制アルニーダが発足。

新体制でアルニーダは、党でもなく国でもない「組織」と位置づけられたが、対外的には「サークル」を名乗るようになった。

政党時代、帝政時代アルニーダに所属していた外国人メンバーは、正規のメンバーからは外され、「友好関係にある個人」とされた。

新アルタでは&bold(){元老院第一主義}を明記し、総裁・副総裁の特権は元老院における拒否権の保持と[[執行機関]]役員人事に留まった。

**ガチニーダ構想
2009年6月、[[Dice]]が[[ガチニーダ構想]]を提唱し、Arunida webの大改革が行われ、本格サイトとなった。

アルニーダの対外活動の始まりである。

また、この改革に技術員として大きな力を貸した[[タテバ]]が正式に加入、後に広報部長補佐に就任。

**行政改革
2009年9月、[[諜報部]]・[[人事部]]・[[陰部]]の存在意義が問われ、何度も部署改変が行われた。

その結果、[[国際事業部]]が発足するなどしたが数日で廃止され、それまでの元老=部長の原則を廃し、執行機関の存在を明記するアルタ改正が行われた。

最終的に、[[総務部]]・[[企画部]]・[[広報部]]・[[勘定方]]の四機関による分業体制が確立されたが、後に[[財務部]]が発足し勘定奉行はその外局とされた。

**Rikの辞任・副総裁選挙
2009年10月7日、Rikが突如「副総裁としての自分が求められていない」として副総裁辞任を表明。

同時に、元老院における総裁・副総裁の拒否権を撤廃し執行機関の役員人事権を総裁に一元化するアルタ改正が行われ、アルニーダ党結成以来長く続いた創始者二名による&bold(){二頭体制}が終焉。

翌日、Rikが正式に辞任し元老院で初の副総裁選挙を実施。結果、やまもる。が第二代副総裁に選出された。

政党時代より、副総裁ポストがあった時は一貫してその任を務めていたRikの辞任に、元老からは嘆声があがった。
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