frame_decoration
「M-Tea*3_18-光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分 一 徳永 直」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

M-Tea*3_18-光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分 一 徳永 直 - (2010/12/06 (月) 11:27:44) のソース

*M-Tea*3_18-光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分 一 徳永 直
*2010.11.27 第三巻 第一八号
光をかかぐる人々[続]
『世界文化』連載分(一)
徳永 直
   
&image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/3_18-1.png,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=229&file=milk_tea_3_18.zip)
 
#image(map3_18_kyusyu.gif)

#image(map3_18_se_ajia.gif)

[[【週刊ミルクティー*第三巻 第一八号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=229&file=milk_tea_3_18.zip]]
(http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=229&file=milk_tea_3_18.zip)
※ クリックするとダウンロードを開始します。 
(724KB) 

&color(red){月末最終号:無料} p.157 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(58項目)p.484
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は 徳永直『光をかかぐる人々』入力中(http://d.hatena.ne.jp/HikariwokakaguruHitobito/)(uakira)にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright is public domain.


*飛び出せ! 週刊ミルクティー*

 昭和十八年(一九四三)三月のある日、私は“嘉平の活字”をさがすため、東京発鹿児島行きの急行に乗っていた。伴(つ)れがあって、七歳になる甥と、その母親の弟嫁とが、むかいあってこしかけているが、厚狭、小月あたりから、海岸線の防備を見せまいためか、窓をおろしてある車内も、ようやく白んできた。戦備で、すっかり形相のかわった下関構内にはいったころは、乗客たちも洗面の水もない不自由さながら、それぞれに身づくろいして、朝らしく生きかえった顔色になっている……。
 と、私はこの小説だか何だかわからない文章の冒頭をはじめるが、これを書いているのは昭和二十三年(一九四八)夏である。読者のうちには、昭和十八年に出版した同題の、これの上巻を読まれた方もあるかと思うが、私が「日本の活字」の歴史をさがしはじめたのは昭和十四年(一九三九)からだから、まもなくひと昔になろうとしているわけだ。歴史などいう仕事にとっては、十年という月日はちょっとも永くないものだと、素人の私にもちかごろわかってきているが、それでも、鉄カブトに巻ゲートルで、サイレンが鳴っても空襲サイレンにならないうちは、これのノートや下書きをとる仕事をつづけていたころとくらべると、いまは現実の角度がずいぶん変わってきている。弱い歴史の書物など、この変化の関所で、どっかへふっとんだ。いまの私は半そでシャツにサルマタで机のまえにあぐらでいるけれど、上巻を読みかえしてみると、やはり天皇と軍閥におされた多くのひずみを見出さないわけにはゆかない。歴史の真実をえがくということも、階級のある社会では、つねにはげしい抵抗をうける。変わったとはいえ、戦後三年たって、ちがった黒雲がますます大きくなってきているし、新しい抵抗を最初の数行から感じずにいられぬが、はたして、私の努力がどれくらい、歴史の真実をえがき得るだろうか?

#ref(3_18.rm)
(朗読:RealMedia 形式 496KB、4'00'')

徳永 直 とくなが すなお
1899-1958(明治32.1.20-昭和33.2.15)
熊本県飽託郡(現熊本市)生まれ。1922年上京、博文館印刷所(後の共同印刷所)に植字工として勤務。1925年に「無産者の恋」「馬」などを発表。翌年共同印刷争議に敗れ、同僚1700人とともに解雇。1929年この時の体験を基にした長編「太陽のない街」を『戦旗』に連載。『新日本文学』に長編「一つの歴史」を完結させないまま世田谷の自宅で病没。享年59。

◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(徳永直){徳永直}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。


*底本
底本:『世界文化』11月号 第3巻第11号、世界文化社
   1948(昭和23)年11月1日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1308.html

NDC 分類:022(図書.書誌学/写本.刊本.造本)
http://yozora.kazumi386.org/0/2/ndc022.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html
NDC 分類:914(日本文学/評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html


