【電子本を読んで、被災地を支援しよう! 一日一偽善!】
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
※ 寄付金額はチャリティー終了まで、随時公表いたします。
※ 義援金の用途に関しても極力、ウォッチしてお知らせします。
※ みなさまのPRがこのチャリティー支援の大きな力となります。もし可能でございましたら、Twitter やHP、ブログ等でご紹介いただけますと幸いです。
みなさまのご協力を、こころよりお願い申し上げます。(しだ)
M-Tea*3_39-キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子
2011.4.23 第三巻 第三九号
キュリー夫人
はるかな道
キュリー夫人の命の焔
宮本百合子
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
定価:200円 p.128 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(26項目)p.149
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。
飛び出せ! 週刊ヒポクりィー*
刻々、パリの危険がせまってきた。キュリー夫人は貴重な一グラムを、安全なボルドー市へ移すことにきめた。一グラムのラジウムとは、鉛のかぶせ蓋(ぶた)の中で細い管がいくつもたえず光っている、一つのたいへんに重い箱である。黒いアルパカの外套(がいとう)を着て、古びて形のくずれた丸いやわらかい旅行帽をかぶったマリアは、単身、その重い箱を持って満員の列車に乗りこんだ。客車の中は、敗戦の悲観論にみちあふれている。鉄道沿線の国道には、西へ西へと避難してゆく自動車の列がどこまでも続いている。しかし、キュリー夫人はあたりの動乱に断固として耳をかさず、憂いと堅忍との輝いている独特な灰色の眼で、日光をあびたフランス平野の景色をながめていた。(略)
けれどもX光線の設備に、なくてならない電気さえひかれていないような野戦病院へ殺到してくる負傷者たちを、どうしたらいいだろう。キュリー夫人は、あることを思いついた。フランス婦人協会の費用で光線治療車というものを作った。これはヨーロッパでもはじめての試みであった。普通の自動車にレントゲン装置と、モーターと結びついて動く発電機を取りつけたもので、この完全な移動X光線班は一九一四年八月から各病院をまわりはじめた。フランスの運命を好転させた歴史的な戦いであるマルヌの戦闘で、故国のために傷ついた人々は、パリへ後送されて、その移動班に助けられたのであった。
3_39.rm
宮本百合子 みやもと ゆりこ
1899-1951(明治32.2.13-昭和26.1.21)
小説家。旧姓、中条。東京生れ。日本女子大中退。顕治の妻。1927〜30年ソ連に滞在、帰国後プロレタリア作家同盟常任委員。32年から終戦までに3度検挙。戦後、民主主義文学運動の先頭に立つ。作「貧しき人々の群」「伸子」「二つの庭」「播州平野」「道標」など。
◇参照:Wikipedia
宮本百合子、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。
底本
年表
スリーパーズ日記
きいたとき → 聞いたとき
よみ → 読み
もった → 持った
ひと → 人
のったり → 載ったり
かいた → 書いた
拇指 → 親指
すき → 好き
おかれて → 置かれて
のべた → 述べた
「看護婦」「小使い女」はそのままとしました。「リンゴを三つ重ねたくらいの大きさしかない小使い女」って、いくらなんでも……「リンゴ箱」の誤植か。
赤坂憲雄『東西/南北考——いくつもの日本へ』(岩波新書、2000.11)読了。東北芸術工科大学の東北文化研究センター友の会に入っていたことがある。公開講座などで、たびたび赤坂さんのすがたを拝見したこともある。が、直接、話をかわしたことはない。
同大学院学長になったこと、福島県立博物館長を兼任したことまでは知っていたものの、本年一月をもって同大学を辞職していたことを今になって知る(『山形新聞』1月13日)。同センター刊行の雑誌『東北学』は極力読んでいたにもかかわらず知らなかった……。
異人《エトランゼ》・まれびと・来訪者、赤坂憲雄……ということだろうか。
四月三〇日、くもり時々雨。風も空気も冷たくない。湯たんぽもすっかり不要になる。倉津川に三羽のツバメ飛来。製本テープと表紙用の厚紙を買って、たまっていたルーズリーフを整理。
おまけ
omake.rm
(RealMedia 形式 1MB、3'16'')
2011.4.29:公開 八面玲瓏。
春夏秋冬、一日一偽善。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ: -