〜ミストラルシティ中央病院〜
凍えた指先にもようやく暖かさが宿ってきた。おもたげに目を開き、十也は静かに体を起こした。ベッドの側では結利が寝息を立てている。
どうやらここは病院で。どうしてここにいるのか、曖昧な記憶を辿ってしばらく、突然雪山にワープした理解し難い事実にたどり着く。だが、そんなことが起こるだろうか。まだ脳が混乱しているのかもしれない。
結局のところさっぱりわからないままに、結利を起こさないよう気をつけながら、十也はベッドから抜け病室を後にした。
もう夜中なのだろう。院内は静まり返っている。十也が立てる足音だけが反響する廊下の先に、一箇所、光が漏れる部屋があった。
十也「誰かいるのか?それにしても黄色や青、赤い光がギラギラとして何の灯りだ?」
十也はそっと扉に手をかけ、少しだけ隙間を開けた。
その瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、部屋の奥で放たれるまるで万華鏡のような光の乱舞だった。光の源は部屋の中央に置かれた巨大なゲーミングPC。そのモニターには、複雑なプログラムコードと幾何学的な図形が瞬く間に明転表示され、絶えず虹色の光が部屋全体を照らし出していた。
その傍らには、白い白衣を着た医師が立っている。名札には「脳外科医 久遠 魂(くおん こん)」と記されている。
久遠は医者というにはそぐわない、ヘッドセットをつけ、コントローラーを両手に持ち、真剣な表情でモニターを凝視している。彼の足元には、ふかふかの茶色い毛並みをした、これまた病院には似つかわしくないパグが一匹座り、まるで主人の指示を待っているかのように久遠の顔を見上げていた。
そして、部屋の隅にはもう一人、ベッドに横たわる患者の姿があった。その顔には酸素マスクが付けられている。この病院の患者だろうか。
十也は目を丸くした。さてこの光景はなんだろう。久遠は今から一体何をするつもりなのだろうか?十也の知る医療行為とは全く違う、非現実的な光景だ。パグはただのペットにしてはどこか特別なオーラを放っている。その首元にはなぜか「ERROR」と書かれたタグがぶら下がっている。
久遠が深く息を吸い込むと、パグがその場でパッと消え、青い光の粒子となって久遠の体の周りを漂い始めた。同時に久遠の表情が険しくなり、まるで痛みに耐えているかのように額に汗がにじむ。
十也「ただの手術ではなさそうだな……」
久遠がしていることが、ただのゲームでもなければ、単なる医療行為でもないことを直感的に悟った。それは久遠とあの特別なパグが患者の命を救うために行う、久遠にしかできない特別な術式なのだと。
久遠が患者の頭部に手をかざすと青い光の粒子がその部位に集まっていく。
久遠「始めるぞ・・・脳力怪放(ブレイン・ダイブ)!」
光の粒子となったバグパグが、久遠の指先から放たれ、患者の頭部へと吸い込まれていく。その過程はまるで、広大な宇宙空間を駆ける光の旅のようだった。バグパグは光の通路を滑るようにして、脳の複雑な迷路へと飛び込んでいった。
続いて久遠は、ゲーミングPCのモニターに映し出された患者の脳内を、まるで地図を読み解くかのように正確に把握する。PCが表示するゲームウィンドウはバグパグの視界と共有されており、今まさにバグパグが病巣に向かって進んでいる様子が見て取れる。
久遠はヘッドセットの向こうにいるバグパグに指示を送り込む。
久遠「バグパグ、行くぞ。ルートは左側の側頭葉から、病巣のある海馬へ。ウイルスと腫瘍のダブルアタックだ。気を抜くなよ」
モニターにはバグパグの視点から見た脳内の光景が映し出されている。神経細胞のネットワークはまるで銀河のように輝いていた。
〜〜
久遠の能力「脳力怪放」。患者の体内に直接入り込む能力だ。内部から直接患部に治療を行うことができるため、手術の成功率は一般的な外科手術に比べて格段に高い。
能力が消えた安寧世界でも「脳力怪放」がなぜ使えるのか。この時点では、久遠自身にもよくわかっていなかった。(のちにこれは召喚の一種であることが判明する。今は亡き同居犬の異世界同位体である召喚獣バグパグがもたらした特殊な力なのだ)
〜〜
久遠のヘッドセットから、バグパグの声が響く。