*年表

一八二三(文政六)ごろ イギリスの捕鯨船水夫たちが、湾入口にちかい宝島へ上陸。島津藩士にその一名が銃殺される。
一八三九年(文政一〇〔「天保」の誤りか〕) ファラデーの法則確立。
一八四四(天保末) 西洋の科学者たちを乗せたモリソン号が、江戸湾からおわれて鹿児島湾へくる。武装してないアメリカ船は、児ヶ水村沖合いで砲撃をくって追いかえされる。
一八四八(嘉永初)ごろ 斉彬、ローマ字を習得し、洋文字日記を記す。
一八四八〜一八五五(嘉永年間) 川本幸民『遠西奇器述』「電気模像機」でガラハニ法を紹介。
一八五五(安政二)ごろ 福沢諭吉、大阪でファラデーの法則を実験。
一八五五〜一八六〇(安政年間) 斉彬の命により木村嘉平、鉛活字を製作。
一八五五〜一八六〇(安政年間) 島津、紡績機械を買い入れる。
一八五五〜一八六四(安政二〜文久年間) 長崎に日本で最初の洋式印刷工場がつくられる。
一八五八(安政五) 杉田成卿「活字の料剤」という文章に鉛活字のボディの成分を紹介。
一八六三(文久三) 生麦事件につづいてイギリス艦隊が鹿児島湾にはいる。
一八六四(元治元) 嘉平、電胎法を習得。

一八六九〜一八七一(明治二〜四) 本木昌造、電胎活字をつくる。
一八八六(明治一九) 嘉平、晩年ふたたび木彫界にもどる。六十四才で死去。
一九〇七〜(明治四〇年代) 嘉平の遺族が、遺作・遺品を島津家へ献納。

一九三九(昭和一四) 徳永、「日本の活字」の歴史を探しはじめる。
一九四二(昭和一七)暮れ 徳永、公爵島津家の史料編さん主任であるA・Mを東京中野の家に訪ねる。
一九四三(昭和一八) 徳永、上巻を出版。
一九四三(昭和一八)三月 徳永、東京発鹿児島行きの急行に乗る。
一九四八(昭和二三)夏 徳永、『続』を執筆。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。


*人物一覧(人名、および組織・団体名・神名)

