もしも願いが叶うなら 2

 ひとしきり可愛い神楽の妄想に浸った【榊】は、ようやく我に帰ると
着替えをすることにした。体育の時間に倒れたあと体操服を着たままだ。
さすがにこのままでは帰れない。気絶している間に届けられていたらしい、
二人分のバッグの中から自分のバッグを選……ぼうとして、気がついた。
(そうか、私は今神楽なんだから、着替えは神楽のバッグの中だ。あれ? 神楽は……
体操服のまま飛び出して行ったな……。頼むからそのまま学校の外に
出たりしないでくれ……私の体で……)
神楽がどこにいるのか急に心配になってきた。着替えが終わったのですぐに神楽を探しに
出ることにした。
 二人分のバッグを持ち、扉を出て保健室に鍵をかけていると、声をかけられた。
「神楽センパーイ!! もう大丈夫なんですかーっ!!」
一瞬自分が呼ばれていることに気がつかなかったが、あっ、と気付き
すぐに声のした方向を見た。ポニーテールの女子。知らない女子だ。
「先輩、怪我の具合はどうですかー? やっぱり、今日は練習来れませんかー?
あの……もしかして大会も無理とか……」
恐らく、神楽の所属する水泳部の部員だろう。そう見当をつけた。そういえば神楽が
大会がどうこうとか言ってたっけ。
「いや……怪我は大したことない……」
ここまでしゃべって気がついた。自分は今神楽なのだから、神楽らしくしゃべらなければ。
 【榊】は考えた。
(言葉遣いもそうだが、話す内容も問題だ。神楽らしく振る舞わないとすぐにばれてしまう。
神楽の言う通り、今自分達の異常に気付かれるのは得策ではないな。カムアウトは時期と状況を
考えないと。この子の質問だが、神楽ならどう答えるだろう……)
以前神楽から聞いたエピソードを【榊】は思い出していた。その1:熱が38度あるので
気合いで熱を下げようとしてジョギングしたら実はインフルエンザで肺炎になりかけた。
その2:なんだかぶつけた足が痛いので気合いで直そうとして短距離ダッシュしたらよけい
痛くなり実は骨にひびが入っていた。以上2つのエピソードから、神楽は超のつく
体育会系思考であることが分かる。

(なるほど、この程度の怪我で休むのは「神楽らしくない」ということになるな。
あとはしゃべり方や声の調子に気をつけて……)
「こんなの怪我の内にはいんねーよ。ここの鍵を職員室に戻したら行くから」
「あ、じゃあ私もお供しますー」
「おう、じゃあ行こうか」
まったく違和感を感じさせない完璧な会話だった。2秒で考えることを放棄し、
かおりんを困惑させた【神楽】とはえらい違いである。【榊】はこういう所で律儀だった。
(しかし……ここまではうまくごまかせたけど、水泳部の部室に行って
どうすればいいんだ? いや、それよりも練習に私が出ていいものかどうか分からない……
でも今の私は少なくとも外見上は神楽のわけだし……うーん今さら私の姿をした
神楽を探しに行くわけにもいかないだろうし……ん?)
 【榊】の思考はそこで中断した。ポニーテールの女子が取り出したものに視線が
行ってしまったからである。
(あ、あれは「ねここねこ手帳」! 品薄で駅前の文具屋にも売ってないのに……
いったいどこで?!)
【榊】が「ねここねこ手帳」に釘付けになっていると、ポニーテールが
「あ、これかわいいですよねー? ねここねこ手帳って言うんですよー」
【榊】が慌てて返事をする。
「えっと、そ、それをどこで?!」
「駅の北口からちょっと離れた所にあるお店ですよー。結構他のとこで見つからないものが
あったりする穴場なんですよー。おまけでこんなストラップももらっちゃったしー」
「非売品か?!」
「え? ええー、そうですよー。でも私いっぱいもらって余っちゃって……」
そこまでしゃべったところで、ポニーテールは神楽先輩……つまり【榊】の目がギンギンに
輝いているのに気がついた。
「あ、あのー神楽先輩? もしかして先輩ってこういうの好きだったりするんですかー?」
「あ、ああ、ちょっとな。」
『大好きです!!』と叫びたいのを必死に堪えて何とか返事をした【榊】。
「もし良かったらー、私おまけがいっぱい余ってるんでー差し上げますよー。」
「下さい!!」
堪えきれなかった。
「?!」
「じゃ、じゃなくて、それじゃーもらおうかな……」
「……えっとー、じゃあまた今度持ってきますねー。でも先輩がこれ好きだなんて意外ですー」
このとき【榊】は、心から自分が神楽になって良かったと思った。