バグパグ「久遠!こいつら、まるで増殖する腫瘍そのものだわん!」
バグパグが脳の奥へとダイブすると、そこはすでに赤と黒の侵食によって荒れ果てていた。神経細胞のネットワークは分断され、情報伝達が途絶している。その侵食の源には、異様な姿の鼠がいた。病魔ラットートだ。
ラットートは、正常な細胞を次々と汚染して腫瘍化し、さらに次々とグロテスクな怪人を産み出している。がん細胞が変異した怪人、クレプスだ。クレプスは巨大な両腕を振りかざしバグパグへと襲いかかってきた。
久遠「バグパグ、白血球フォームだ!」
久遠の指示で、バグパグの体が青い光を放ち、白色の手術着をまとったフォームへと変身する。患者の防衛機能を拝借することで、並大抵の病原体を駆除することができるのだが、次から次へと現れるクレプスの数に圧倒されていく。
バグパグ「くっ、キリがないわん!」
久遠は歯噛みした。このままでは患者の命が持たない。その時、扉が勢いよく開き、十也が部屋に駆け込んできた。
十也「だ・・・大丈夫か?何が起きているかわからないけど、苦戦してるんだな!?」
十也は久遠のただならぬ様子に、いてもたってもいられずに部屋へと飛び込んだのだ。ヘッドセットを外した久遠は、飛び込んだきた彼を見つめてハッとする。
久遠「天十也……!」
久遠は驚きと同時に安堵の表情を浮かべた。そうだ、ここには今、十也がいる。十也がこの病院に運び込まれた時、久遠が直接処置を施した。その際に、十也の尋常ならざる生体反応に注目していたのだ。いつかこの力が役立つ時が来るだろうと直感が走り、そして、今がまさにその時だった。
久遠はモニターを指差す。そこには、圧倒的な数のクレプスに囲まれ、必死に戦うバグパグの姿が映っていた。
久遠「見ての通りだ。患者の脳内がウイルスと腫瘍に侵食されている。バグパグ一人では対処しきれない……」
十也はモニターの画面を食い入るように見つめた。そこには、久遠が言っていた「施術」の真実が映し出されていた。
十也「脳内に入り込むことができるのか!」
久遠「ああ。っとまずい!患者の意識レベルが下がっている!時間が無い!」
十也「俺に、何かできることはないか?」
十也のその反応の高さに久遠の顔に希望の光が灯る。真っ直ぐに見つめる十也の目を見て、確信する。彼なら患者を助けることができると!
久遠「ある!君の力が必要なんだ!十也、君にブレインダイブを頼みたい!」
久遠の言葉に驚きはしたが、十也がためらうことはなかった。久遠の表情、そしてモニターに映し出されたバグパグの苦戦する姿が、事態の深刻さを物語っていたからだ。まだ状況をすべて理解しているわけではない。しかし、目の前の久遠が患者の命を救うために戦っていることは理解できた。
十也「分かった!バグパグ、お前のところに行く!」
久遠「説明は“向こう”にいってから通信する!ではいくぞ!脳力怪放!」
次の瞬間、患者の脳内に、もう一つの光がダイブしてきた。光の中から現れたのは、小さな体の十也だ。
十也「バグパグ、来たぜ!」
十也は怪我の療養中で力が10分の1に落ちている。しかし、久遠のブレインダイブによって体が100分の1のサイズになったことで、本来の力が10倍に凝縮されて、結果として脳内では100%の力を取り戻していた。
十也「さあ始めますか!」
久遠「十也は合図があったらそのまま敵軍を薙ぎ倒してくれ!バグパグ、フォームチェンジの準備を!・・・いまだ!」
久遠の指示が十也の耳に届く。バグパグと十也は互いに視線を交わした。言葉はなくとも、彼らはすでに連携の形を理解していた。
十也は、力を蓄えた拳を構え、ラットートとクレプスの群れの中へと突っ込んでいく。ラットートはクレプスの影を縫い素早く走り回り、細胞の隙間や神経線維の影に隠れては、隙を突いて十也に噛みついてくる。クレプスもまた、その数を増やし、巨大な鎌を振り回して十也とバグパグを同時に襲う。
十也は巧みに敵の攻撃をいなし、バグパグはナチュラルキラーフォームに変身してクレプスの注意を引く。鋭い爪でクレプスが薙ぎ払っていく・・・だがまだまだ数が多い。
バグパグがクレプスと激しい攻防を繰り広げる間に、十也は周囲を見渡した。
