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MT*No.45-特集・フィクション・サムライ - (2009/06/24 (水) 13:04:09) のソース

*2009.6.20 No.48
特集・フィクション・サムライ(四)
折口信夫 幣束から旗さし物へ・ゴロツキの話
|COLOR(red):定価:200円(税込)| p.216 / *99 出版|
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(84項目)p.409

 さらに、この頃になって目立ってきた、もう一つの浮浪者があった。諸方の豪族の家々の子弟のうち、総領の土地をもらうことのできなかったもの、ないしは、戦争に負けて土地をうばわれたものなどが、諸国に新しい土地を求めようとして、彷徨した。これがまた、前の浮浪団体に混同した。道中の便宜を得るために、彼らの群に投じたというようなことがあったのだ。後世の「武士」は、じつは宛て字である。「ぶし」の語原はこれらの野ぶし・山ぶしにあるらしい。(略)
 彼らは、まず、人里離れた山奥に根拠をすえ、常には、海道を上り下りして、他の豪族たちの家々にとり入り、その臣下となり、土地をもらいなどしたのであったが、また中には、それらの豪族にとって替ったものなどもあった。
 彼らが、豪族にとり入った手段には種々あるが、一体に、彼らが道中したのは、武力で歩いたのではなく、宗教を持って歩いた。行法をもってした山伏である。(略)
 今日、一般が考えているところの、いわゆる武士道なるものは、だいたい、徳川氏の世になって概念化されたものである。徳川氏は、天下を取ると同時に、まず、儒教によって一般を陶冶(とうや)しようとした。すなわち、謀反・反抗をしてはならぬという、道徳的陶冶をなすべく、最初は、これを禅僧に謀ったのであった。山鹿素行などの一流の士道なるものは、その後にできたのである。
 武士道は、これを歴史的にながめるのには、二つに分けて考えねばならぬ。素行以後のものは、士道であって、それ以前のものは、前にも言うた野ぶし・山ぶしに系統を持つ、ゴロツキ道徳である。すなわち、変幻きわまりなきもの、不安にして、美しく、きらびやかなるものを愛するのが、彼らの道徳であったのである。(略)
 
「ゴロツキの話」より
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(朗読:RealMedia 形式 492KB、3'57'')

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[[週刊ミルクティー*第48号>http://www.dl-market.com/product_info.php?products_id=32302]] ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 
(496KB) 

彷徨 ほうこう さまようこと。
陶冶 とうや (陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから)人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。
山鹿素行 やまが そこう 1622-1685 江戸時代前期の儒学者・兵学者。父は浪人の山鹿貞以。古学派の祖。陸奥国会津(福島県会津若松市)生まれ。林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲・北条氏長の下で兵学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑』


折口信夫 おりくち しのぶ
1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3)
大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。

◇参照:Wikipedia。


*底本
幣束から旗さし物へ
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/card18394.html
底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
初出:「土俗と伝説 第一巻第一・二号」
   1918(大正7)年8月、9月
NDC 分類:382

ごろつきの話
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/card18408.html
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「民俗芸術 第一巻第八・九号」
   1928(昭和3)年8、9月
NDC 分類:382
 
 
*2009.6.13 No.47
特集・フィクション・サムライ(三)
安藤正次 「侍」字訓義考・多賀祢考

|COLOR(red):定価:200円(税込)| p.131 / *99 出版|
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(41項目)p.119

『延喜式』の「大膳職式」を見ると「手束索餅(たづかむぎなわ)」というものがあって(略)索餅(さくべい)は一種の菓子で、『和名抄』には「索餅」の条に(略)索餅を「无岐奈波(ムキナハ)」と訓じている。手束索餅はその一種であるが(略)単にこれを「タツカ」と訓んでいるだけである。「タツカ」は、『万葉集』などに散見している「タツカユミ」(手束弓)「タツカヅエ」(手束杖)などの「タツカ」と同義で、手に握り持つ義であろう。すなわち手束索餅を「タツカ」というのは、手に握って作った索餅の義なのである。これと同様に「米餅」を「タガネ」というのも手で綰(たが)ねた米餅の義であると解すべきのであろう。常陸あたりで、掃き寄せの米を舂(つ)きまじえた餅や、糯(モチ)と粳(ウルチ)とを雑え舂いたものを「タガネ」といい、遠江で水で米粉を練ったものを於多賀祢というがごときは、たまたま「タガネ」という名が部分的のある特殊なものに結びついて残ったにすぎないので、いろいろのものを舂きまじえたということや、水で練ったものというようなことなどが、昔の「タガネ」という語に対する限定的要素となるべきものではないと思う。ちょうどそれは、京都あたりでは、稗(ヒエ)米の粉を水で練って鶏卵の大きさに握り堅めて神に供えるのを「シトギ」とよぶようになっている(国書刊行会本、伴信友全集『比古婆衣(ひこばえ)』の付説に見えた大沢清臣の文による。)けれども、後世の京都あたりの「シトギ」という語によってあらわされるものが、上代の「シトギ」とはかならずしも同一でないのと同様な関係と見るべきものである。
 