 ポニーテールと一緒にプール下の水泳部部室に向かう【榊】は、プールに向かって
体操服のままずんずん歩いている【神楽】に気がついた。
「おーい、かぐ……じゃなくて、さかきぃー!!」
【榊】は【神楽】を呼び止めた。こっちに来い、と手で合図する。【神楽】が答える。
「あーっ! なんだ榊、西山と一緒だったのか!」
走りよってくる【神楽】。焦る【榊】。西山と呼ばれたポニーテールが疑問を口にする。
「あ、あのーっ! こちらは神楽先輩ですよー。それに、あなたが、いつも神楽先輩が
言われてる榊先輩ですよねー?」
(しまった、マズイ!!)ようやく【神楽】も気がつく。
「あ、あははー。いや、ちょっと勘違いしただけじゃねーか! 気にすんなって!」
何とか返事をした【神楽】に西山部員の追い打ち。
「榊先輩初めましてー。でも神楽先輩から伺ってたのと印象違いますねー。
クールな方だって伺ってたんでー」
(うわぁ……)焦りまくる【神楽】に【榊】が助け舟を出す。
「今日はちょっと榊は機嫌がいいんだよ。普段はもっと無口なんだけど」
 そこまで言っておいて、すっと【神楽】に近付きひそひそ話をする。

「(神楽、バッグも持たずに何をしていたんだ。)」
「(ああ悪い。持ってきてくれたのか。さんきゅー)」
「(私は部活に参加しなくてはいけないの?)」
「(へ? 別にあんたは参加しなくていいぜ。部員じゃねーんだから)」
「(状況を思い出してくれ。他の人から見て『神楽』は私だ……。部員じゃないのは
『榊』の姿をしたきみの方だ。)」
「(あっ、そうか。今だけ元に戻ろう)」
「(何を言っている。戻る方法が分からないから相談してるんだ。そう都合よく
入れ替わったり戻ったり出来るわけがない……)」
「(じゃあどうすんだよ)」
「(今日だけでも私、つまり神楽は欠席というわけにはいかないか?)」
「(冗談だろ?! 大会前のこの時期サボったら黒沢先生になんて言われるかわかんねーだろ!
つーか冗談抜きで殴られるかもしれねーぞ!)」
「(黒沢先生……今日の体育の時間は出張でいなかったけど、来てるの?)」
「(夕方には出張から戻って練習見て行くって昨日言ってたから、来てるだろ)」
「(事情を説明できないかな。私達の現状を……)」
「(だから信じてもらえるわけねーって! サボる口実だと思われるのがオチだ)」
「(でもこれじゃ本当に部活に参加すべき神楽が参加できなくて、私が参加すると
いうことになってしまうけど……)」
「(……頼む、榊! 私の代わりに練習に出てくれ!!)」
「(無理だ……どうすればいいのか分からないし……)」
「(みんなについて行けば分かるって!!)」
「(いや、やっぱり無理だ)」
「(どうしてだよ!!)」
「(体育会系は苦手で……)」
「(好き嫌いでもの言ってる場合かー!! 頼むよお願いだよ出てくれよ!!)」

