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MT*No.49-特集 フィクション・サムライ 幸田露伴「平将門」 - (2009/07/03 (金) 04:41:28) の編集履歴(バックアップ)


2009.6.27 No.49

特集 フィクション・サムライ(五)
幸田露伴 平将門
月末最終号:無料  p.326 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(128項目)p.700

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は自由です。
(c) Copyright is public domain.

 千鍾の酒も少なく、一句の言も多いということがある。受授が情を異にし?啄(そったく)が機に違えば、何もかもおもしろくなくって、それもこれもまずいことになる。だからたいていの事はだまっているに越したことはない、たいていの文は書かぬが優っている。またたいていの事は聴かぬがよい、たいていの書は読まぬがよい。何も申(さる)の歳だからとて、視ざる聴かざる言わざるを尚ぶわけではないが、嚢(のう)を括(くく)れば咎(とが)なしというのは古からの通り文句である。酒を飲んで酒に飲まれるということをどこかのおじさんに教えられたことがあるが、書を読んで書に読まれるなどは、酒に飲まれたよりもつまらない話だ。人を飲むほどの酒はイヤにアルコールの強いやつで、人を読むほどの書も性(たち)がよろしくないのだろう。そんなものを書いてもらわなくてもよいから、そんなものを読んでやらなくてもよい理屈で、「一枚ぬげば肩がはらない」世をあっさりと春風の中で遊んで暮らせるものを、くだらない文字というものに交渉をもって、書いたり読んだり読ませたり、あげくの果てには読まれたりして、それが人文進歩の道程の、何のとは、はてありがたいことではあるが、どうもたいていの書は読まぬがよい、たいていの文は書かぬがよい。酒をつくらず酒飲まずなら、「下戸やすらかに睡る春の夜」で、天下太平、愚痴無知の尼入道となって、あかつきのむく起きに南無阿弥陀仏でもはき出した方がシャレているらしい。

49.rm
(朗読:RealMedia 形式 336KB、2'42'')

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週刊ミルクティー*第49号 ※ ダウンロードを開始します。
(880KB)

千鍾の酒 せんしょう 「鍾」は容量の単位。多くの量。
?啄 そったく 「?」は鶏の卵がかえるとき、殻の中でヒナがつつく音。「啄」は母鶏が外から殻をつつき破ること。(1) ?啄同時:禅宗で師家と弟子とのはたらきが合致すること。(2) 逃したらまたと得がたい好機。

幸田露伴 こうだ ろはん
1867-1947(慶応3.7.23-昭和22.7.30)
本名、成行(しげゆき)。江戸(現東京都)下谷生れ。小説家。別号には、蝸牛庵、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など。『風流仏』で評価され、「五重塔」「運命」などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。第1回文化勲章受章。娘の文は随筆家。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑』


底本

http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card3199.html
底本:「筑摩現代文学大系3 幸田露伴 樋口一葉集」筑摩書房
   1978(昭和53)年1月15日初版第1刷発行
   1984(昭和59)年10月1日初版第3刷発行
NDC 分類:213 289 914


2009.7.3:公開
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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