「多賀祢考」より
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(朗読:RealMedia 形式 344KB、2'46'')

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[[週刊ミルクティー*第47号>http://www.dl-market.com/product_info.php?products_id=31884]] ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 
(316KB) 

索餅 さくべい 唐菓子の一種。小麦粉と粉の米とを練って、縄の形にねじって油で揚げたもの。陰暦七月七日に瘧(おこり)よけのまじないとして内膳司から禁中に奉り、節会の時、晴れの御前に供した。むぎなわ。
シトギ 粢・。神前に供える餅の名。古くは米粉を清水でこねて長卵形としたものを称したが、後世は、糯米を蒸し、少しついて餅とし、楕円形にして供えた。しとぎ餅。
伴信友 ばん のぶとも 1773-1846 若狭国小浜藩士・山岸惟智の四男。国学者。博覧強記で古典の考証に優れていた。平田篤胤、橘守部、小山田与清とともに「天保の国学の四大人」。村田春門を介して本居宣長没後の門人となり、宣長の養子の本居大平に国学を学ぶ。
比古婆衣 ひこばえ 伴信友の著。随筆集。日本史・文学・語学の各分野にわたる考証の集録。20巻。弘化4(1847)から明治にかけて刊行。
大沢清臣 おおさわ きよおみ 1833-1892 国学者。神職・官吏。大和添下郡迹村生まれ。京都壬生家の雑掌となり、谷森善臣に国史をうけ、文久元年勅命により師に従って山稜踏査にあたる。龍田神社大宮司大講義・教部省権大録・宮内省御陵掛などを歴任。著『皇朝紀事文栞』など。(日本人名大事典)

◇参照:Wikipedia、『日本人名大事典』平凡社。


安藤正次 あんどう まさつぐ
1878-1952(明治11-昭和27)
国語学者。埼玉県生まれ。台北帝大総長・東洋大学大学院長・著「古代国語の研究」「古典と古語」「国語史序説」など。

◇参照:『広辞苑』。


*底本
※「うわづらをblogで」所収。
底本:『古典と古語』三省堂
    1935(昭和10)年6月

NDC 分類:812


*2009.6.6 No.46
特集・フィクション・サムライ(二)
斎藤茂吉
 愛国歌小観
 愛国百人一首に関連して
 愛国百人一首評釈
|COLOR(red):定価:200円(税込)| p.131 / *99 出版|
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(41項目)p.213

 天皇(おほきみ)に仕へまつれと我を生みし我がたらちねぞたふとかりける 佐久良東雄

 佐久良東雄(あずまお)は常陸の人、はじめ仏道を修め、ついで国学に転じ、東雄といった。後大阪に惟神(かんながら)舎を開いて国学を講じた。万延元年(一八六〇)桜田の変に関連し、江戸に送られ、獄中で死んだ。年五十。東雄は多くの歌を作って、家集に『薑園(きょうえん)歌集』がある。かつて佐佐木博士、東雄の歌を紹介したが、近時志士の歌としてさかんに研究せられている。
 母上が自分を生まれたのは、何のためでもない、ただ天皇に仕えたてまつれといって生まれたのである。それをおもえば自分の母上はなんという貴いかたであろう、というのである。
 幕末志士の尊王、尽忠の思想を歌にしたのはじつに多く、東雄の歌にもたくさんあるけれども、こういうことを端的にあらわしたものはない。生みの母に感謝し賛嘆するのは、直接天皇に直流し奉るところにこの歌の特色がある。皇国日本の母。その母に対する子の態度は、かくのごとくにして万邦に比類がないのである。
 