 何やら内緒話を始めた先輩とその友人を見ていた西山部員は、
「あのー、私先に行ってましょうかー? 席外した方が良さそうですし……」
と、部室の方に進もうとした。それを見て【神楽】が叫ぶ。
「ちょっと待って!!」
「なんですかー?」
西山部員が立ち止まり振り向く。
「あ、あの(えーと榊のしゃべり方は、えーっと)……わ、私も水泳部を……
あの、見学というか、体験入部させてくれないか? お願いだ!!」
これには【榊】が目を丸くして、
「な、な、何言ってるんだかぐ……もとい、榊!!」
と叫んだ。
【神楽】が【榊】にひそひそ声で話し掛ける。
「(まあ落ち着け榊)」
「(どういうつもりだ)」
「(榊のかっこした私が無理なく練習に参加するにはこれしかない。
こうすれば私があんたにどうすればいいのか教えてやれるし、私も練習できるかもしれねー)」
「(それはそうだけど。準備を何もしてない)」
「(榊は今日注文してあった体育用の水着が届いたんだろ。あれを私が着ればいいんだ。
タオルとかは貸してやる。と言うか私が「神楽」のタオルを借りるってわけだな。)」
「あのー」西山部員がひそひそ話を遮る。
「えーとですねー、そういうことは神楽先輩に相談された方がいいと思いますー。
ていうか今ひそひそ相談されてましたよねー。神楽先輩、どうされますかー」
「え、えっと……」【榊】は言い淀んで、
「これから決める……」
と返事をした。
「はいー、ではそーゆーことですのでー。それでは私はお先に行かせていただきますー。でもー」
西山部員はクスッと笑って、
「榊先輩やる気じゃないですかー。神楽先輩の勧誘がようやく実を結びましたねー。
もうちょっと早く決めていただければもっと良かったと思うんですけどー。
仕方ないですよねー。それではー」
そして、トコトコと部室の方に歩いて行った。

 「……神楽」【榊】が不機嫌な調子で呟く。
「あれじゃ私が水泳部に入る気満々みたいだ……」
【神楽】はいたずらっぽく笑って
「わざとそうしたに決まってんだろ。こうでもしないと神楽のかっこしたあんたに
揉み消されるかもしれなかったし。やる気がねーとか理由つけてさ」
【榊】は【神楽】の、周りから見れば「榊」の顔を見て驚いた。
(こんな笑い方私には出来ない……私の顔なのに……やっぱり人は性格次第で
笑い方も変わるんだ。私が私でいたときの私の顔は、あまりにも無表情だ)
しかしそんなことを考えてばかりもいられず抗議を続ける。
「今だけだ。元の体に戻ったら私が水泳部に所属するのは嫌だから」
「つれないこと言うなよー。西山の言ってたことは本当だぜ。もう少し早く入ってたら
榊も今回の大会にだって出られてたかもしれねーんだぜ。」
「それだけレギュラー枠が減るだろう。みんなにとってはうれしくないんじゃないのか?」
「まあそうかもしれんが……ところで何でさっき即答しなかったんだよ。
あんたは今神楽なんだから、あんたがうんと言えば体験入部できるんだよ。
体験入部だから黒沢先生には事後承諾とっとけばいいし」
「でも……」
「今の所他の選択肢はねーぞ。さあ決めちゃえ」
「……『榊』の体験入部を認める」
「そうこなくっちゃな。でも後からやめるなんて言っても黒沢先生が放さねーかもしれねーぜ。」
「おどかさないで……。ああ、一瞬でも神楽の体をいいと思った自分が間違いだった。
こんなことになるなら早く自分の体に戻りたい」
「戻るつもりなのか? 私はこのままでいいけどな。うーん、水泳のときだけ榊の体
借りるってわけにはいかねーのかな」
「無茶言うな」
 二人は部室に向かって歩いて行く。戸口の所で【神楽】がふと気になったことを
【榊】に質問する。
「ん? 私の体をいいと思ったのは何でだ?」
【榊】が返事をする。
「かわいいから……小さい方がかわいくていいよ……」
【神楽】はちょっと呆れた。【榊】が続ける。
「ゴシックロリータとか着たい……」
【神楽】は思った。何のことだか分からん。まあどうせフリフリの服とかそんなんだろ。
正直そんなのを着ようとするのは止めて欲しい、と。

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最終更新:2007年10月21日 15:54