&link_wikipedia(徳永直){徳永直} とくなが すなお 1899-1958 小説家。熊本県生れ。小学中退。印刷工として労働運動に参加、体験を「太陽のない街」に描く。プロレタリア文学運動で活躍。ほかに「八年制」「妻よねむれ」「静かなる山々」など。
嘉平 → 木村嘉平
&link_wikipedia(木村嘉平){木村嘉平} きむら かへい 1823-1886 江戸神田小柳町に住む。代々彫刻師。安政年間に島津斉彬に頼まれて電胎法による活字字母の製作をおこなう。/木版印刷師。欧文活字を作製(人物レファレンス)。
&link_wikipedia(ヨナ){ヨナ} Jonah 旧約聖書ヨナ書の主人公。巨大な魚に呑まれ三日三晩魚の腹の中で過ごす。死と復活の象徴。
A・M 歴史家。島津家の史料編さん主任。東京中野。
&link_wikipedia(本木昌造){本木昌造} もとき しょうぞう 1824-1875 幕末・明治の蘭学者。日本の活版印刷の創始者。長崎に生まれ、母方の本木家を継ぐ。蘭学を修め、造船術・活版印刷術を研究。維新後、アメリカ人ガンブルについて字母鋳造を習得、長崎に活版所を起こした。
&link_wikipedia(ファラデー){ファラデー} Michael Faraday 1791-1867 イギリスの化学者・物理学者。塩素の液化、ベンゼンの発見、電磁誘導の法則、電気分解のファラデーの法則、ファラデー効果および反磁性物質などを発見。電磁気現象を媒質による近接作用として、場の概念を導入、マクスウェルの電磁論の先駆をなす。主著「電気学の実験的研究」。
&link_wikipedia(島津斉彬){島津斉彬} しまづ なりあきら 1809-1858 江戸末期の薩摩藩主。斉興(なりおき)の子。早くから開国の意見を抱き、殖産興業に力を入れ、藩営工場集成館を設立、洋式の造船・造兵・紡織などの業を興す。
グーテンベルグ → グーテンベルク
&link_wikipedia(グーテンベルク){グーテンベルク} Johannes Gutenberg 1400頃-1468 ドイツの人。鋳型によって活字を鋳造し、プレス印刷機を考案。活版印刷術を実用化した。それで印刷した42行聖書は有名。
&link_wikipedia(江川太郎左衛門){江川太郎左衛門} えがわ たろうざえもん 1801-1855 伊豆韮山に屋敷をもつ江戸幕府の世襲代官の通称。(36代)江戸後期の砲術家・民政家。名は英竜、号は坦庵。高島秋帆に学び、西洋砲術を教授。また、品川台場を設計、反射炉を設け大砲を鋳造。
K・H 牛込の印刷史家。
&link_wikipedia(川本幸民){川本幸民} かわもと こうみん 1810-1871 幕末の蘭学者。摂津三田(さんだ)藩医の子。名は裕。坪井信道に学び、藩医となり、物理・化学に精通。後に薩摩藩校学頭・蕃書調所教授。著「気海観瀾広義」など。
&link_wikipedia(杉田成卿){杉田成卿} すぎた せいけい 1817-1859 江戸後期の蘭学者。名は信。号は梅里。玄白の孫。江戸の生れ。坪井信道に学び、幕府の蕃書和解御用出役を務める。訳著は「医戒」「済生三方」などの医学書のほか、兵学・理学・史書に及ぶ。
&link_wikipedia(フランクリン){フランクリン} Benjamin Franklin 1706-1790 アメリカの政治家・文筆家・科学者。印刷事業を営み、公共事業に尽くした。理化学に興味を持ち、雷と電気とが同一であることを立証し、避雷針を発明。また、独立宣言起草委員の一人で、合衆国憲法制定会議にも参与。自叙伝は有名。
&link_wikipedia(レオナルド・ダ・ヴィンチ){レオナルド・ダ・ヴィンチ} Leonardo da Vinci 1452-1519 イタリア、ルネサンス期の画家・建築家・彫刻家。トスカーナ地方のヴィンチ村生れ。フィレンツェ・ミラノで修業・制作。晩年フランスに赴きアンボワーズで没。絵画に「モナ‐リザ」「最後の晩餐」「聖アンナ」など、精密な写実と深い精神性をそなえた不朽の作品を遺す。詩人・思想家としても傑出し、自然科学に関しても多くの業績がある。遺稿「アトランティコ手稿」「マドリード手稿」など。
&link_wikipedia(スタンホープ){スタンホープ} ロンドンの数学者。スタンホープ式ハンドプレスを完成。
&link_wikipedia(林子平){林子平} はやし しへい 1738-1793 江戸中期の経世家。寛政三奇人の一人。名は友直。六無斎と号す。江戸の人。仙台に移住。長崎に遊学、海外事情に注目、海防に心を注ぎ「三国通覧図説」「海国兵談」などを著して世人を覚醒しようとしたが、幕府の忌諱にふれて蟄居。
甚兵衛 版下職人。
伊井大老 → 井伊直弼か
&link_wikipedia(井伊直弼){井伊直弼} いい なおすけ 1815-1860 幕末の大老。彦根藩主。掃部頭。徳川家茂を将軍の継嗣とし、また勅許を待たずに諸外国と条約を結び、反対派を弾圧したので(安政の大獄)、水戸・薩摩浪士らに桜田門外で殺された。
&link_wikipedia(大鳥圭介){大鳥圭介} おおとり けいすけ 1833-1911 幕末・明治期の政治家。播磨出身。蘭学・兵学を学び、幕府に用いられ、歩兵奉行。戊辰戦争では榎本武揚らと箱館五稜郭に拠ったが敗れて帰順。日清戦争勃発の際、清国兼朝鮮公使。男爵。
&link_wikipedia(福沢諭吉){福沢諭吉} ふくざわ ゆきち 1834-1901 思想家・教育家。豊前中津藩士の子。緒方洪庵に蘭学を学び、江戸に洋学塾を開く。幕府に用いられ、その使節に随行して3回欧米に渡る。維新後は、政府に仕えず民間で活動、1868年(慶応4)塾を慶応義塾と改名。明六社にも参加。82年(明治15)「時事新報」を創刊。独立自尊と実学を鼓吹。のち脱亜入欧・官民調和を唱える。著「西洋事情」「世界国尽」「学問のすゝめ」「文明論之概略」「脱亜論」「福翁自伝」など。
&link_wikipedia(緒方洪庵){緒方洪庵} おがた こうあん 1810-1863 江戸後期の蘭医。名は章。適々斎と号。備中の人。江戸に出て、坪井信道・宇田川榛斎に蘭学を学び、さらに長崎に遊学、大坂に医業を開き、緒方塾を設けた。種痘を施行。のち幕府に招かれ、奥医師兼西洋医学所頭取・法眼。門下に大村益次郎・橋本左内・大鳥圭介・福沢諭吉らを輩出。著訳書「病学通論」「扶氏経験遺訓」など。
&link_wikipedia(平賀源内){平賀源内} ひらが げんない 1728-1779 江戸中期の博物学者・戯作者。名は国倫。鳩渓・福内鬼外・風来山人などと号。讃岐高松の人。蘭学・物産学・本草学を研究、初めて火浣布を織り、寒暖計を模製し、鉱山を開発、またエレキテル(摩擦起電機)を自製。のち戯作に没頭。浄瑠璃「神霊矢口渡」、談義本「風流志道軒伝」「放屁論」は有名。乱心して人を殺傷、獄中に没。ほかに著「物類品�(ひんしつ)」。