「愛国百人一首評釈」より
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(朗読:RealMedia 形式 292KB、2'20'')

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[[週刊ミルクティー*第46号>http://www.dl-market.com/product_info.php?products_id=31478]] ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 
(360KB) 


斎藤茂吉 さいとう もきち
1882-1953(明治15.5.14-昭和28.2.25)
山形県南村山郡金瓶村(現、上山市金瓶)出身、精神科医。守谷伝右衛門熊次郎の三男。親戚で浅草の医師の斎藤紀一の家に養子に入る。伊藤左千夫門下。大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。

◇参照:Wikipedia。


*底本
愛国歌小観
底本:『齋藤茂吉全集14』岩波書店
   1975(昭和50)年7月18日 発行
初出:雑誌『日本評論』1942(昭和17)年5月号
   単行本『小歌論』収録

愛国百人一首に関連して
底本:『齋藤茂吉全集14』岩波書店
   1975(昭和50)年7月18日 発行
初出:(前半)『東京日日新聞』1942(昭和17)年11月21日
   (後半)『東京朝日新聞』1942(昭和17)年11月21日
   単行本『小歌論』収録

愛国百人一首評釈
底本:『齋藤茂吉全集14』岩波書店
   1975(昭和50)年7月18日 発行
初出:『東京日日新聞』1942(昭和17)年11月22日以降

NDC 分類:911


*2009.5.30 No.45
特集・フィクション・サムライ(一)
森繁夫 幕末志士の歌
|COLOR(red):月末最終号:無料| p.95 / *99 出版|
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(52項目)p.311

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。
(c) Copyright is public domain.

 志士らが一貫共通の精神の置きどころは、まず皇室と国体の尊厳であった、世界における特殊日本の貴重さであった、彼らの信念はこの日本の直なる道を歩むにあった。

 皇神(すめかみ)の誓ひおきたる國なれば直しき道のいかで絶ゆべき   松陰
 磯城島(しきしま)の直なる道を横かきの蟹はいかでかふみも知るべき   東湖
 尊かる天日嗣(あまつひつぎ)の廣き道踏まで狹き道ゆくな武士   曙覧(あけみ)

直なる道はまた武士道であった。

 あづさ弓春の遊びのたはふれも踏な違へそ武士の道   東湖
 武士の道な忘れそ月雪や花に醉ひふす夢ばかりにも   綏猷
 武士の道し整ふものならば寢てもさめても何か憂へむ   斉昭
 武士の臣のをとこはかかる世になに床の上に老果ぬべき   玄瑞
 心あれや人の母たるいましらよかからむことは武士の常   松陰

武士道の一節には、名を惜(お)しんで生命を惜しまぬことが約束されてある、国君のために潔く散ることが本懐とされてある。

 大君のためには何か惜からむ薩摩の迫門に身は沈むとも   月照
 君がため何か惜しまむ武士のありなし雲に我を見なせば   玄瑞
 八隅知(やすみしる)君の國だに安からば身を捨つるこそ賤が本意なれ   松陰
 命だに惜しからなくに惜むべきものあらめやも皇のためには   東雄(あずまお)
 魁(さきが)けてまた魁けむ死出の山迷ひはせまじ皇の道   八郎

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(朗読:RealMedia 形式 412KB、3'19'')

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[[週刊ミルクティー*第45号>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=114&file=milk_tea_45.zip]] ※ ダウンロードを開始します。 
(424KB) 


森繁夫 もり しげお
1882-1950(明治15-昭和25)

