もしも願いが叶うなら 3

「榊、準備はいいか?!」
 【神楽】が階段の上から呼び掛ける。
「うん……」
【榊】が答える。【神楽】はちょっとムカついた。
「榊ぃ!! もっと元気出せよ! そんなに腑抜けてたら
いいタイムは出ねーぞ!!」
【榊】の心は暗澹としていた。いくつかの問題が彼女を悩ませていた。
 まず、どうしても体育会系が苦手なのだ。今怒鳴った体育会系の友人一人にも
辟易することがあるのに、この階段の上、プールサイドにはそういう人間ばかりが
たくさんいるのだ。中学生のとき、勧誘攻勢に勝てずいくつかの運動部に入ったが、
一つ目は3日、二つ目は1日、三つ目は2時間と45分で辞めてしまった。四つ目は、
さすがに懲りていたのでしつこい勧誘から逃げ出した。あまりにも榊の足が
速かったため、勧誘する側の生徒が追いつけないという事態が発生して
勧誘していた部の面子が大いに傷付いたのだが、それは榊の知る所ではなかった。
 この水泳部の顧問は黒沢みなもである。担任、谷崎ゆかりの大親友で、
榊も仲良しグループと一緒にプライベートで遊びに行ったことがあるのだ。
つまり、普通の教師と生徒という関係よりもお互いを知っている関係である。
ただ、今回は相手に自分のことを神楽と認識されているのが問題なのだ。
まだ「お客さん」の榊と異なり自分が神楽だとやはり手加減はあんまり期待は
出来ない。そういえばさっき【神楽】が言っていた。
『大会前のこの時期サボったら黒沢先生になんて言われるかわかんねーだろ!
つーか冗談抜きで殴られるかもしれねーぞ!』
黒沢が本当にそこまでするのか、【榊】には分からない。しかし、こう言ったときの
【神楽】の顔は冗談を言っている顔ではなかった。ヘマをやって怒鳴られるなら
まだしも、殴られたらどうしよう。泣いたら余計に殴られるのだろうか。
恐怖に捕われる【榊】の頭の中で、「懐かしのアニメ特集」などの番組で流れる
スポ根アニメのシーンがぐるぐる回った。
 それに純粋に体の問題もある。どうも感覚が変なのだ。足の長さの感覚が
違うのか、階段で4回もつまづきそうになった。【神楽】に調子を聞いてみたい
とも思ったが、【神楽】は榊の体に有頂天であんまり気にしていないようだ。
 さらに問題なのは【神楽】の態度である。自分の感情を優先するあまり、
榊として似つかわしくない態度を取る、というより、むしろ榊になりきる気が
微塵も感じられないときがあるのである。【榊】としては自分の体でイメージと
違う変なことをされるのはうれしくない。

 そんな悩みを抱えつつ、【榊】はプールサイドに立つ。ほどなく集合がかかり、
生徒が集められる。【榊】は【神楽】に手を引かれてようやく整列できた。
準備運動の後、黒沢が生徒に注意を与えようとしたが……
「あら? あなた榊さん?」
黒沢の声に、全員が列の後方にいる、皆から見れば榊、つまり【神楽】に注目する。
最前列の【榊】は、あっそうか、自分が紹介しなくちゃ、と思った。
「ええと、榊が今日は体験入部に来ています。皆さん、どうかよろしくして
あげてください」
【榊】がこういうと、今度は全員の視線が一斉に、皆から見れば神楽、
【榊】に注目した。明らかに普段と違うのだ。皆、神楽が
「みんな喜べ!! 見ろ!! ついに我が水泳部は榊を獲得したぞー!!」
ぐらいは言うと思っていたのだが、肩すかしを食った形になっていた。
黒沢もちょっと怪訝な顔をしたが、とりあえず先に進めることにした。
 黒沢の話の途中、【榊】はふと【神楽】が気になった。変なことされていては
困る、そう思い【神楽】を見た。それに気付いた【神楽】がジェスチャーと
口パクで「バカ! 前を向いてろ!」と【榊】に向かい訴える。【榊】が
よく分からず、え? と怪訝そうな表情をしていると雷が落ちた。
「神楽!! どこ向いてるの!!」
怒声にびっくりして慌てて【榊】が黒沢の方を見た。黒沢が続けた。
「私の話を聞いていたの?! 榊さんが来てるからって浮かれてるんじゃない
でしょうね!! 大会前にそれじゃ困るわ!! 気合いが抜けてるじゃないの!!」
黒沢の迫力に圧倒された【榊】は硬直して動けなかった。こんな黒沢は見たことが
なかった。いや、酔ったときは別として。
「気合いを入れ直しなさい!! 腕立て30! ……早く!!」
慌てて腕立て伏せの姿勢をとる【榊】。無言で腕立て伏せを始めたが、
「声が出てないわよ!! もういっぺん最初から!!」
結局、3回やりなおしをさせられてようやく起立の姿勢に戻された。

やっと終わった、と【榊】が思った次の瞬間、
「あんたたち! 榊さんが来てるからかどうか知らないけど全員たるんでるわよ!!
今は神楽が腕立てしたけどほんとは全員でやらなきゃいけないくらいよ!!
この調子でまともに泳げると思ってんの?! 集中しなさい集中!!」
と黒沢が怒鳴った。全員が
「ハイッ!!!!!!」
っと返事をする。既に【榊】はこの時点でくじけていた。黒沢は別に神楽を
いじめようとかしてたわけでなく、いきなりの見学者、それも有名な榊のせいか
場の雰囲気がそわそわしていたため、エースである神楽を注意することで全員に
対する効果を狙ったのであった。だが馴れていない【榊】は、自分のせいで神楽、
そして水泳部全員が怒られたものと思い責任を感じてしまって小さくなっていた。
そして何より、この体育会系独特の雰囲気から早く逃げ出したくなった。
 「練習始め!!」の声で部員がそれぞれの練習位置に向かう。【神楽】は
【榊】にこっそり近寄って行った。【榊】がへこんでいるのはまずい。声をかけてみた。
「おい、大丈夫か?」
「わ、私のせいで……」
「あ、あのなあ、こんなのしょっちゅうあることだって。私なんかおとといも
ああやってどやされたし。いちいち気にしなくていいんだよ。」
「わ、分かった……」
「うん。とりあえずあの4コースで前のヤツのやる通りに泳いでみな。
私もちょっと泳ぐ。榊の体でどれくらい速く泳げるか確かめてーし」
「あんまり期待しない方が……」
「いやもうぶっちぎるって! よっしゃー! いくぜ!!」
元気よく歩いて行く【神楽】。その背中を見ながら、【榊】は
(やっぱりあんまり叫んだりしないで欲しいなぁ。変に思われる)
などと心配していた。

 心配ばかりしていてもしょうがないし、またどやされても嫌なので、
【榊】はとにかく泳いでみることにした。
「やっぱり体の感覚が全然違う……」
戸惑う【榊】。さらに距離の目測を誤って、コース端でうまく壁を蹴るターンが
出来ず、空振りしてしまった。
(だ、だめだ、こんなんじゃ……私が神楽でないのがばれてしまう)
そう思いつつも何とか泳ぎ再びコース端まで来てプールサイドに上がるために
顔を上げると……黒沢がこちらを覗き込んでいた。思わずひいっ! と声が
上がりそうになる。さっき見たことのない黒沢に怒鳴られた恐怖がまだ残っていた。
黒沢が口を開いた。
「どうもあなたらしくないわねぇ……リズムが完璧にずれちゃってるわ。
昨日まで良かったのに今日になって急にだし。困ったなぁ。ターンの失敗は
ケアレスミス? それもあなたらしくないけど」
【榊】は、とりあえず怒鳴られなかったことにほっとしながら、
「あ、はい、すみません……」
と謝ってみた。黒沢が続ける。
「もしかしてあなた急にフォーム変えた? 伸び悩んでるのは分かるけど
フォーム変えてる余裕はないわよ。変えたんならすぐに戻しなさい。
けどなんか引っかかるのよねー。フォーム変えたというより、なにかこう、
別人の泳ぎを見ているような……」
「せ、先生……」【榊】がおずおずとしゃべりだす。
「何、神楽? やっぱりフォームを……」
いきなりおーっという歓声が上がった。声の上がった方を見ると、【神楽】、
つまり皆から見た榊が飛び込んだ所だった。皆有名人の飛び入り練習に注目している。
「ごめん、後で聞くわ。とにかくフォームは戻すのよ」
そう言うと黒沢も【神楽】の飛び込んだ方に向かう。【榊】は、本当は自分達が
入れ替わっていることを黒沢に言おうとしたのだが、言いそびれてしまった。
泳ぎ方が別人と言われたので、もしかしたら自分の中身が本当に神楽とは
別人だと分かってくれるかもしれないと思ったのだが。

 泳ぎきった【神楽】はすぐにプールサイドに這い上がり、
「タイムは? タイム! 言ったように計ってくれた?!」
と叫んだ。【神楽】は期待していた。この体なら確実に自己記録は更新できると。
そしてタイムを告げられる。
「……!!! うおっしゃー!! いける!! これならいけるぞーー!!」
叫ぶ【神楽】。周りの部員が目を丸くして
「あ、あの、榊先輩? 落ち着いてください」
と言うが聞こえていない。まずい、と【榊】は思い、慌てて【神楽】の所に行く。
止めないと。
 周囲の部員は、いつも神楽からクールで優しいヤツだと聞かされていて、
実際に生徒の間でもクールビューティーで通っている榊が体験入部でいきなり
タイムを計ることを要求し、さらに大声で騒いでることに驚いた。
榊さん、こんな人だったの?
 ようやく【榊】が到着した。
「待て、かぐ……じゃない、榊」
【榊】は【神楽】を羽交い締めにした。が、困ったことに今の二人は
入れ替わっている。【神楽】の方が大きいからずるずると引きずられて行く。
周囲を見回すが、いつの間にか黒沢がいなくなっていた。
(こんなときに黒沢先生はどこに行ったんだ……とにかく自分で何とかしないと)
「何だよ人が喜んでるのにー。すげぇんだぜ私……うわぁっ!!」
 【神楽】が悲鳴を上げた。【榊】が【神楽】の足を引っかけて、そのまま
二人ともプールの水面に突っ込んだのだ。大きな水音が上がる。その後
バシャッと言う音とともに二人とも水面に顔を出す。
「な、何すんだよ榊!」
先に口を開いたのは【神楽】だった。【榊】は、極力低音でドスの利いた声で
━━神楽の体ではどこまで出せるか分からないが━━周りに聞こえないように、
そして【神楽】を氷のような顔で睨みつけながら話す。
「……いいか、今のきみは『榊』なんだ。もっと普段私がやるように行動してくれ。」
やっと【神楽】も気がついた。
「す、すまない、榊」
「人前では私を『神楽』と呼ぶ癖をつけた方がいいな……とにかく注意してくれ」
「は、はい……」(こ、怖ぇーよ榊。私の顔がこんなに怖ぇーなんて……)

 プールサイドから声が飛んだ
「神楽センパーイ! 榊センパーイ! 大丈夫ですかー!」
西山部員だった。榊の体験入部に関わっただけにちょっと責任を感じたのかも
しれない。他の部員は、「榊さん」が騒いでいたこと、そして普段怒るときは
熱くなって大声を出す「神楽」が、今は何を言ってるのか聞こえないが、
座った目で、あくまで冷静に怒っているのを見てあっけにとられていた。
普段の神楽先輩ならともかく、あんな感じで怒られたら泣くかも、
と思ってしまう後輩部員もいた。
「なんでもない! 榊はちょっと気分が悪いみてーだ! 少し休ませる」
【榊】の言葉に【神楽】はおい、と言いかけたが、再び怖い顔で
「今きみをもう一度泳がせたらまた同じことをするかもしれない……頼むから
おとなしくしていてくれ」
と言われ、おとなしく引き下がった。
 プールサイドに黒沢が現れた。
「あら? 何かあったの? それよりも、神楽と榊さんは上がりなさーい!」
【神楽】は、【榊】に向かい小声で、
「さっきはしゃぎ過ぎたからかな。ごめん。黒沢先生には私が叱られるから」
と言い、プールサイドに向かった。【榊】も後を追う。だが黒沢はさっきの
騒動を叱ろうとしていたわけではなかった。

「二人とも、今日のバスケの授業で頭打って気絶してたんですって?
ごめんなさいね、出張から帰った時にちゃんと聞いとかなきゃ
いけなかったんだけど……。とにかく、二人はもう今日は帰った方がいいわ。
気分が悪くなったり何か変わったことがあったらすぐに病院に行くのよ。いいわね?」
【神楽】が
「先生、私は大丈夫ですよ。まだやれます。練習を続けさせて……」
【榊】は慌てて、
「先生、榊はいいですけど、私は残らせてください! 大会前ですし、
時間を無駄には出来ません!」
こう言いながら、【神楽】に余計なことを言わないようにと目で訴えた。
しまったという顔をする【神楽】。黒沢はそれには気付かずに、
「二人とも駄目よ。神楽、ここで無理して大会に出られなかったら
元も子もないわ。顧問として休むことを命じます。榊さんも、なにも
体験入部でそんなに意気込むこともないでしょ。もっとリラックスして。
二人とも、ちゃんとまっすぐ帰るのよ」
「はい、ありがとうございました」
「……お先に失礼します」
 二人はとぼとぼと更衣室に向けて歩き出した。【神楽】が残りたがったのは
練習したいからだが、【榊】が残りたがったのは別の思惑があった。最後まで残り、
黒沢に全てを打ち開け相談するつもりだったのだ。
(それも今日は出来ないな……仕方ない)
【榊】はため息をついた。これからどうなるんだろう……。

 「悪かったな、榊」
「いや、いい……これから気をつけてくれれば何とかなる……」
更衣室の一角で、【神楽】と【榊】は着替えながらしゃべっていた。
「タオルはその中だ」
「ああ、これか……それにしても、黒沢先生があんなに怖かったなんて……」
【榊】は怒った黒沢の顔を思い出して震えた。
「あ? あれくらい別に普通だろ?」
「そ、そうなのか? ……そうかもしれないけど……みんなの雰囲気も何となく
怖かったし……」
【榊】の黒沢に対するイメージは「しらふのときは優しい先生」だったので、
それが崩れて動揺していたのだった。
「大会前だってのもちょっとはあるんだが(むしろ私はキレた榊の方が
怖かったけどな)、基本的にシメルときはきちっとシメル先生だし、
怒ってないときは優しいいい先生だろ? それより榊はもっと気合いを
入れて臨んでくれねーと……」
「ご、ごめん。でも気合いって言われても……」
「まあ今日はいいさ。それよりそっちは調子どうだった?」
「なんだかうまく体が動かなくて……」
「ふーん。私は全然絶好調だったのにな」
その【神楽】の言葉にすかさず【榊】の突っ込みが入る。
「その全然の使い方はおかしい。全然という言葉は後ろに否定が……」
「あーっ、そんな細かいことどうでもいいって。でも私がうまくいって
榊がダメなのは変だな」
【榊】はちょっと考えて、
「多分……神楽の方がこういう状況への適応が早いんじゃないかな。
入れ替わった直後でもきみは落ち着いていただろう?」
と答えた。
「そういやそうだな。でも意外だなー。榊の方が精神的に強そうなのに」
【神楽】のその言葉を聞いて、【榊】は思った。
(私はそんなに強くない……)

 二人は校門を出た。【神楽】は無邪気に喜んでいた。
「いやー、しかしこの体がこんなにスゲーとはなぁ。悪いけど榊、
これは返したくねえなぁ。」
【榊】はかねてから疑問に思っていたことを口にした。
「……その大会は、飛び入り参加が自由なのか?」
「……はぁ? あんた何を言ってるんだ? ちゃんと学校から選手登録するに
決まってるじゃん。あ、もしかして榊も出たくなったか? いやー残念だけど
そりゃー無理だなー」
「と、いうことは、『榊』という人間は選手登録されていないということになるわけだ」
「ああ、そうだ……あああああ!!」
【神楽】はバッグを取り落とした。
「……やっと気づいたのか」
「私が榊の体だったら出れねーじゃん!! どうしよう!!」
「どうしようと言ったって……」
「も、戻ろう! 今すぐ元の体に戻ろう!」
「方法が分かっていればとっくにやっている」
「何とかしてくれよー!! 高校で最後二つの大会の内の一つなんだよー!!
ああ、今から『榊』で入部してももう間に合わねーし!!」
「仮に間に合ったとしても記録は『榊』でつくんじゃないのか?」
「ううっ、確かに……。そ、そうだ!! このことを打ちあけて黒沢先生に
頼んでなんとか榊の体で『神楽』として出させてもらえねーのかな?!」
「ほとんど毎回大会や競技会に出ているんだろう。そんなんじゃごまかせないと思う……」
「だよなぁ……みんな私の顔知ってるし……ああーどうすりゃいいんだ!」
「それに……黒沢先生に話すのは、いや黒沢先生に限らず誰かに相談するのは
最後の手段だ」
「何で?! 大体最初にゆかり先生に言おうとしてたのは榊じゃねーか!」
「確かに私もさっきまで考えていた手段だけど……」
「考えてたならやってくれよ!」
「大体やっぱり望み薄だろう。自分で言っていただろう……誰も信じてくれないって。
それに黒沢先生は今日話を聞いてくれそうか?」
「帰れって言われたからなー。今日行ってもまだいたのかってたたき出されるぜ」
「ふむ……それで今度にでも打ちあけた場合、どうなるのかをさっきまで
いろいろ考えていたんだ。いくつか結果が考えられるんだが……」
「結果ってなんだよ!」

 【榊】は自説の解説を始めた。
「まず一つ。まったく信じてもらえなかった場合。これは何の解決にもならない」
「うん。そりゃー分かるぜ」
「次、信じてもらえた場合。でも信じてもらえた所で黒沢先生は元に戻す方法は
知らないだろうし、大会だってどうなるか分からない」
「そ、そんな!!」
「三つ目。もっと悪いケースだ。精神疾患などを疑われた場合」
「何だよそれ」
「病気だ。魂が入れ替わったなんて誰も信じたくないから、心の病気で
榊が自分は神楽だと『思い込む』ようになったと診断される可能性はあるな」
「そんな病気あるのかよ!」
「分からない……でも、この場合、病気なわけだから大会どころか部活を続ける
ことも無理なんじゃ……」
「うわあっ、ヤダ、ヤダ!! やめてくれよ!!」
【榊】は、『気分が悪くなったり何か変わったことがあったらすぐに病院に行くのよ。
いいわね?』という黒沢の言葉が皮肉に感じた。変わったことがあったら病院に、か。
気が重いが【榊】は話を続ける。
「最後だ。最悪のケース。これは信じてもらえた場合のことなんだが……」
「信じてもらえるならいいだろ!!」
「信じてもらえて、大変なことになったと周りが騒ぎだした場合。私達は
心配してもらえるが、それ以上に好奇の目に晒される。場合によってはどこかの
機関が研究するだのと言って私達を『保護』するかもしれない。もちろん
その過程で戻れる方法が見つかる可能性もあるわけだが……」
それを聞いた【神楽】の脳裏に、全裸にされて檻につながれ体中に電極を
刺された自分と榊の姿が浮かんだ。
「わぁーん!! ヤダよヤダよー!! てゆーか榊、普段喋らない長台詞を
喋ったと思ったら何でそんな暗い話なんだよー!! えーいくそっ!!」

ゴッ、と音がした。【神楽】が【榊】に頭突きを食らわせたのだ。
「痛いっ……なにをする」
「頭ぶつけたあとこうなったんだから、もう一度頭ぶつけりゃ治る!!」
「思いつきでそんなことしちゃダメだ……治る保証はないのに」
「じゃあどうすんだよ!! くそっ、こうなったら、榊! 『神楽』として
大会に出てくれ!」
【榊】はあの練習の雰囲気を思い出してしまった。
「い、嫌だ……」
「本当は絶対私が出たいんだけど、しょうがねー! 今さら棄権なんて出来るか!
大丈夫、大会の日までに元に戻れればもちろん私が出るから! だから榊、頼む!
あんたに託すから!」
「だ、ダメだ……正式な競技のルールなんて知らないし」
「教える! 覚えろ!」
「やっぱりダメだ……あの練習の雰囲気には耐えられない……。ましてや競技なんて」
「慣れだよそんなの!! ちょっと大きな声が出せればいいんだよ!!
競技だって、お祭りみたいなもんだと思えばいい!! な! 頼む!」
「……きみは大会が心配だが、私にも心配なことがある。」
と、唐突に【榊】は話題を変えた。
「何だよ!!」
「今度のテストだ」
「なにそれ?」
「全国模試……きみはすっかり忘れていたようだけど」
「ああ、そんなのもあったな」
「……一応私達は受験生なわけだが……自覚しているのか?」
「あんまり……」
「きみがすっかり忘れていたことから考えるに、きみが私として試験を受けた
場合の点数は期待できない。つまり戻れないと私もまずい。戻れなかった場合
きみに勉強してもらって……」

 それを聞き、イライラした様子で【神楽】が怒鳴った。
「いいじゃねーか! そんなこと、勉強だけが人生じゃねーぜ!」
「そんな……いい点を取れないと困る……」
「なんだよ、勉強勉強って。私の大会の方が重要だろ? テストなんか
この際どうだっていいだろ!!」
「……よくない」
「はっ、優等生だなー!! いいよなー頭いい奴は! そんなことより
大会だよ大会!! 榊が私の代わりに出てくれればいいんだよ!! 練習にも
出てくれ!! 大急ぎで何とか練習してさー」
「嫌だと言っているのに……それに、勉強の時間が取れないのは……」
「私がどんなに水泳がんばってたか知ってるくせに! 勉強、勉強、勉強、
そんなにいい点取ってほめられたいのかよ!! もういい!
榊がそんな奴だとは思わなかったぜ!!」
 【神楽】はそれだけ言うと、そのまま走り去ってしまった。【榊】は追いかけることが出来なかった。自分の体で、顔で、声で、ああ言われるのが辛かった。神楽に自分がいい点を取ってほめられたいだけの人間だと思われたことが悲しかった。神楽の願いに答えられない自分も嫌だった。それで足が動かなかった。
「……私はそんなんじゃない」
そう呟くのがやっとだった。


(つづく)

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最終更新:2007年10月21日 16:01