すると、正常な細胞が赤黒く変色し見る見るうちにグロテスクな新たなクレプスへと変異していく。
血管が破裂し赤い血液が辺りに飛び散った。久遠はモニター越しに悲痛な声をあげる。
久遠「なんてことだ…!細胞の変異が早すぎる!」
圧倒的な戦力差だ。さてどうすれば・・・その時、十也の目が、まるで木の枝のように伸びる一本の棒状の組織を捉えた。
十也「久遠!これ、使っても大丈夫か!?」
十也の声に、久遠はモニター越しに答える。
久遠「ああ、筋細胞が硬質化した部位だな・・・それだ!細胞壁を盾に、その組織を武器として使え!」
十也は細胞壁を盾として身を守りながら、棒状の組織を掴む。十也の力が体細胞組織に流れ込み、まるで十也の意思を読み取ったかのように、その組織片は鋭利な槍へと変貌した。十也が得意とする武器、槍の完成である。
十也は変貌した槍を構え、ラットートへと突進する。十也とバグパグの連携は完璧だった。バグパグがクレプスを足止めしている隙に、十也は素早くラットートに槍を突き刺し動きを封じていく。
やがて細胞の奥深くにラットートを追い詰めた。
禍々しいオーラを放つ、巨大な鼠の化け物だ。
十也は槍を構え、慎重に間合いを詰めていく。
ラットートは鋭い牙を剥き出しにして、十也に飛びかかった。十也は身をひねり、その攻撃をかわす。次に繰り出された爪による攻撃を、槍で受け流し、がら空きになった胴体に肘鉄を食らわせる。
ラットートはよろめき、十也から距離を取ろうと後ろに飛び退いた。だが、十也はそれを許さない。間髪入れずに踏み込み、回し蹴りを放つ。蹴りはラットートの顔面を捉え、その巨体を大きく揺らした。
十也は再び槍を構え、狙いを定める。
ラットートは弱々しい鳴き声と共に、最後の力を振り絞って十也に襲いかかった。だが、その動きはすでに十也の目には止まって見えた。
十也「くらえ!細胞槍!セル・ブレオナク!」
十也は槍の先端に全エネルギーを集中させ、渾身の一撃を放った。槍は光の軌跡を描き巨大な親玉の体を貫通する。十也の一撃により、その巨大な親玉を打ち砕かれた。
同時にクレプスの増殖は止まり、脳内の侵食は急速に収束していく。
十也「よし!やった!」
最後の仕上げとばかりに、バグパグはマイクロファージフォームに変身する。掃除機のようなアタッチメントを手に、小さなラットートのウイルスを一気に吸い込んでいく。
久遠と十也、そしてバグパグの連携は完璧だった。
久遠「患者の意識レベルが安定した!」
こうして患者は一命を取り留めた。その後、久遠の指示に従って、十也とバグパグは現実世界への道を進むのであった。
〜〜
久遠「ありがとう、十也。お前がいなければ危なかった」
久遠は心から感謝を告げた。十也も、バグパグも嬉しそうに笑っている。
と、喜びも束の間、久遠のスマートフォンに一本の連絡が入る。
久遠「……!別の患者が複数人も、同じ症状を発症しただと!?」
十也は顔をしかめる。
十也「まさか、あの鼠は……」
久遠は頷く。
久遠「ああ、どうやら感染型の病魔だったようだ」
久遠と十也は顔を見合わせる。困惑の色を隠せない。
そして、久遠は病魔が出現する不自然なタイミングが物語る可能性に気づいていた。
この強力な病魔が自然に生まれたものではない、何者かの手によって人為的に感染拡大が引き起こされているのだ。
しかもそれは院内の限られた空間の中で起きている。
久遠「まさかこの病院にいる誰かの仕業……一体誰が?」
〜〜
同じ頃、病院の屋上庭園。
夜風に吹かれながら佇む一人の女性がいた。
すらりと伸びた背筋、結い上げた髪が月明かりに照らされている。
彼女の名前は古津流ルナ。
この病院の敏腕医師の一人として有名だ。
手に持ったスマートフォンには、**「病魔退散▶︎新患転移」**というメッセージが表示されている。至急を知らせる内容だろうが、彼女の視線は、遠くの夜景に向けられたままだ。
その背後から、一人の看護師が駆け寄ってくる。
看護師「古津流先生!緊急事態です!処置をお願いします!」
そこでようやく彼女は静かに振り返った。
闇世に浮かぶその笑顔は、まるで三日月のように細く長いものだった。
SIDE:E(ERRORな世界に一人と一匹) Fin
最終更新:2025年09月20日 17:07