&link_wikipedia(ガンブル){ガンブル} William Gamble ?-1886 アメリカ人技師。1869(明治二)上海から帰国の途次、長崎に寄港。/アメリカの宣教師。長老会の海外伝道局経営の印刷所監督として寧波(ニンポー)に渡り(1858)、華花聖経書房に赴任し、電胎法による漢字活字の製作改良に成功。ついで上海に移って美華書館と称し(61)S.R.ブラウンの《日本口語対話篇》とヘボンの《和英語林集成》=薩摩辞書とよばれる和訳英辞書等を印刷した。帰国(69)の途中長崎に立寄り、フルベッキの紹介で本木昌造およびその社中の人々に活版技術を指導し、日本の活版印刷発達の基を築いた(岩波西洋人名、西洋人物レ)。
&link_wikipedia(三谷幸吉){三谷幸吉} みたに こうきち 1886-1941 明治期の植字工。神戸印刷工組合メンバー(社史、人物レ日外)。
&link_wikipedia(岸田吟香){岸田吟香} きしだ ぎんこう 1833-1905 新聞記者・事業家。名は銀次。美作出身。ヘボンの「和英語林集成」編纂に協力。後に東京日日新聞編集に従事し、また、目薬「精�水(せいきすい)」を販売。訓盲院を開設。東亜同文会などの創設に尽力。
&link_wikipedia(ヘボン){ヘボン} James Curtis Hepburn 1815-1911 アメリカ長老派教会宣教師・医師。1859年(安政6)来日、医療・伝道のかたわら、最初の和英・英和辞典(和英語林集成)を完成、ヘボン式ローマ字を創始。明治学院を創立。92年(明治25)帰国。日本名、平文。ヘプバーン。
&link_wikipedia(前田正名){前田正名} まえだ まさな 1850-1921 鹿児島生まれ。明治の官僚。北海道阿寒町に財団法人前田一歩園の基を設立し、阿寒湖周辺の森林を購入し保護を図る。父は薩摩藩医前田善安の6男。兄に前田正穀(献吉)がいる。明治期における殖産興業政策の実践者としてしられ、「布衣の農相」とも呼ばれた。妻は大久保利通の姪・いち。
&link_wikipedia(ペリー){ペリー} Matthew Calbraith Perry 1794-1858 アメリカの海軍軍人。1853年7月(嘉永6年6月)日本を開港させるため東インド艦隊を率いて浦賀に来航、大統領の親書を幕府に提出。翌年江戸湾に再航、横浜で日米和親条約を結ぶ。後に下田・箱館に回航。帰国後「日本遠征記」3巻を刊行。ペルリ。漢字名、彼理。
プーチャチン → プチャーチン
&link_wikipedia(プチャーチン){プチャーチン} Evfimii Vasil'evich Putyatin 1804-1883 ロシアの提督。1853年(嘉永6)長崎に来航。55年2月(安政元年12月)日露和親条約、58年日露修好通商条約を締結。また、伊豆戸田で帆船を建造、洋式造船技術を初めて日本に伝えた。
-----------------------------------
&link_wikipedia(西郷隆盛){西郷隆盛} さいごう たかもり 1827-1877 幕末・維新期の政治家。薩摩藩士。通称、吉之助。号は南洲。薩摩藩の指導者となり幕府を倒す。戊辰戦争では江戸城の無血開城を実現。新政府の陸軍大将・参議をつとめるが、征韓論政変で下野。帰郷して私学校を設立。1877年(明治10)私学校党に推されて挙兵(西南戦争)、敗れて城山にて自刃。
華山 → 渡辺崋山か
&link_wikipedia(渡辺崋山){渡辺崋山} わたなべ かざん 1793-1841 幕末の文人画家・洋学者。名は定静。通称、登。別号、全楽堂。三河田原藩の家老。儒学を佐藤一斎に学び、蘭学にも通じた。谷文晁の門下に学び、西洋画法を取り入れて独自の様式を完成。鋭い筆致で写実的な肖像画に優れた作品を遺す。高野長英・小関三英らと尚歯会を結成。幕府の攘夷策を責めた「慎機論」を著し、蛮社の獄に連座、郷国に蟄居中に自刃。作「鷹見泉石像」「千山万水図」など。
&link_wikipedia(高野長英){高野長英} たかの ちょうえい 1804-1850 江戸後期の蘭学者。名は譲、のち長英。陸奥水沢の人。長崎でシーボルトに蘭学を学び、江戸で町医者を開業。渡辺崋山の蘭学研究を助け、「夢物語」を著し幕府の対外政策を批判、1839年(天保10)永牢。獄舎に放火させ脱獄、沢三伯と変名して諸国に潜伏。江戸で自刃。医学・理化学・兵書を多く訳述。
&link_wikipedia(島津重豪){島津重豪} しまづ しげひで 1745-1833 江戸後期の薩摩藩主。積極開化の政治方針をとり、造士館・演武館・医学館を創設、農書「成形図説」などを編纂させた。財政破綻を招き、調所広郷を登用して改革を行う。
ヅーフ → ズーフ
&link_wikipedia(ズーフ){ズーフ} Hendrik Doeff 1777-1835 江戸後期の長崎オランダ商館長。日本名は道富。蘭日辞典「ズーフ‐ハルマ」を編纂。帰国後「日本回想録」を著す。ヘンドリック・ドゥーフ。
&link_wikipedia(豊臣秀吉){豊臣秀吉} とよとみ ひでよし 1537-1598(一説に1536-1598) 戦国・安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。木下弥右衛門の子。幼名、日吉丸。初名、藤吉郎。15歳で松下之綱の下男、後に織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉と名乗り、本能寺の変後、明智光秀を滅ぼし、四国・北国・九州・関東・奥羽を平定して天下を統一。この間、1583年(天正11)大坂に築城、85年関白、翌年豊臣の姓を賜り太政大臣、91年関白を養子秀次に譲って太閤と称した。明を征服しようとして文禄・慶長の役を起こし朝鮮に出兵、戦半ばで病没。
&link_wikipedia(徳川家康){徳川家康} とくがわ いえやす 1542-1616 徳川初代将軍(在職1603〜1605)。松平広忠の長子。幼名、竹千代。初名、元康。今川義元に属したのち織田信長と結び、ついで豊臣秀吉と和し、1590年(天正18)関八州に封じられて江戸城に入り、秀吉の没後伏見城にあって執政。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、03年征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開いた。将軍職を秀忠に譲り大御所と呼ばれた。07年駿府に隠居後も大事は自ら決し、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、幕府260年余の基礎を確立。諡号、東照大権現。法号、安国院。
&link_wikipedia(西洞院家){西洞院家} にしのとういんけ 高棟王流桓武平氏の流れをくむ公家。高棟王から17世の孫にあたる南北朝時代の西洞院行時(正三位・参議)(1324年 - 1369年)を祖とする堂上家。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ、2000.7)、『西洋人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ)。


