「MT*2_31-生物の歴史(三) 石川千代松」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
定価:200円(税込) | p.149 / *99 出版 |
オリジナル版 | ミルクティー*現代表記版 |
生物の歴史(三) | 生物の歴史(三) |
モーゼの説が間違つてゐるのか、または自分が見たものが間違つてゐるのか。もし神が造られた動植物が萬古不變のものであるならば、かようにたくさん違つた動植物が化石となつて違つた地層から出て來るのは不思議ではあるまいか。これを説明するのにキウビエーはかう考へた。神が生物を造られたのは一回でなくて、數回または數十回であつたらう。でモーゼが聖書に書いたものはその一番終りのものである。するとノアの洪水の時に神樣が一番終りに造られた生物を殺されたので、かようなことが前に幾度もあつたのである。即ち神は初めに生物を造つて見られたが、それが増殖して來た時なにか御氣に召さなかつたので、これ等を總て殺し、第二回めに又造られたが、それもまたある時の後に殺してしまひ、第三回、第四、五、六回といふように生物を造られては又殺されたのである。であるから今日の生物はノアの洪水の時箱船の内に入れられて助かつたものゝ子孫である。これがキウビエーの破毀説といふものである。これは慈悲深い神のなされたことゝしては誠に驚くべき殘酷なようであるが、キウビエーとその一派の人達はこれを信じたのである。 | モーゼの説が間違っているのか、または自分が見たものが間違っているのか。もし、神がつくられた動植物が万古不変のものであるならば、かようにたくさん違った動植物が化石となって違った地層から出てくるのは不思議ではあるまいか。これを説明するのに、キュビエーはこう考えた。神が生物をつくられたのは一回でなくて、数回または数十回であったろう。で、モーゼが聖書に書いたものは、その一番終わりのものである。すると、ノアの洪水のときに神様が一番終わりにつくられた生物を殺されたので、かようなことが前にいくどもあったのである。すなわち神は初めに生物をつくってみられたが、それが増殖してきたとき、なにかお気に召さなかったので、これらをすべて殺し、第二回めにまた造られたが、それもまたある時ののちに殺してしまい、第三回、第四、五、六回というように、生物をつくられてはまた、殺されたのである。であるから、今日の生物はノアの洪水のとき、箱船の内に入れられて助かったものの子孫である。これがキュビエーの破棄説というものである。これは慈悲深い神のなされたこととしては誠におどろくべき残酷なようであるが、キュビエーとその一派の人たちはこれを信じたのである。 |