◇参照:NACSIS Webcat。


*底本
※ 所収「うわづらを blog で」
底本:『人物百談』三宅書店
   1943(昭和18)年発行
NDC 分類:911


*人物一覧

戸田忠敝 とだ 〓 1804-1855 忠太夫か。名は忠敞。水戸藩。
藤田東湖 ふじた とうこ 1806-1855 水戸。
島津斉彬 しまづ なりあきら 1809-1858 薩摩。
月照 げっしょう 1813-1858 僧侶。大坂。
三条実万 さんじょう さねつむ 1802-1859 公卿。
小林良典 こばやし よしすけ 1808-1859 地下人。鷹司家の諸大夫。
長岡監物 ながおか けんもつ 1812-1859 熊本藩家老。
吉田松陰 よしだ しょういん 1830-1859 長州。
徳川斉昭 とくがわ なりあき 1800-1860 常陸水戸。
佐久良東雄 さくら あずまお 1811-1860 常陸国新治郡浦須村(現・茨城県石岡市浦須)。
蓮田市五郎 はすだ いちごろう 1832-1861 水戸藩。一五郎か?
田中綏猷 たなか すいゆう? 1815-1862 河内介。中山家諸大夫。但馬国出石郡神美村香住(兵庫県)。
藤本鉄石 ふじもと てっせき 1816-1863 備前国御野郡東川原村(岡山県岡山市)生まれ。
清川八郎 きよかわ はちろう 1830-1863 出羽国庄内藩領清川村(現・山形県東田川郡庄内町)。
児島草臣 こじま 〓 1838-1863 強介。下野(栃木県)宇都宮。
姉小路公知 あねがこうじ きんとも 1839-1863 公家。
菊池民子 きくち たみこ 1794-1864 歌人。下野国宇都宮。
宍戸真澂 ししど まさもと 1804-1864 長門萩生まれ。
佐久間象山 さくま しょうざん/ぞうざん 1811-1864 信濃松代。
伴林光平 ともばやし/ばんばやし みつひら 1813-1864 河内国志紀郡林村(現:藤井寺市林)浄土真宗尊光寺に生まれる。
真木保臣 まき やすおみ 1813-1864 久留米。
是枝貞至 これえだ 〓 1817-1864 薩摩谷山郷。
平野国臣 ひらの くにおみ 1828-1864 福岡。
錦小路頼徳 にしきのこうじ よりのり 1835-1864 公家。七卿落ちの一人。
久坂玄瑞 くさか げんずい 1840-1864 長州。
武市半平太 たけち はんぺいた 1829-1865 土佐国吹井村(現、高知県高知市仁井田)生まれ。
野村望東尼 のむら もとに/ぼうとうに 1806-1867 福岡。
坂本龍馬 さかもと りょうま 1836-1867 土佐。
高杉晋作 たかすぎ しんさく 1839-1867 長門国萩城下菊屋横丁(現・山口県萩市)生まれ。
橘曙覧 たちばなの あけみ 1812-1868 越前国石場町(現・福井県福井市つくも町)生まれ。
富田基建 とみた 〓 1817-1868 織部。名を基建。三条実美の侍講。伯耆(鳥取県)。
大国隆正 おおくに たかまさ 1793-1871 国学者・神道家。石見津和野。
毛利慶親 もうり よしちか 1819-1871 敬親(たかちか)。長州。
山内容堂 やまうち ようどう 1827-1872 土佐。
津崎矩子 つざき のりこ 1786-1873 近衛家の老女、勤王家。
沢宣嘉 さわ のぶよし 1836-1873 公卿。七卿落ちの一人。
大原重徳 おおはら しげとみ 1801-1879 公家。京都生まれ。
三条西季知 さんじょうにし すえとも 1811-1880 七卿落ちの一人。
若江薫子 わかえ におこ 1835-1881 公家。
岩倉具視 いわくら ともみ 1825-1883 公家。
島津久光 しまづ ひさみつ 1817-1887 島津家当主。
宮本池臣 みやもと いけおみ 1808-1888 神主。丹後国与謝郡男山。
松平春嶽 まつだいら しゅんがく ?-1890 越前福井。
三条実美 さんじょう さねとみ 1837-1891 公卿、政治家。
松尾多勢子 まつお たせこ 1811-1894 信濃国伊那郡山本村(現、長野県飯田市)。
近衛忠? このえ ただひろ 1808-1898 忠熙。
壬生基修 みぶ もとおさ 1835-1906 公卿。
東久世通禧 ひがしくぜ みちとみ 1834-1912 京都。七卿落ちの一人。
乃木希典 のぎ まれすけ 1849-1912 長府。
山県有朋 やまがた ありとも 1838-1922 阿武郡川島村(現・山口県萩市川島)生まれ。
井手曙覧 いで あけみ → 橘曙覧 
松尾たせ子 → 松尾多勢子  
野村望東 → 野村望東尼  
関遠    
金子教孝    
古川松根    
松田範義    

※ 没年、生年、よみの順に優先配列。


2009.6.1:公開
2009.6.24:更新
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
翻訳・朗読・転載は自由です。
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