*MT*2_40-清河八郎(三)大川周明 *2010.4.24 第二巻 第四〇号 清河八郎(三) 大川周明 第四章 関西における清河八郎の活動 一 義挙の決意 二 肥後の松村家による 三 真木和泉との会見 四 平野・伊牟田の入薩 五 八郎の帰洛 六 大阪薩邸に入る 七 同志の反目 八 寺田屋の変 &image(http://www.dl-market.com/images/uploader/620/2_40_1.gif,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=177&file=milk_tea_2_40.zip) &ref(2_40_2.gif) 既作二回天勢一風雲共相苦 忽会又忽散遂施二万里雨一 &ref(2_40_3.gif) [[【週刊ミルクティー*第二巻 第四〇号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=177&file=milk_tea_2_40.zip]] (http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=177&file=milk_tea_2_40.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (660KB) ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. |COLOR(red):月末最終号:無料| p.141 / *99 出版| 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(59項目)p.245 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 *出てこい! ニミッツ、マッカーサー! |COLOR(red):オリジナル版|COLOR(blue):週刊ミルクティー*現代表記版| |COLOR(red):清河八郎(三)|COLOR(blue):清河八郎(三)| |COLOR(red):大川周明|COLOR(blue):大川周明| |COLOR(red): 彼等は尊王攘夷の大策に就て肝胆を碎いた。八郎は田中に向つて安藤閣老の逆謀を説き、封事を陛下に上つて事を擧げやうと相談した。田中の話によれば、中山忠能卿は案外の事勿れ主義で、田中の濶達豪毅を喜ばず、田中が致仕したのも一つは其爲であつた。然るに公の嫡子忠愛卿は、親に似ぬ大器量人で、久しく陛下の御側を勤め、相國寺に幽居中の青蓮院宮とは殊に親しくして居る。其等のことが父の氣に入らず、當時閑居の身であるが、田中を待つに師父を以てし、言ふところ聽かれざるなき間柄であるとのことであつた。八郎は此間の事情を聽き取り、密議二日の後に田中を初め伊牟田安積を説得して一大事を覺悟させた。八郎は斯く主張した——『大丈夫天下の爲に尊王攘夷の大策を樹てるのに、小事に拘泥してはならぬ。苟も其義に適ふ事であり、其身に私するところなき行動であるならば、此の非常の秋に當つて若干の權變を厭ふては居られぬ。今や天下の人心は、皇室の式微、幕府の横暴、外交の軟弱を見て、等しく變亂を思つて居る。それにも拘らず未だ蹶起する者の無いのは、命を受ける所ないからである。然るに安政戍午[#「戍午」は底本のまま]以來幽閉の身となられた青蓮院宮は、天下の志士皆な其の英明を欣慕して之を奉戴せんことを望んで居る。故に殿下の密旨を奉ずるものと稱し、忠愛卿の親書を得て、先づ九州勤王の志士を語らひ、同志相結んだ上は、直ちに青蓮院宮を奪ひ奉りて義擧を起こさう。鎭西遊説の事は自ら之に任ずると』[#「と』」は底本のまま]。一同は遂に此の提議に賛同した。|COLOR(blue): 彼らは尊王攘夷の大策について肝胆を砕いた。八郎は田中に向かって安藤閣老の逆謀を説き、封事を陛下にたてまつって事をあげようと相談した。田中の話によれば、中山忠能(ただやす)卿は案外の事なかれ主義で、田中の闊達豪毅をよろこばず、田中が致仕したのも一つはそのためであった。しかるに公の嫡子忠愛(ただなる)卿は、親に似ぬ大器量人で、久しく陛下の御側をつとめ、相国寺に幽居中の青蓮院宮とは殊に親しくしている。