「MT*2_29-生物の歴史(一) 石川千代松」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
定価:200円(税込) | p.153 / *99 出版 |
オリジナル版 | ミルクティー*現代表記版 |
生物の歴史(一) | 生物の歴史(一) |
私《わたし》が二十餘年前《にじゆうよねんぜん》アメリカから大西洋《たいせいよう》を越《こ》えてイタリーへ航海《こうかい》した時《とき》、船中《せんちゆう》に信仰《しんこう》の深《ふか》いお婆《ばあ》さん達《たち》がゐて、ある晩《ばん》、地中海《ちちゆうかい》でたくさん動物《どうぶつ》が光《ひか》るのを見《み》て、一人《ひとり》の婆《ばあ》さんが、「どくたー、あの光《ひか》るものはなんですか」といはれたから、私《わたし》はそれが動物《どうぶつ》であることを説明《せつめい》しますと、また「あれはなんのために光《ひか》るのですか」といひました。私《わたし》は何氣《なにげ》なしに、それは或《あるひ》は他《ほか》の動物《どうぶつ》を驚《おどろ》かして自分《じぶん》の體《からだ》の安全《あんぜん》を計《はか》るものもあるだらうし、またはあれで仲間《なかま》を呼《よ》ぶものもあるだらう、といつたところ、「どくたー、あれは神樣《かみさま》がわれ/\人間《にんげん》の眼《め》を慰《なぐさ》めるために造《つく》られたのを知《し》りませんか」といはれた。私《わたし》は默《だま》つてゐればよかつたが、「あなたはそんなことをいはれても、あれ等《ら》下等《かとう》の動物《どうぶつ》がこの地中海《ちちゆうかい》で光《ひか》つてゐるのは、人間《にんげん》がこの世《よ》に出《で》て來《く[#「く」は底本では「き」]》る何萬年前《なんまんねんまえ》からのことだかわからない、何《なに》も人間《にんげん》もゐないのに、神樣《かみさま》が人間《にんげん》の眼《め》を慰《なぐさ》むるためにそんなに早《はや》くからかれ等《ら》を造《つく》らないでもよろしいではないか」といつたところ、お婆《ばあ》さん達《たち》は大《おほ》いに立腹《りつぷく》して、まあ、前《まへ》に坐《すわ》れといひ、甲板《かんぱん》の上《うへ》で四方《しほう》八方《はつぽう》から、ぺちゃくちゃ喋《しやべ》り立《た》てられたのでは實《じつ》に閉口《へいこう》した。 | 私が二十余年前、アメリカから大西洋をこえてイタリアへ航海したとき、船中に信仰の深いおばあさんたちがいて、ある晩、地中海でたくさん動物が光るのを見て、一人のばあさんが、「ドクター、あの光るものはなんですか?」といわれたから、私はそれが動物であることを説明しますと、また「あれはなんのために光るのですか?」といいました。私はなにげなしに、それはあるいは他の動物をおどろかして自分の体の安全をはかるものもあるだろうし、またはあれで仲間を呼ぶものもあるだろう、といったところ、「ドクター、あれは神様がわれわれ人間の眼をなぐさめるために造られたのを知りませんか?」といわれた。私はだまっていればよかったが、「あなたはそんなことをいわれても、あれら下等の動物がこの地中海で光っているのは、人間がこの世に出てくる何万年前からのことだかわからない、なにも人間もいないのに、神様が人間の眼をなぐさむるためにそんなに早くからかれらを造らないでもよろしいではないか」といったところ、おばあさんたちは大いに立腹して、まあ、前に座れといい、甲板の上で四方八方から、ペチャクチャしゃべり立てられたのでは実に閉口した。 |