*難字、求めよ
ヨナ 旧約聖書ヨナ書の主人公 Jonah のことか。
アボアボ川
スタンホープ イギリスの数学者。世界最初の全鉄製印刷機を発明。
小岩峠谷 岩崎谷?
九州山脈 九州山地のことか。
小内川 川内川(せんだいがわ)?
縞袴 しまばかま
『築城典刑』 『斯氏築城典刑』大鳥圭介の作。

*むしとりホイホイ
伊井大老 井伊直弼か。
一八三九年、文政十年 「天保」十年か。

以上2件。底本は左辺のとおり。

*スリーパーズ日記
 
 髪の毛がフサフサの夢を見る。……泣。
 萩野正昭『電子書籍奮戦記』(新潮社、2010)を立ち読み。十年前にマイクロソフトと、数年前にパナソニックとそれぞれ提携・協力の話のあったことを知る。さもありなん。iPad 用の T-Time 7 が公開目前らしい。んが、前バージョンのパブリッシャーズ・キットユーザーへのアナウンスらしいものは特に見つけられない。となりに津野海太郎『電子本をバカにするなかれ』(国書刊行会、2010)。



2010.12.4:公開
2010.12.6:更新
アモーレ、ヤキーモ!
目くそ鼻くそ。PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ:&counter()
----
#comment