それらのことが父の気に入らず、当時閑居の身であるが、田中を待つに師父をもってし、言うところ聴かれざるなき間柄であるとのことであった。八郎はこの間の事情を聴き取り、密議二日の後に田中をはじめ伊牟田・安積を説得して一大事を覚悟させた。八郎はかく主張した——「大丈夫、天下のために尊王攘夷の大策をたてるのに、小事に拘泥してはならぬ。いやしくもその義にかなうことであり、その身に私するところなき行動であるならば、この非常の秋にあたって若干の権変を厭うてはおられぬ。今や天下の人心は、皇室の式微、幕府の横暴、外交の軟弱を見て、等しく変乱を思っている。それにもかかわらずいまだ決起する者のないのは、命を受ける所ないからである。しかるに安政戊午(一八五八)以来幽閉の身となられた青蓮院宮は、天下の志士みな、その英明を欣慕してこれを奉戴せんことを望んでいる。ゆえに殿下の密旨を奉ずるものと称し、忠愛卿の親書を得て、まず九州勤王の志士を語らい、同志相結んだうえは、ただちに青蓮院宮を奪いたてまつりて義挙を起こそう。鎮西遊説の事はみずからこれに任ずる」と。一同はついにこの提議に賛同した。| #ref(2_40.rm) (朗読:RealMedia 形式 444KB、3'36'') 大川周明 おおかわ しゅうめい 1886-1957(明治19.12.6-昭和32.12.24) 国家主義者。山形県生れ。東大卒。満鉄入社後、猶存(ゆうぞん)社・行地社・神武会を結成。軍部に接近、三月事件・五‐一五事件などに関与。第二次大戦後、A級戦犯。著「近世欧羅巴植民史」など。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(大川周明){大川周明}、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 *底本 底本:『清河八郎』行地社出版部 1927(昭和2)年2月11日 発行 NDC 分類:289(伝記:個人伝記) http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html *年表 *変更点 國中 → 田中 【田】 戍午 → 戊午 【戊】 任ずると』。 → 任ずる」と。 【」と】 ※[#「口+切」] → 砌 【砌】 同志に共に → 同志と共に 【と】 不※[#「木+汚のつくり」、第4水準2-14-28] → 不朽 【朽】 風釆 → 風采 【采】 面して → しかして 【しか】 一簀 → 一簣 【簣】 訪ぬた → 訪ねた 【ね】 忌め → 忌み 【み】 こになり → ことになり 【と】 間數候 → 間敷候 【敷】 久留米の護送 → 久留米に護送 【に】 彦齊・彦齋は彦斎に統一した。 佐司馬・左司馬・左次馬、彦左衛門・彦右衛門の混用はそのままとした。 *難字、求めよ。 是行 政事向にも 紛集 姦偸 佞偸 捕逃 *スリーパーズ日記 三谷幸喜は、土方や近藤たちに清河八郎のことを「新選組にとって○○な恩人」と言わせていた。端的かつ的確な表現と関心したはずなのだけれども、○○が思い出せない。「迷惑」でもなかったし「困った」でも「とんでもない」でもなかったと思う。『新選組!』の総集編を早送りして見たけれども、その場面を見つけられない。 司馬遼太郎『竜馬がゆく』の中で竜馬は、春嶽や海舟に出会うに先だって、八郎と対面をしている。その場面で司馬さんは「幕末の史劇は、清河八郎が幕をあけ、坂本龍馬が閉じたといわれる」と二人のことを書いている。これが当時十八才のぼくにとって、同郷の八郎との見初めとなる。 ところで、この伝聞体の清河評は、誰の発言を典拠として引いているのだろうか。ふつう、幕末のさきがけというと、吉田松陰や佐久間象山や島津斉彬あたりを思い浮べる。よほどのひいきか。ひいきであっても八郎の名はそうそう出てこない。 司馬「奇妙なり八郎」(『幕末』所収)を急いで読んでみたが、そこにもない。小山松にも高野にも大川周明にもない。藤沢『回天の門』にもありそうにない。手がかりがあるとすれば、残りは『燃えよ剣』と三上於菟吉あたりだろうか。 2010.4.26:公開 秒速、5センチメンタル。チェリーブラッサム爆撃機。 虎の尾をふむタヌキ。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment